文化

〈映画評〉『この世界の片隅に』

2017.01.16

日常のしたたかな再生

『この世界の片隅に』は昨年11月に公開が始まった、片渕須直が監督・脚本を務めたアニメーション映画だ。原作はこうの史代による漫画。一人の女性、「すずさん」の1934年から1946年までの人生を描く。

すずさんは広島で海苔作りを生業とする一家に生まれる。口癖は「うちはぼーっとしとるけえ」。絵を描くのが好きなマイペースな女の子だ。19歳になると、「嫌かどうかもわからない」まま、呉の北條家にお嫁に行く。日の出前からご飯の支度をして、夫を見送り、時には親戚にいびられ、掃除や裁縫、畑仕事をして、家族皆でご飯を食べて、夫と寝床につく。やがて配給が減り、空襲が多くなり、戦争が日常となっていくが、すずさんは生活の知恵を活かしながら生き続ける。しかし、家族と自らの利き手を失くして心に傷を負い、自らの生き方が本当に正しいのか問い直すようになる。

この映画の柱はすずさんの日常だが、戦争の与える影響は大きい。作品の舞台は原爆の落とされた広島と軍港だった呉、どちらも太平洋戦争で大きな意味を持つ町である。すずさんが幼いころ見た緑色の屋根の綺麗な建物は、のちの原爆ドームである。すずさんの私的な人生と公的な戦争は切り離せない。

この映画はすずさんの主観を通して、戦争の残酷さとそこからの再生を描いている。具体的には、すずさんの絵筆のタッチをアニメーションという形でスクリーンに持ち込んでいる。例えば、空襲のシーンで、空に散る火花とカラフルな絵の具を散らす筆が交互に浮かび、「今ここに絵の具があったなら」とすずさんは言う。さらに、戦争による悲しみは、私的な芸術世界に昇華され、すずさんは再生していく。利き手を失った後も、利き手は繰り返しスクリーンに出てきて心象風景を描く。死んだ親戚の女の子が見ることができなかった海は、色鉛筆のような優しいタッチで広がる。同級生を乗せて沈んだ軍艦は、水彩絵の具のようなタッチで空にふわりと浮かぶ。

だが、戦争を描く中でも、玉音放送の場面は一見不可解である。すずさんは当時のファシズムに染まった人間ではない。戦争で人が死ぬことは良いと思っていないから、ご近所の息子の出征を見送るのも乗り気でない。また、軍部に対して忠実でもないから、本来提出しなければならない米軍の「伝単」(ビラ)をもんでトイレットペーパー代わりにする。しかし、玉音放送を聞いて、すずさんは「最後の一人まで戦うんじゃなかったんかね!」と叫び、涙を流す。戦争における暴力に屈することに怒る。これはなぜだろうか。

これを説明するために、この映画の主題である「普通」について触れたい。すずさんの同級生の水原哲は「すずが普通で安心した」「この世界で普通で……まともでいてくれ」という。この作品はご飯を食べる、家族と過ごす、家事をする、絵を描くなど日常の場面を繰り返す。それが、水原がすずさんにとっての「普通」と呼んだものだった。すずさんは閉じた日常で――地域社会の中で、戸主制度の下で、家族といることと絵を描くことを生きがいとしてきた人物だ。家族を失い、絵が利き手で描けなくなり、その生きがいが――「普通」が戦争における暴力によって奪われた。しかも、「最後の一人まで戦う」と「普通」を奪う大義名分を掲げていた大日本帝国は崩れ去った。「普通」を奪われた甲斐は何もなかった。玉音放送の場面で映画が伝えたかったのは、何の意味もなく「普通」を奪われた悔しさではないか。

すずさんの涙は、太平洋戦争への社会的意味を持つ公的な抗議ではなく、「普通」を奪われた一個人の私的な怒りとしての涙ではないか。この涙は、戦争をした全ての国の人々も流した涙ではなかったか。こうして、この映画は暗に、戦争に反対する内容になっていると私は思う。そして、この映画は徹底的に私的な主観に基づいている。

しかし、この映画の主題は反戦ではない。日常を再生する人間の生の強さである。すずさんは水原の台詞を回想し、「笑顔の器」として生きていくと決心する。閉じた日常で「ぼーっと」受動的に生きているように見えるすずさんは、そんな自らを自覚して「器」と呼ぶ。一見主体性がなさそうに見えても、柳のようにしなやかに「普通」の生活を守っていくのがすずさんの戦い方なのだ。それは「生活を続けるのがうちらの戦い」という台詞から伝わる。家庭や社会のストレスに対しては無力かもしれないが、その無力さを不幸にせず、笑顔で生活を続けることで精神世界を堅持する、そんな人間の強さをこの作品は描いている。

映画の終わりに、すずさんは、夫と終戦後まもない広島に行き、親を亡くした子を拾う。その子をおぶりながら、夫は呉の山々の名前を教える。山々は、戦時中は空襲を警戒して消していた灯りでいっぱいだ。その灯りは、まさに「普通」の再生の象徴なのだ。(竹)

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