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〈映画評〉『美女と野獣』 成長するディズニープリンセス

2017.07.01

18世紀フランスで誕生した物語「美女と野獣」は、そのストーリーをもとに数々の映画や舞台が作られ、今なお愛され続けている。その中でも特に有名なのは1991年に制作されたディズニーアニメの「美女と野獣」で、美しい映像とミュージカル仕立ての表現で人気を博した。本作はその実写化作品である。

アニメーション作品の実写化はもとのアニメが人気であればある程難しい。しかし、本作はディズニーアニメが得意とするミュージカル仕立ての演出など原作の良さを残しつつ、美しい風景やリアリティのある表情など実写特有の魅力を伴った成功作品と言えるだろう。

「美女と野獣」のもともとのストーリーは、呪いによって野獣に姿を変えられた王子を、心優しい娘ベルが、その恐ろしい見かけに拘わらず心から愛したため呪いが解け二人は結ばれるというもの。ディズニーアニメ版では、王子は表面上の美しさばかりに執着する傲慢な人物であったためその罰として呪いをかけられ、真に愛し愛されることを学ぶまでもとの姿には戻れないという設定が加えられている。ディズニーアニメ版の醍醐味は、野獣こと王子が傲慢で粗野な人物から深く相手を愛することができる愛情深い人物へと成長する様子が、丁寧に描かれている点だろう。現在放映中の実写版も大筋のストーリーはアニメ版と変わらないが、細かな描写が加わることによって、登場人物がより深みのあるキャラクターとなっている。その変化は野獣にはもちろん、敵役やその他キャラクターにまで表れている。その中でも特にエマ=ワトソン演じるヒロインのベルは、アニメ版と比べて最も変化が大きかったキャラクターだと私には思えた。

ベルはフランスの片田舎に住む美しい村娘で、読書を好み新しい知恵や工夫を積極的に取り入れようとする。しかし彼女の考えは、保守的な村人には受け入れられず浮いた存在として疎んじられている。ベルはそんな生活に辟易し、いつか村を飛び出し本の世界のような冒険をすることを夢見る。ベルと共に暮らす父親モリースは、そんな彼女に理解を示しつつも、小さな村はつまらないが安全だと言い聞かせる。彼女の平穏な生活は、モリースが野獣の城に囚われたことで一変する。モリースが野獣の住む呪われた城に迷い込み、無断で薔薇を手折ったことが彼の怒りに触れたのである。ベルはモリースを解放する代わりに自分が残ると野獣を説得し、野獣はそれに応じた。当然モリースは反対したが、城から追い返されてしまう。ある時、城から逃げ出しオオカミに襲われたべルを野獣が身を挺して守ったことをきっかけに、二人は互いに心を開くようになり、ベルは彼に好意を持ち始める自分に気づく。この時のベルの複雑な心境を表現しているのが、実写版のために新たに制作された挿入歌「Days in the Sun」である。自分の中の何かが変わってしまい、無邪気に過ごしていたあの頃には戻れないと歌う彼女の表情は、確かに冒頭の明るい様子とは変わっていた。

アニメ版に登場するベルは、終始魅力的な女性として描かれ、野獣ほど大きな変化は見せない。しかし本作では、戸惑いや苛立ちなどのネガティブな感情も含めて、彼女の心の揺れが細かに描写されていて、彼女もまた恋を通じて少女から大人へと成長したのだとわかる。恋による成長の鍵となる要素が、ここでは大きく分けて二つ見出せる。一つ目は自信の喪失、二つ目は保護者の不在である。恋に恋し冒険に憧れるだけの少女は、得てして自信に満ち溢れ恐れをしらない。しかし実際に他者と向き合うとなると、想像の中とは勝手が違う。相手の真意を図りかねたり変化に戸惑ったりと、自信を失うような出来事に数多く出会う。また、父親を慕うベルが彼と引き離されていたことも恋愛物語では一つのカギとなる。城で暮らすベルは父親と離れ離れになり、今まで彼女を守ってくれた彼に判断を委ねることはできない。恐ろしくも心惹かれる野獣とどう向き合うか、そして変わりゆく自分の心境をどう解釈するのか、判断できるのは自分しかいない。映画の公式ホームページには、「なぜベルは野獣を愛したのか?」というキャッチコピーが載せられている。確かに従来の「美女と野獣」作品には彼女の心境の変化が不明瞭な印象があった。エマ=ワトソン演じるベルが魅力的なのは、夢見る少女から戸惑い悩むことを知った大人へと成長し、その上で野獣を愛すると決めたことで、ストーリーをより生き生きとさせたためではないだろうか。(恭)

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