「立て看是正指導の背景とそれを活かしたまちづくりの展望」 立て看板規制を問う 連載 第3回 (2018.07.01)

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編集部より
立て看板規制を多角的に捉えるための連載「立て看板規制を問う」。第1回(5月16日号)では、規制に関する経緯や法令を解説し、第2回(6月16日号)では、酒井隆史氏に寄稿をいただいた。第3回となる今回は、法社会学を専門とする高村学人・立命館大学教授に屋外広告物規制の法令とその範囲内でのタテカン設置の可能性について詳しく解説してもらう。

はじめに

~どのような立場から論じるか~

京都の立命館大学に赴任したのは、2007年。ちょうど屋外広告物規制の強化を一つの柱とする新景観政策がスタートした年。これがどのように実施されるか、の法社会学的調査を最初のゼミでのテーマとし、以後、今日まで市役所とも連携しながらゼミや社会調査実習の学生達と屋外広告物規制の実施過程についての調査研究を重ねてきた。今回の京大立て看問題でも是正指導を行ってきた市の広告景観づくり推進室の責任者と意見交換を行ってきた。ここでは屋外広告物規制を研究してきた立場から三つの点を論じたい。第一は、なぜ京大の立て看が指導対象となったのか、第二は、そのことの法的問題は何か、第三は、立て看を合法化し、まちづくりの資源として位置づけるための法制度の活用である。

なぜ指導強化がなされたのか

~歴史的経路としてのネタ化~

2007年に規制強化がなされた頃、京都市内の看板は、約2万あるとされ、そのほとんどが許可を取っておらず、厳しくなる前の旧規制に照らしても違反であった。このような大量の違反看板に対して是正指導を行う担当課がこの当時から繰り返し述べてきたのが、「一罰百戒」という言葉であった。すなわち、職員リソースが十分でない中では、マスコミが注目するような看板を是正させ、報道を通じて市が本腰で是正指導を行っていることが市民に伝わることで市民が「自発的に」違反看板を変更することを期待する戦略を市は取ってきたのである。

最初に選ばれたのは、嵐山にあった美空ひばり座であり、美空ひばりの巨大な写真が指導を通じて撤去されたことをマスコミ各社は驚きをもって報道した。また最初の3年間、職員リソースのほぼ全てを割いて是正指導を行ったのは、規制強化の目的が市民に伝わりやすい社寺仏閣の周辺や山麓への眺望を遮る看板ではなく、河原町四条を中心とする繁華街のそれである。その理由は、多くの市民が訪れる場での看板変更を進めれば、それを目にした市民も自らの違反看板を変更する効果があると市が考えたからだ。

その後も京都南インター近くにあるラブホテルの巨大ネコ看板が条例の経過措置がきれる2014年に行政代執行の対象とされ、全国のマスコミが面白可笑しく報道したが、市は、この報道によって市の本気度がまだ是正していない事業者に経過措置がきれる直前に上手く伝わったと評価している。

しかし、看板変更を行った店主に実施したアンケート調査(高村編 2017)からは、繁華街や他地域の看板変更を見て自らの看板を変更したという行動は、皆無に等しく、どの店舗も市から是正指導が何度も繰り返され、それに従わずにいると勧告や命令によって店舗名が公表されることと脅されたから、やむなく従ったというパターンがほとんどである。それ故、何のために屋外広告物規制があるのか、が理解されておらず、市全域に規制強化を行ったことへの疑問や不満も残っていることも明らかになった。本来なら地域毎に景観まちづくりを推進するべきであった。具体的には、歴史的な建物や生活の風景、山麓への眺望や街路樹といった景観要素を抽出し、それに関連させる形で各地域での屋外広告物規制強化の目的を住民参加も得ながら明確にして、それを市民や各事業者に丁寧に説明することで、理解に基づく看板変更を目指すべきだった。

