文化

<映画評>『 DESTINY鎌倉ものがたり』

2017.12.16

電車に乗って異世界へ

夕暮れ時に一人で歩いている時に何かの気配を感じたり、視界の端を何かが通り過ぎたような気がしたりと、科学技術の進歩した今でもなお、何か得体のしれない不安を感じることがある。もし、それが本当に得体のしれない「何か」で、我々のすぐ近くで暮らしているとしたら? 映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』は、神や仏や幽霊が人に紛れて当たり前に暮らしているような、そんな世界観の作品だ。

高畑充希演じるヒロイン・亜紀子は、堺雅人演じる小説家・一色正和へ嫁いで鎌倉へ引っ越してきた。ところがこの町、なんと魔物や神などの人ならざるものが社会に根付いた奇妙な町だったのである。河童が庭を横切るわ、夜には魔物たちの市で幽霊が買い物しているわ、挙句の果てに警察署では殺人事件の被害者が証人として降霊術で呼ばれている始末。この風変わりな暮らしに慣れてきたころ、亜紀子は謀略によって肉体を失い黄泉へと行くはめに。妻を生き返らせるために夫が黄泉の国へ乗り込むというストーリーは、原作がミステリーのはずなのになぜか完全にアドベンチャーもののそれである。とはいえ大部分は鎌倉での日常生活を描いているので、バトルアクションを求める人よりは、表情豊かに妖怪と交流する高畑充希と振り回される堺雅人を堪能したいという人向きだろう。

作中には、怪異を人間社会に組み込むために色々なエピソードや説明が織り込まれている。魔物や幽霊がうろついている理由については、この土地が霊力に覆われているからという漠然とした説明しかないのだが、その一方でやけに細かい設定が垣間見えることもある。事情があれば幽霊になれるという「幽霊申請」が件数の増加で財政破綻したり、他の死者が嫌がるからと黄泉行きの電車を見せるのを渋ったりと、時々妙に現実的な視点が入るこのアンバランスさが面白い。

映画の背景映像も魅力的だ。主人公たちが暮らす街として描かれているのは、実際の鎌倉市ではなく、誰もがなつかしく感じるような原風景としての鎌倉。そのため、待ち行く人々がみな昭和風の服装だったり、実際には外から見えないはずの大仏が街の中に見えたりする。中国湖南省の武陵源と鳳凰古城をモデルにしたという黄泉の風景も、生活感と非現実感をバランスよく醸し出す。天高くそびえる煙突のような岩場や崖に張りついた家々が幻想的で、まさに天空に浮かぶ街といった風情がある。この風景の中を江ノ電が駆け抜けるシーンなど、大画面で見ると思わずため息が出るような雄大さだ。(鹿)

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