文化

暑くなる前に免許を取りましょう 編集員の運転免許教習雑記

2008.04.01

暑かった。去年の夏は本当に暑かった。こんな年の夏に、よりにもよって蒸し暑~い京都で、どうして免許をとろうなどと思い立ってしまったのか、腐るほど時間のあった3月に実家でとればよかったじゃんかと何度自分を呪ったことか。思えば、大学に入ったら免許くらいはとらないと、といったわけのわからぬ義務感のようなものに襲われて教習所に通ったにすぎなかった気がする。毎日コンスタントに2~3時間とられるのは地味に生活に圧迫感をもたらしたものだ。

免許とろうとしてまず驚いたのは自分の視力の悪さ。0・7くらいはあるもんだとおもっていたのに、右だか左だか上だか下だかとんと分からぬ。昔は目がいいのが取り柄だったのに、やはり1年間の受験勉強は私に重い代償を払わせていたらしい。結局眼鏡をかけるようになったわけだが、少し世界がかわったことはそれほどわるいことでもなかった気がする。

それはそれとして、一番印象にのこっているのは、学科教習のたびにみせられた、いかにも古くさい雰囲気の漂う教材ビデオ。古き良き時代の男女がコミカルに運転のいろはを教えてくれる。何度笑いをかみころしたことかわからないが、なんとなくほっとする時間でもあったように思う。

技能教習は最初はひたすら教習所内をうろうろしているだけだが、後半になると路上に出、自分でコースを決めたり、高速を走ったり、山を登ったり、グループディスカッションをしたり、応急処置の練習をしたりと、どんどんとよく分らないことになっていく。 

特に、グループディスカッションでは、やる気のなさそうな2人と同じグループで、どうでもいいようなお互いの長所と短所を挙げ連ねていった。ただたださっさとおわらせたいという雰囲気が3人の間に漂っていたことを今も覚えています。あとは人形相手に危機的状況の回避と応急処置の練習。8人もいる目の前で、だれか~とか、大丈夫ですか!と大声で叫ぶのは、なかなかに抵抗のある所業であった。

ようやく卒業検定をおえても、最後の筆記試験は住民表に記載されている住所、すなわち私の場合は仙台で受験しなければならないらしく、まさかの夏休み2度目の帰郷を敢行したのも、今ではいい思い出です。それでその際、別に筆記だけなら眼鏡いらないよね、ってなもんで京都に眼鏡をおいたまま出向いてみたら、免許センターでまさかの適正検査をされて、視力でおとされるという哀れな末路。視力検査担当のおっちゃんにくいさがったけどだめだった。母にはうんざりされるは、妹にばかにされるわで失意のどん底だったけど、仙台で眼鏡を購入し、その夜はじめて頑張って勉強して、翌日91点でなんとか合格(90点が最低ライン)。まあようするに前日うけてても90点もとれるはずなかったから、受験料1回分浮いたということでよしとした。

車を運転できることは役にたつこともあるけれど、様々な場面で酷使されることも意味する。ゆめゆめ迂闊にとってしまわぬようご注意を。(義)

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