文化

〈日々の暮らし方〉 第10回 正しいサークルへの入り方 〜通らなくてもいい道〜

2009.05.02

断わっておくが、今回取り上げるのは、「正しいサークル」への入り方ではない。正しい「サークルへの入り方」だ。かつてはどこの大学にも存在した「正しいサークル」も資本主義の発展とグローバリゼーションのなかで姿を消し、いまやそのようなサークルに出会うのはサバンナでナマコを拾うぐらい稀なこととなっているからだ(注1)。

そして問題となるのは、サークルに入る際の精神なのだが、この精神は個々のサークル加入におけるイニシエーションの中に見出されるところが大きいので、今回は実例を並べることでそれを示したい。

まずこの記事が掲載されている媒体、京都大学新聞を発行している奇行系(注2)サークル京都大学新聞社を例にあげたい。京大新聞では毎年5月某日、新しく入った編集員が、2枚の新聞紙を器用に纏い、さらにもう1枚の新聞で兜を折り、それを被って1日を過ごすことになっている。これはかなり異様なことに思われるかもしれないが、この種の異様なイニシエーションは京都大学の古いサークルにおいては決して珍しいものではない。たとえば11月祭を運営する11月祭事務局では、1回生の指先から滴らせた血をペンキに混ぜ、立て看板を製作していた。していた、と過去形で書いたのは、このイニシエーションが数年前から行われなくなっているからである。

この種のイニシエーションは廃れ、一つまた一つと消え行く傾向にあるのだ。京大新聞のものも、京大新聞62年6月1日号のコラム「こくばん」では、同じイニシエーションが新聞以外は一糸纏うことなく(注3)、そして10日の間続けられたことが記されている。加えて、現在では「その日」には新編集員は各々の下宿に閉じこもって息をひそめて一日が過ぎるのを待つのだが、当時は普段は授業など週に1コマ出るかでないかの編集員までもが誇らしげに1限から5限まで授業に出席していたという。

そして問題の11月祭の事情はこうだ。59年の第1回11月祭では開いた傷口を押し付けて、血で看板をぬっていたのだ。当然、作業中に貧血で倒れるものが続出し、緊急で全学実行委員会が開かれ、血での看板塗装の禁止が議論されたが、事務局員側の頑強な抵抗で「ペンキに混ぜ、止血をし、レバニラ炒めを食べて鉄分を摂取した上で塗装する」というところに話が落ち着いた。しかしながら、年を経るごとにペンキの割合が増えていき、また時代的背景から赤系の色が使われなくなっていったことで、立て看板に塗られる血の量は決定的に少なくなった。その後、90年代になると赤のペンキに申し訳程度の血を一滴垂らすだけとなり、現在ではレバニラ炒めを食べることだけが残っているという次第である。

このようにイニシエーションが消えゆく中だが、新しく作られるイニシエーションも存在する。ごみ問題に取り組む環境系サークル「えこみっと」。彼らは、教室内にまかれたビラの回収活動をしているが、集めたビラの一部を、1回生が醤油をかけて食べるのだ。この精神こそ正しいサークルへの入り方を体現している。

京都大学日々の暮らしを考える会・編


注1: 当サークル(京都大学日々の暮らしを考える会)すら、もはや正しいサークルとはいえない。正しい理念を持っていても、構成員があまりにも少ないからだ。
注2: 他になんと言えばいいのだろうか。新聞なんてものを発行しているのだ。
注3: 現在は衣服の上から着用している。

※※編集部注:本コラムは「京都大学日々の暮らしを考える会」の編集によるものであり、真偽のほどは保証できません。