企画

ドライブ紀行-三重編- おかげ横丁/伊勢神宮/展望台/伊賀牛

2022.04.01

運転免許を取得したらドライブに行こう。その参考になればと願い、京大新聞では毎年、編集員が車で出かけて紀行文を掲載している。一昨年春からの感染症流行の影響が続くなか、行き先に屋外や感染対策をとっている屋内施設を選び、三重への小旅行が実現した。大学は課外活動に対し事実上の許可制をとり、活動時間や食事に制限を設けているが、個別の内容をふまえて許可を出す場合があり、今回のドライブも届け出て承認を得た。変則的な生活様式が定着しつつあるなか、車に乗って出かけることで何が見え、何を感じたのか。参加した編集員が綴る。 (編集部)

目次

    趣深い世界観
    期待せずにはいられない
    風が冷たい海岸線
    胃が満たされる
    事故のない成功体験


趣深い世界観

京都から2時間、車内で雑談をしながら高速をひたすら走ると、ちょうどおなかが空いたころに伊勢神宮やおかげ横丁のあるエリアに到着した。駐車場で車を降りると春風が気持ちいい。

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【800mほど石畳の道が続く「おはらい町通り」】



瓦屋根の内宮おかげ参道を進むと、道がアスファルトから石畳に変わり、まっすぐ伸びる道なりに木造建築が広がる。伊勢神宮まで続く、土産物屋などが建ち並ぶおはらい町通りである。道幅は広いが、奥に進むにつれ観光客が増え、混雑してくる。

京都を思わせる渋い街並みに気を取られながらも食事処に向かう足は止まらない。目的地の「海老丸」に着くも、相変わらず人は多い。少し外で席が空くのを待ち、食事にありつけたころには口が出来上がっていた。伊勢海老と思い注文したノーマル海老天丼だが、威勢よく平らげた。

腹ごしらえが済んだところで散策を再開。「神恩感謝」ののぼりや石造りの常夜燈が見えると、「おかげ横丁」が広がっていた。神様の「おかげ」と思う気持ちが通り名の由来だという。流れて歩く人も店先にある松坂牛を模した置物の牛もちゃんとマスクをしているが、街路は話し声で溢れ、賑わっている。こうして日常を取り戻しつつあることにも、漠然と感謝が湧いてくる気がした。

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【おかげ横丁の一角にて】



おかげ横丁の一角に、赤福の本店を見つけた。赤福餅とは伊勢名物のあんころ餅である。私はこれを車内の雑談ではじめて知ったが、食べたことがなくても別腹は別腹。昼食後間もないが構わず列に並んだ。店内では赤福ぜんざいを食べ、歯に沁みるような甘さが食後のデザートにぴったりだった。おかげで伊勢神宮で参拝する準備は十分整った。(怜)

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期待せずにはいられない

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【伊勢神宮へ続く宇治橋。日常と神聖な世界を結ぶとされる 】



伊勢名物でお腹と心を満たし、おかげ横丁の喧騒を抜けた。行きつく先は伊勢神宮の神域である。五十鈴川にかかる宇治橋を渡り、天照大御神を祀る内宮へと向かった。

正式名称は「神宮」であり、「伊勢神宮」は他の神宮と区別するための通称だという。2千年を超える歴史を持つ最高格の神社、どんなに立派だろうと思いきや、どの社殿も思いのほか簡素な印象である。神宮の中心である正宮で手を合わせたが、式年遷宮で20年ごとに建て替えられることもあってか、お宮そのものから歴史の重みを実感することはなかった。

参拝客を圧倒するのは、社をとり囲む雄大な自然である。参道をとりまく木々は驚くほど巨大で、有無を言わさぬ威厳をたたえていると同時にどこか寛大さを感じさせる。何百年も前からずっと、様々な思いを抱えて各地から訪れる人々を見守ってきたのだろう。神様が姿を現したらこんな感じなのだろうか。そんなことを考えながら太い幹を眺めた。正宮は本来公的な祈願のための場所だというが、もし神様がこの木々と同じ懐の深さを持っているなら、将来を思う私のささやかな願いも、穏やかに受け入れてくれるような気がした。(凡)

