企画

ドライブ紀行2025 ~行き当たりばったり 琵琶湖一周珍道中~

2025.04.01

運転免許を取得したらドライブに行こう。その参考になればと願い、京大新聞では毎年、編集員が車で出かけて紀行文を掲載している。

今年の行き先は東から北へ。日本海を目指し、福井県・敦賀に向かうはずが、思わぬトラブルで紀行中止の危機に⁉ 急遽琵琶湖一周に予定を変更した一行は、急変する天候に悩まされながら近江路をひた走る……。成り行き任せの珍道中、編集員たちの運命やいかに。(編集部)

今回のルート

灰色の空が頭上に広がる中、最終目的地を敦賀に定め、朝8時過ぎに京大を出発。ところが大津SAでの朝食後、大粒の雨が窓ガラスに打ち付けてきた。更に、北陸道の滋賀~福井県境区間で冬用タイヤ規制が敷かれていることが判明。今後の方針を検討しつつ、一旦長浜へ。黒壁スクエアや鉄道スクエアを訪問し、昼食を摂った。
規制が解除されぬまま、15時頃に規制区間の南端・木之本に到着。宿場町を見回ると時刻は16時を過ぎており、敦賀に向かっても十分な散策は不可能と判断した一行は、湖西回りで帰京することを決断した。落葉中の並木道や工事中の白鬚神社に立ち寄り、堅田では飲食店探しに失敗。大津京駅近くの焼肉店でようやく夕食にありつけた。22時過ぎに京大に到着し、222kmにわたる小旅行は幕を閉じた。3年連続3回目の参加となった(扇)曰く「今年のドライブ紀行は色々と不運」。なお、ルート概略図は地理院地図より作成。(晴)

目次

いきなりトラブル
雨降る長浜
近江料理を堪能
宿場町・木之本
不運は続く
日常への帰路


いきなりトラブル


朝8時過ぎに京大を出発。先月免許を更新したばかりの(扇)の運転で、京都東ICから名神高速道路に入り、敦賀を目指す。車は軽い渋滞を抜け、朝食をとるため大津SAへ。(扇)はハッシュドポテト、(晴)はカレーパンを食べ、(省)はタバコをのんだ。ふたたび名神に戻り、しばらく車を走らせると、雲行きが怪しくなってきた。助手席の(晴)がカーナビのラジオをつけ、道路情報のチャンネルに合わせる。そこで、敦賀へと続く自動車道のうち、滋賀から福井に抜ける山越えの区間は、冬用タイヤでないと通行できないことが判明した。一方、車はノーマルタイヤを履いており、このままだと通行できない。車内では自動車用品店に立ち寄ってスタッドレスタイヤに換える、規制解除を待つ、などの案が出たが、ひとまず道中にある長浜に向かうことに。雨風が強まる中、車は米原JCTから北陸自動車道に入り、10時半ごろ長浜に到着した。(扇)

「究極のかれいぱん」



冬用タイヤ規制を知らせる道路情報板



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雨降る長浜


雨のそぼ降る中、傘を片手にぞろぞろと黒壁スクエアを散策する。(晴)は黒壁スクエアを以前訪れたことがあるようで、懐かしい街並みに口角を高めている。ぽつぽつと傘を叩く雨音と、我々の話声、靴底と地面のペチャっとした摩擦音が、雨の街並みを満たすように響いていく。江戸から明治の和風建築は、水も滴る良い情緒を醸し出していた。

黒壁スクエアのメインスポット・黒壁ガラス館に到着した。売り場にはガラス球に覆われたオルゴールが売られている。オルゴールには「over the rainbow」や「人生のメリーゴーランド」といった誰もが知る名曲が収録されている。サンプル品の裏にあるゼンマイを各編集員がカリカリと回し、各々の好みの曲が売り場に交錯する。それぞれの曲が一段落し、しばしの沈黙の後に(晴)がにやりと一言、「ひどい不協和音だ」。

ガラス館を後にした我々は、長浜鉄道スクエアを訪れた。施設内には、D51形蒸気機関車が設置されている。機関車の前で各々が目を輝かせていると、1人の少年が筆者に声をかけた。「おにいちゃん、乗り方おしえたろかぁ」。少年に誘われるまま運転席への階段を駆け昇り、しばらくの間ご指導を賜った。少年はどうやら筆者を友達と認識してくれたようで、母親に引っ張られて記念館を去る際には、「ばいばいっ」と可愛く手を振ってくれた。鉄道スクエアでほんのり子供心を取り戻した我々は、空きっ腹を抱えて町に繰り出していった。(雲)

黒壁スクエア。江戸から明治にかけての和風建築が立ち並ぶ



旧長浜駅舎(1882年完成)。現存する駅舎では日本最古



D51型蒸気機関車の内部構造



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近江料理を堪能


降っては止んでを繰り返す春時雨のさなか、傘を差そうか差すまいか余計な思案に気を取られながら、昼下がりの間延びした町をぞろぞろと歩く。午後1時、さすがに腹が減った。そういえば、長浜駅の近くで「焼鯖そうめん」なるものをでかでかと広告する看板を見た。さっそく検索し、適当なウェブサイトの一番上に表示された店へ向かった。

