〈映画評〉女性として生きるということ 『17歳の瞳に映る世界』(2021.09.16)

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本作の主人公は、望まぬ妊娠をした17歳の少女・オータム(シドニー・フラニガン)。ペンシルベニア州で暮らす彼女が、従姉妹で唯一の友人であるスカイラー(タリア・ライダー)と共に、両親の同意なしに中絶できるニューヨークへと向かうロードムービーである。引きの映像が極端に少なく、オータムの表情に注目するカメラワークが特徴的だ。独特の映像と静かなストーリー展開、そして本作でデビューしたフラニガンの自然体の演技が、ドキュメンタリー映画のような重いリアリティを生み出している。

その極致が、オータムが中絶前にカウンセリングを受けるシーンだ。当事者はこれまでの性的接触について問われ、原題の「Never」「Rarely」「Sometimes」「Always」の4つの選択肢から答えるよう求められる。相手に脅されたことはあるか。暴力をふるわれたか。それまで無感動な表情を保っていたオータムは、このシーンで初めて涙を流し感情を露わにする。対するカウンセラーは実際に施設で働くケリー・チャップマンが演じており、その声音は驚くほど優しい。彼女がオータムだけでなく、たくさんの女性の涙を受け止めてきたことを痛感させられる瞬間だ。

さらに、オータムとスカイラーの前に現れる男性たちの描写は、女性たちがさまざまな性加害にさらされる現実を突きつける。セクハラをするバイト先の店長、地下鉄で不躾な視線を送る露出症の男。少女ふたりは彼らに表立って反抗することなく受け流し、ましてやスカイラーはバスで声をかけてきた青年のキスを受け入れ、帰りのバス代を手に入れることまでやってのける。彼女らにとって、性加害を受けそれをいなすことは、もはや「日常」なのだろう。

そして本作は、女性を女性という性で見るのではなく、個人として見る視点を観客に与える。オータムとスカイラーは、同じ女性であっても、違う人生を歩む別の人間だ。それと同様、現実の女性たちひとりひとりも感情を持つ別個の人間であり、ふたりが抱える恐怖や孤独を、それぞれ異なる形で感じている。少女ふたりの体験を通して、現実の女性たちが直面しうる問題を描くことで、「女性」として十把ひとからげに扱われかねない人々の、それぞれの生の具体性をも想起させる。観た後に胸に残る、痛々しいほどのやるせなさを、忘れてはならないだろう。(凡)

製作年:2020年
上映時間:101分
製作国:アメリカ・イギリス
監督:エリザ・ヒットマン
原題:Never Rarely Sometimes Always



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