〈映画評〉「助けたい」のはエゴですか? 『ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021』(2022.03.16)

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2022年3月4日、「ドラえもんのび太の宇宙小戦争2021」が遂に公開された。

本来ならば昨年春に公開されるはずが、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から延期となっていた。ドラえもんの映画のタイトルコールは、のび太の「ドラえもん!」コールでドラえもんが登場するのが通例となっている。今作はとりわけ、1年半お預け状態だった観客のドラえもんを呼ぶ切実な声に共鳴して、映画が始まる。

今作では、弱冠10歳にしてピリカ星の大統領であるパピが、ギルモア将軍のクーデタによって星から逃れることを余儀なくされて辿り着いた先の地球でのび太たちと出会い、友情を築いていく。

この物語のひとつの軸に、祖国を守りたいが関係の無いのび太達を巻き込みたくないパピと、パピを助けたいのび太達との対比がある。勝手に自分を助けようとして自らを危険に晒すのび太達に、パピは本気で怒る。

映画の内容に合わせて書き下ろされた主題歌、Official髭男dismの「Universe」には、次のような歌詞が登場する。

「心に土足で来た侵略者は正義だとか君のためだとか銃を片手に身勝手な愛を叫んだ」

この歌詞は文字通り読めば、勝手な正義を建前に暴力で他人を踏みにじる人、映画でいう独裁者ギルモア将軍のことと考えるのが妥当だ。しかし映画を観たあとでは、もうひとつの解釈が生まれる。

他人を巻き込んではならない、大統領である自分ひとりで全責任を負わないといけない、というパピの正義に対して、のび太達はあまりにもずかずかと、生まれた星に関係なく友達を救いたいという正義を持って踏み込んでいく。片手に持った銃、もといのび太達の持つ武器はパピと自らを守るためには一見頼りなく、パピは「奴らの恐ろしさを知らないんだ!」と怒る。しかしその強引さは、遂にパピとピリカ星を救う。歌詞の続き「嬉しい悲しいどっち?」は、のび太達の行動を喜んでいいのか戸惑うパピを表しているようだ。

どちらの解釈が正しいかという話ではなく、どちらとも取れる、というのが大事なのではないか。のび太達とギルモア将軍が同じだと言いたいのではない。両者の行動はやっぱり全く違う。ギルモア将軍はなんの躊躇いもなく国民に銃を向けるが、のび太達は無人機とわかってやっと攻撃を始める……など違いを並べたてればいくらでも挙げられる。しかし、それ以前に両者は「そこに相手を思う気持ちがあるか」という根本において異なるように思う。何がエゴで何が親切心か、定義等々を考えることは難しいけれど、相手の行動が自分のことを心から思ってのものかどうかは意外と簡単に分かるのではないか。パピにはそれがわかったように。思っているより、他者の厚意に人は敏感だ。

最後に、この映画にはもうひとつ大きなテーマ、「自由を我らに」がある。これはギルモア将軍に抵抗する自由同盟のスローガンだ。この映画の原作が藤子・F・不二雄によって書かれた1985年前後は冷戦中だった。コロナによって公開が遅れたのは全くの偶然だが、奇しくもこの映画で描かれるギルモア将軍のクーデタは、現在世界を揺るがしているロシアのウクライナ侵攻と通じるところがある。とくに、ピリカ星を見たのび太が「首都にしては寂しいところだよね」と言ったのに対する「ギルモアがクーデターを起こす前は、とてもにぎわっていたんです」というセリフには、キエフを思い起こさずにはいられない。

悲しいことに現在までのところ、ドラえもんの秘密道具は誕生していないので、気持ちだけで全てを救おうとしても映画のようにはいかない。どちらが正義か割り切ること、あるいは片方の正義だけを切り取って映すことも出来ない。いろいろな立場にいろいろな想う相手がいて、両者が時に対立している。

しかし、それぞれの正義がぶつかり合う今だからこそ、この映画を見て考えてほしい。小学生ののび太達のように、あなたはあなたの正義を守りきれますか?(滝)

制作年:2021年
監督:山口晋
上映時間:108分


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