筆者と(晴)は焼鯖そうめん定食を注文。(省)と(雲)は近江牛なべ御膳、(扇)は湖魚御膳を頼み、(燕)はうんうん唸りながら逡巡した挙句うな重を選んだ。

焼鯖そうめんは、湖北地域で古くからハレの日のごちそうとして食されてきた郷土料理。甘辛く煮た焼鯖を、煮汁のしみたそうめんとともにいただく。鯖の身は箸で簡単にほぐせるほど柔らかい。口に運ぶとほろほろと崩れ、やさしい旨味が広がる。訪れた店のそうめんは煮汁がしみていないタイプだったが、これはこれで濃い味付けの鯖と相性がよく、あっという間に食べきってしまった。

駅前の駐車場に停めておいた車に戻り、次の目的地へと北上する。うつらうつらしながら田園風景を眺めているうちに木ノ本駅に着いた。(鷲)

焼鯖そうめん定食。麵料理だがご飯が進む



近江牛の牛なべ。溶き卵にくぐらせて召し上がれ



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宿場町・木之本


長浜を出て約30分、県境の街・木之本に到着。ここから先が冬用タイヤ規制区間だ。木ノ本駅に併設された直売所はその名も「ふれあいステーションおかん」。(燕)はここで鹿肉の缶詰を購入し、何やら酒を買っている編集員もいた。看板に偽りなく、地域の女性が店番をしていた。

北国街道沿いの木之本には、宿場町の面影を残す風情ある軒並みが残る。この街で有名なのが、「つるやパン」の販売する「サラダパン」。「サラダ」という名前の割に、コッペパンに挟まれた具はみじん切りのたくあんとマヨネーズ。ところがたくあんとマヨネーズのしょっぱさに、コッペパンの甘さがマッチしている。不思議と後を引く美味しさだった。

駅から街の中心部へと続く道、その正面にあるのは木之本地蔵院だ。地蔵院を中心として街が発展していることから、門前町としての性格も有していたことが窺える。境内の中心に立つ地蔵菩薩大銅像は高さ6㍍、「日本3大地蔵」とされる。「眼の仏様」だそうで、視力の悪い者が多い京大新聞にとっては大変ありがたい。(雲)は絵馬に「100年後も京大新聞が存続しますように」との祈りをしたためていた。

筆者と(鷲)が酒蔵の軒先で休憩している間、残りのメンバーがまたもや酒を買っていた。規制は解除された様子だったが、また雪が降れば敦賀から身動きが取れなくなる可能性もある。一行は日本海の景色を諦め、湖西に向かうことを決断した。いつの間にか雨は止んでいたが、依然として晴れ間は見えない陰鬱な天気。ルートプランナーとしての反省は多いが、やって来た睡魔にとりあえず身を任せることにした。(晴)

サラダパン(税込180円)



木之本地蔵院。街の規模を鑑みるとかなり広めの敷地



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不運は続く


湖西を走る車は1本の並木道に差し掛かった。メタセコイアである。鈍より曇ったマキノの空に整列する裸木はもの寂しいが、それでも自信ありげな高木だった。木之本で(扇)からハンドルを引き継いだ(省)は、後続車に注意しながら速度を落とし1本の県道を堪能した。

並木を抜けてから30分ほど湖畔の国道を南下すると、車窓に琵琶湖が広がった。Bluetoothで繋いだオーディオのボリュームを、後部座席からこっそりと上げる。突然、湖面に1つの鳥居が現れた。白鬚神社である。2千年以上前に創建されたとの伝説を持つ、近江最古の大社だ。湖岸に建てられた社殿は残念ながら工事中。曇り空と同じ色のネットで覆われており、賽銭箱だけが国道に顔を出していた。

時刻は18時。そろそろ日没だ。夕焼けに浮かぶ鳥居が見たかったが、もはや太陽がどこにあるのかも分からない。一行は絶景をキッパリと諦め、夕食を求めて車に戻った。(燕)

メタセコイアの並木道



鳥居を見つめる(晴)と(雲)



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日常への帰路


滋賀を堪能するなら最後は近江牛。夕食会議で出た結論はそれくらいでお店の決定は運転手の筆者と助手席の(扇)に委ねられた。とはいえ、筆者もなれない運転でそれどころではなく気づけば大津まで来てしまっていた。成り行きで決まった行先は駅前の焼き肉屋。夕食にたどり着いた喜びを抱いて入店したが、ドリンクの注文にあたって1つの問題が発生した。運転手は筆者と(扇)の2人。筆者がアルコールを頼むことは、帰りの運転を先輩の(扇)に任せることを意味する。葛藤の末、気を遣ってノンアルコールビールに心が傾きかけた矢先、隣の(燕)がビールを選択した。(扇)の顔色を伺いながら、気づけば筆者もビールを選択していた。やはりドライブ後のビールは格別に旨く、その判断に間違えがなかったことを確信できた。料理の方はというと、学生の筆者には不相応な価格の近江牛は控えることにし、比較的リーズナブルな盛り合わせを注文したが、旅行の終わりの焼肉が不味いわけがない。本来の趣旨からはそれてしまったが、量も味も大満足だった。

焼肉を堪能した後は帰るだけ。筆者も意気揚々と後部座席に乗り込んだ。大津から京大までは意外と近く、徐々に見慣れた風景が増えてくる。1日京都を離れていただけだったが、東大路通に入ったころには不思議と安心感に包まれた。会話の内容も、記事の分担や締め切りなど現実的な話題が増えていき、京大につく頃にはすっかり日常に引き戻されていた。(省)

注文した国産牛の盛り合わせ



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