文化

〈教習所特集〉 プロジェクトV「鋭角カーブを越えて」 酷道なき国道改革へ

2010.04.08

飽食の時代、「平成」。類を見ない科学技術の発展の下、豊かさと便利さを極限まで追求し続ける現代にあって、世の不条理は全て克服されたかに見える。しかし、世の裏面は表が明るくなるほど暗さを増すものだ。この企画は、そんな社会の闇に対して果敢に挑む2人の若き免許取得者を描いたものだ。

読者諸氏は「酷道」という言葉をご存知だろうか。日本近代の父、伊藤博文はその大臣歴を工部卿からスタートし、前近代的な土ぼこり舞う荒れ道の整備から改革を始めたが、そんな近代の理念に真っ向から刃向かうやっつけ整備の国道こそ「酷道」である。便利事典Wikipediaには「酷道(こくどう)とは一般国道のうち乗用車による通行が困難であるなど「国道」と呼ぶにはふさわしくない、文字通り「酷(ひど)い状態の国道」を揶揄した日本語の用語」と解説される。車線片側の崩落を温かく保存する奈良県下北山村の425号線、「落ちたら死ぬ!」看板で笑いを誘う石川県金沢市の157号線などが有名。

今回挑戦するのは、その内でも「鋭角カーブ」と呼ばれる切り返し必須の素敵な路線変更を要求する477号線。北山方面から深泥沼を横切り貴船、鞍馬を越え、叡山電鉄とさよならしつつさらに北に行くと、鯖街道・鈴鹿越えの結節点となる「百井別れ」という地点に達する。これが問題のカーブらしいのだが、予定ではここを越えて、鈴鹿山脈を越え、帰りはぐねぐねカーブで評判の比叡山ハイウェイを介して帰ってくるというもの。なんぼ言うても安心と信頼の「国道」。軽いノリで向かったものの、見事に期待を裏切り、初心者マークの技術が光ることとなった…。実在の実在の人物・団体とは「あまり」関係ありません。(麒・如)

全ての車道は花脊GSにつながる

出発は午後2時京都大学。受験の喧騒冷めやらぬ大学を離れ、岩倉に差し掛かったころには咲き始めた梅の花を愛でつつ、早くも前途を憂うこととなった。ガソリン補給が足りない…。

どのチャンネルだったか忘れたが、日本全国をソーラーパネル搭載車で回る番組を見たことがある。湾岸沿いに各地の旬菜を食しながらのんびり旅する番組だったが、唯一エキサイティングな場面がある。雨が降りだしたとき。ソーラー車に「雨」は大敵である。なぜならば、燃料が切れるから。

なぜか、岩倉にして既にガソリンスタンドが見当たらない。出発時は余裕を見せていたガソリンメーターが、北の厳しい斜面とチキンレースを始め、毎度1000円単位でしか補給しない、けちな学生運転の無理が露呈。しかし、観光地として有名な貴船や鞍馬にまでGSがないと誰が予想できようか…。

府道38号線を直進し、問題の「鋭角カーブ」こと百井別れに近づくころには車内はオイルショックの焦りが蔓延し「いけるいける気持ちの問題だ」などと意味がわからない会話しか成り立っていなかった。地図上にもガソリンスタンドのマークは見当たらず、再度補給タンクをもって訪れるみじめな未来を予想し悲嘆に暮れていたその時…。地図でずっと北の方にある花脊というところに「GS」というマークを発見。車内は(2人)一時騒然とした。しかし、一抹の不安は残る。普通、ガソリンスタンドは会社名がマークになる。この「GS」とは何ぞと探すと、「その他」と分類されている。廃業の怖れ…。

考えても仕様がないので、百井別れを越えてそのまま進むが、その区間こそ「ほぼ鋭角カーブ」と言っていいほど数々の山道カーブを抱えたぐにゃぐにゃの難所である。崖の恐怖と急な斜面を適切に乗り越えた編集員の運転の前に初心者マークは光っていた。だが…。

「GS」は存在した。ペンペン草が生えて無残にも廃業のチェーンで覆われていた。大量動員されたアドレナリンが皆どこかに流れて行った感覚をいまだに忘れない。絶望感に駆られる中、「この辺の人はどうやって補給してんだ」という憤りが頭をかすめる。必死に探すと、この200mほど戻ったところに一軒あるという。半ば諦めて行った先には妙に広いスタンドがあり、中に入ると誰もいなかった…。

鯖街道でつかまえて ―Catcher in the Saba―

誰もいないと思ったのも束の間、前方と後方から何者かが走ってくる。何事、と構えると、スタンドのおっちゃんがかけつけてくれたようだ。あまりの安心感に奮発して3000円分の補給と、周囲の撮影に興じてしまった。

名残惜しいガソリンスタンドを後にして、酷道の戦いに戻らねばならない。元来た急斜面を下りる時も、慣れないセカンドギアの振動音にも関わらず、3000円のレシートに後光が差すようだった。そして、問題の百井別れにリターン。

