【京大新聞100周年特別企画】バックナンバーでたどる時計台の百年
2025.04.01
今年、2025年は昭和100年。京大新聞は百周年、そしてもう1つ百周年を迎えたものがある。京大のシンボル・百周年時計台記念館だ。京大新聞の1世紀にわたる歴史の中で、折々の編集員たちは時計台の変わりゆく風景を見つめ、写真に収めてきた。
今企画ではその蓄積をもとに、時計台を巡る風景がいかにして変わってきたか――または変わっていないか――を記録したい。縮刷版やリポジトリ、現存する紙面などを可能な限り見返し、いくつかの写真を収集した。これまでの百年を振り返ると共に、これからの百年に思いを馳せる嚆矢となれば幸いだ。なお過去の紙面からの引用は、漢字のみ新字体に直している。(晴)
竣工は京大新聞創刊と同じ1925年。創刊号の表紙でも取り上げられた。
室戸台風で折れたクスノキ。枝の部分が接地している。この後、現在も葉を茂らせる2代目のクスノキが植えられた。
太平洋戦争の開戦直後、時計台前での詔書奉読式。掲げられた日の丸が、当時の軍国主義・挙国一致主義を思わせる。
大学闘争が過熱した70年前後の様子。学生は警察と度々衝突した。
経済研・竹本信弘助教授の免職処分に対する抗議が巻き起こり、学生闘争はますます過熱した。
90年代、クスノキ周辺のアスファルトが石畳に張り替えられた。10年後には京大百周年を記念し、時計台の「記念館化」が行われた。
「熊野寮祭」における「時計台占拠」の様子。
共北棟より、2025年の時計台の様子。2代目のクスノキも立派に成長したが、樹木保護のため周囲に囲いが巡らされた。
このほか、時計台での日の丸掲揚(00年6月1日号)、時計台の記念館化(02年3月16日号ほか)、時計台周辺の再整備(10年10月16日号ほか)などを報じている。
今企画ではその蓄積をもとに、時計台を巡る風景がいかにして変わってきたか――または変わっていないか――を記録したい。縮刷版やリポジトリ、現存する紙面などを可能な限り見返し、いくつかの写真を収集した。これまでの百年を振り返ると共に、これからの百年に思いを馳せる嚆矢となれば幸いだ。なお過去の紙面からの引用は、漢字のみ新字体に直している。(晴)
1925

竣工は京大新聞創刊と同じ1925年。創刊号の表紙でも取り上げられた。
「新築工事を起したが、今回いよいよ竣成し本学に更に一大威容を添へることとなった」(1925年4月16日号)
1934

室戸台風で折れたクスノキ。枝の部分が接地している。この後、現在も葉を茂らせる2代目のクスノキが植えられた。
「荒れ狂つた九月廿一日あさの強風が過ぎ去つた後の本学関係の損害は以上に莫大」(34年10月5日号)
1941

太平洋戦争の開戦直後、時計台前での詔書奉読式。掲げられた日の丸が、当時の軍国主義・挙国一致主義を思わせる。
「本学においても詔書奉読式が挙行せられ、あつまる者、職員学生六千有余」(41年12月20日号)
1969

大学闘争が過熱した70年前後の様子。学生は警察と度々衝突した。
「京大全共闘を中心に800名のデモ隊が(中略)本部構内の各建物を封鎖し始め(中略)府警機動隊約500人が北門から本部構内に乱入し、逃げ遅れた学生達に警棒の乱打を加えた」(69年5月26日号)
1978

経済研・竹本信弘助教授の免職処分に対する抗議が巻き起こり、学生闘争はますます過熱した。
「一月十日夜再び『竹本処分粉砕』のスローガンが書かれたが、岡本総長は機動隊を導入し、十一日未明六名を『建造物侵入、器物破損』の現行犯で不当逮捕した」(78年1月16日号)
1993

90年代、クスノキ周辺のアスファルトが石畳に張り替えられた。10年後には京大百周年を記念し、時計台の「記念館化」が行われた。
「時計台の正面玄関付近の舗装を花崗岩の石畳に張り替え、玄関前の楠の周囲に円形のベンチを設置する予定」(93年12月16日号)
2016

「熊野寮祭」における「時計台占拠」の様子。
「百周年時計台記念館に学生らが梯子をかけて上り、屋上で拡声器を使い、旗を振り、垂れ幕を下げた」(16年12月1日号)
2025

共北棟より、2025年の時計台の様子。2代目のクスノキも立派に成長したが、樹木保護のため周囲に囲いが巡らされた。
このほか、時計台での日の丸掲揚(00年6月1日号)、時計台の記念館化(02年3月16日号ほか)、時計台周辺の再整備(10年10月16日号ほか)などを報じている。