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風が冷たい海岸線

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【朝熊山展望台から望む景色。展望台の奥には足湯もある】



くねくねと曲がるドライブウェイに揺られること数分、朝熊山展望台にたどりついた。駐車場脇にある「ハンモック」の看板を横目に展望台に上がると、冷たい風が吹き渡り、視界がひらける。足元に広がる森と町の先に、太平洋が一望できた。リアス式の入り組んだ海岸線に、点々と小島が浮かんでいる。どこまでも広がる青空と地平線は清々しく、海風に震える体をよそに、頭はスッキリと冴えた。

一通り景色を堪能したのち、看板を見て気になっていたハンモックを見に行く。矢印は展望台の下から伸びる散歩道を指していた。編集員の所用から帰京を急いでいたため、果たして時間内に戻ってこられるか、一抹の不安を感じつつ坂を下りる。すると、木々に囲まれた小さな公園が現れた。中央にハンモックの枠組みらしき金属の棒だけが立っている。他になんの遊具もない公園になぜハンモックを置いたのか、なぜ網は外され枠だけが残ったのか。奇妙な光景に腹を抱えて笑いつつ、もと来た道を引き返すことになった。

寒さに耐えかね売店に入った一行は、観光地らしいさまざまな土産を物色しつつ、伊勢うどんなどを購入した。店の端には、展望台で写真撮影するための貸し出しほうきが置かれている。無論、ほうきに乗ってジャンプして、写真にうつる編集員はいなかった。そんなこんなで30分程度滞在したのち、展望台を後にした。(桃)

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胃が満たされる

事前にドライブ旅行の計画を立てるとき、食事の選定は最大の関心事と言っていい。三重に行くなら当然松坂牛を食べようと思っていたが、編集員のひとりが伊賀牛というブランド牛肉の情報を見つけてきた。松坂牛より歴史が古いのでそちらにしようと言う。そういうわけで、帰り道は伊賀市に立ち寄り、伊賀牛のステーキなどを食べられるレストランで夕飯をとることになった。

店に着いてみると、ステーキや鉄板焼き、ハンバーグの他に、カレーやカツ定食などのお手頃価格のメニューもある。一方でブランド和牛のステーキは、当然なかなかの値段がする。編集員は形だけ躊躇して見せたものの、取材の経費で牛肉が食べられるとあって、結局全員が伊賀牛を注文した。ところが数分後、その日の伊賀牛が全て売り切れてしまい、足りないと言われた。なんでも、この日は精肉店が休みであったうえに、ランチでたくさんの注文が入ったらしい。この春に卒業する編集員に伊賀牛を泣く泣く譲り、普通のステーキを注文した。

鉄板の上でじゅうじゅう音を立てるステーキが運ばれてきた。食べ始めると、伊賀牛にありつけた編集員は顔色を変えて「これは美味い」と言う。そもそも、私の食べていたステーキと伊賀牛のステーキでは、ナイフの入り方が明らかに違う。値段が倍以上の伊賀牛が柔らかさや味で勝るのは当然だ。このステーキだって美味しいはずなのに、どことなく色あせて見える……。損した気分がしないこともないが、とにかく全員が満足して店を出た。

立ち寄るスポットはこれで全てだが、旅行は無事に帰るまで終わらない。満腹で車に戻り、京都への帰路についた。(田)

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事故のない成功体験

最後にドライバーとしての振り返りを載せることになったが、書くことが思いつかない。しかし、それでよいと思っている。無事に運転できた証拠と言えるからだ。

絞り出せば、何もないわけではない。高速道路への合流地点で減速してしまい後続車に急接近したこと、分かれ道でカーナビの誘導が遅れて勘で突き進んだこと、伊賀牛の店を見過ごしてぐるっと回ったこと……それでも、どれもステーキにナイフを入れる頃には忘れているような出来事だ。

とにかく事故なく帰れたことに安堵した。人に乗ってもらう以上、私にとって運転は楽しさより重責が勝る。こう書くと嫌だったように見えるが、決してそうではない。楽しい時間を過ごせたり同乗者に喜んでもらえたりして、緊張が充実感に変わった。

石畳の町並みや鳥居などは、京都と似ているようで違う色彩や雰囲気があり新鮮だった。そう思うと、一連の旅は今の社会状況に重なる気がする。かつての日常と似て非なるコロナ禍という異世界から、気兼ねなくドライブできる世の中へ……そんな日々はどこまで行けば見えるだろうか。(村)

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