百井別れに到着。音に聞くがごとく、そのままでは曲がれない。というより、そのときはこれが同じ道とは思わなれかった。あまりにこじんまりとした小さな枝分かれだった上に、謎の修道院への案内看板が下がっていただけだったからだ。この修道院案内が非常にリスキーな道との印象を与えた。しかし、これこそが高名な鯖街道への道を分ける、紛れもない「鋭角カーブ」そのものである。助手席の編集員が下りて、誘導をせざるを得ない。なんとか曲がり切っても、本当に正しいのかわからないような荒れ道がぐねぐねと続く。音に聞く通りの酷道であった。

カーブしてめでたく終わらないのが、この企画のみそである。そのまま進んで150円の有料道路を通過し、琵琶湖の西岸を横切って比叡山ハイウェイから市内へ戻るのが計画である。まだまだ半分にも達しない山中に過ぎない。そして、そのまま道を間違えないとは限らない。

途中国道367号と合流したり山道が続くため、標識の不十分なT字路に何回か遭遇する。今ではその不十分さは国家賠償に値する不作為と思う。一度道を間違え、もはやアスファルトでないあぜ道に入ったからだ。ここで野営かという念も一瞬よぎったが、結局30分ほど進んだところで行き止まりにあい、戻るはめになった。今日の「その時」は、その途中で運転と地図読みに躍起になる2人の前に、鹿が通り去る一幕である。地図と格闘していた私の横で、突然運転者が「うわわjkdhf!!!」と声にならない悲鳴をあげ、鹿が車の前を横切っていったことを聞くと、しばらく幽霊でもみたように虚ろな気分が車内を包んだ。どうやら鯖街道の支流の様な外れ道だったようだ。鯖商人もこんな道に入ったら野ざらしの骸骨に変貌するのではないだろうか。

なぜか367号との交差点のあたりから温度計が設置されていく。10分ほど進むごとに設置された無駄に高級な温度計が1度ずつ下がっていく中、驚いたのは、この寒さの中、山奥の集落の人々がどてらの様なものを着て畑の管理にうち出ていたことだ。昔家族旅行で見た五箇山の合掌造り(世界遺産)を思い出す。想像以上に市内から離れたようだ。百井別れのあたりから雪まで波状に降りつつ、2度まで下がったこの山中にもこうした人いきれがあると思うと、人間社会の奥深さに考えさせられるところだ。

鹿が厄を祓ってくれたのか、その一件以来は順調に進み、「途中越え」というところでめでたく有料道路に入っていった。150円は高いか安いか。このほんの少しの区間で金を取るという、がめつさと必死さに室町の日野富子が収入源とした関所もかくあらん、と不思議な物心地の下、鯖街道に入り込まないように右折して琵琶湖へと降りて行く。途中のローソンであんまんを食べたときに、やっと虎口を脱した感である。

酷道、それは不条理というロマン

ローソンで運転者交代。ここまでを乗り切った編集員・如には、見事なハンドル捌きに感服である。鹿をひかなかったのはおそらく今回一番の功績ではないか。残りの道はたいしたこともない…などということはなく、比叡山ハイウェイという難所を越える必要がある。この道は管理されており、先ほどの山道よりはましであるが、依然ぐねぐね指数は高く、問題は19時を回り、あたりが暗くなってきたことだった。この崖際のぐねぐね道で暗いのは危険…!なんとか早期脱出を図り焦るも、スピードを出すと墜落の憂き目。とりあえず40キロを維持してハンドルに集中。そんな中、山の途中で展望台や閉まったレストランにめぐり合い、一時の観光を楽しむ。特に山頂の凍える寒気の中見下ろした琵琶湖の風景は絶景。夕方にかかり明りがつきだした琵琶湖沿岸はひとしおである。この企画中でも佳境といってよい一場面であった。

なんとか下山を果たし、比叡平にたどり着いたころにはあたりは真っ暗だった。オリンピック選手や京大教授などノーブルな人の多く住むと言われる比叡平住宅地のドライブも考えていたが、暗くなってくると早期の退散が重要である。狭い山道を抜けて、無事市内北大路から大学へと帰着した。

以上の顛末で普通自動車運転免許の威力はおわかりいただけただろうか。今回の企画でわかったことは、「石油は大事」「鹿はひくな」など運転の基本的なマナーだが、こういった臨時の対処も、ベテランの初心者マーカー(取得一年以内)だからこそできた荒業である。学生運転の強みは、こうした力強い運転で京都の奥深い場所の様々な見分を奪い取ってこれることだ。久々のハンドル捌きを誇りつつ、無理な道路の運転は避けなければならないことと、「酷道」という存在が不条理極まりないことは指摘して終わりたい。後続の免許取得者の皆さんも、「安全な道で」鯖街道にチャンレンジしてほしい。

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