残念ながら京大の立て看への是正指導強化も市のこれまでの執行戦略の延長である。2014年をピークとして市は、是正指導担当の職員数を減少させている。しかし、規制の趣旨や目的が市民に理解されていないため、当然のことながら、最近では、一度、違反看板を是正した事業者が緩んだ市の指導体制の間隙を縫って再び違反看板を設置することが増えてきた。職員リソースを元のように戻すことはできない市が狙ったのは、新たなマスコミネタを再び供給し、違反には厳しい姿勢で挑むことをアピールすることである。京大立て看は、その格好の素材であった。立て看問題が最初に報道されたのは、2017年11月26日の朝日新聞記事であるが、この記事はヤフー・ニュースでも配信され、SNS上で多く取り上げられることとなった。京大へ是正指導を行ってきた市の責任者は、2018年2月に面会した筆者の質問に対して「このように注目される記事が出たことは率直に喜ばしかった」と答えた。市職員の念頭に絶えずあるのは、この間の規制強化によって看板を変更させられた市内の自営業者の不満である。この不満を多少でも抑えるためにずっと行ってきたのが、「あなたの看板だけでなく、他の看板も撤去させます」という約束である。京大さえも例外とせずに是正させたことは、自営業者の溜飲を下げる上で大きな成果獲得であり、市の責任者にとっては、京大立て看問題は、「京都らしさが失われると一部の人が主張」しているだけの騒ぎであり(京都新聞2018年6月12日、京都市都市景観部長の発言)、この問題についての連日のメディア報道は、むしろ京都市の違反屋外広告物への強い姿勢を市内外にアピールしてもらう上でありがたい存在なのである。

何が問題か

~憲法的価値と比例原則~

京大立て看問題につきマスコミから取材を受ける際によく尋ねられるのが、「立て看は、違法か合法か」という質問である。そこには、違法であれば、撤去もやむなしというニュアンスが含まれるが、このような二者択一の問いの立て方は、正しくない。

もちろん立て看には、後述するようにややグレーの部分がある。しかし、グレーとなる看板は、市内に無数にあるから、市は、より濃いグレーのものから是正指導していく責務がある。また違反があってもそれにどのように対処するかは、そもそもの規制の趣旨や目的に照らして比較衡量を慎重に行いながら決せられねばならない。

市は、立て看も景観条例(=屋外広告物条例)に違反しており、例外とせず同じように是正させねばならない、と説明してきているが、この説明は、正しくない。市の条例では、屋外広告物を次の三つに分類し、それぞれにつき異なった扱いをしている。①非営利目的(政治、文化、労働)のものは、大きさにかかわらず許可は不要、②自分のお店の看板(自家用看板)は、2平方㍍を超えた場合に許可が必要、③看板が設置されている場所・土地とは直接関係のない屋外広告(他家用看板、例えば、コカコーラやiPhoneなどの広告がビルなどに設置)は、どのような大きさでも許可が必要とされ、厳しい。

欧米では、この三つを区別することが重視されており、筆者が専門とするフランスでは、③のその場所にある必然性を持たない他家用広告物、すなわち巨額の宣伝費を持つ大企業が全国画一の商品広告を歴史的な建物や小中学校の近くや緑のある場所で掲示することを「広告汚染」と法律上位置づけて特に厳しい規制がしかれており、違反広告の告発を任務とする環境系の市民団体の活動も活発である。一方で、②の自家用看板は、各職業団体の自己規制に委ねられ、法律はさほど関与しない形を取っている。また、①の非営利のものは、表現の自由の保障ために特に寛容に扱われており、建物所有者が〈自らの壁に政治、文化、労働のポスターやビラを掲示することを禁ずる〉と明示していなければ、市民は、これらを建物所有者の同意を得ずに壁に貼る自由があるともされ、これらのメッセージ媒体の存在が公共空間において保障されることで民主主義が成り立つという考えが取られている。

日本では、フランスのような屋外広告物の考え方がまだ十分浸透していないが、京都市の屋外広告物条例で先のような3つの分類が存在するのは、憲法で保障されている表現の自由が、経済的自由については公共の福祉の観点から制約することもあり得るが、精神的自由については制約は慎重であるべしという規範内容を持つことの反映である。よって、どの違反から取り締まるかについてもこの憲法の価値序列に照らして優先順位を決める必要がある。

確かに立て看は、歩道という公道上に設置され、取るべき道路占用許可を取っていない。その点で道路法に違反している。また市の屋外広告物条例では、擁壁への看板設置を禁じた条項があるから、それにも違反している。しかし、道路占用許可を取っていない看板は、市内に無数にあり、これまで市は、祇園新橋や木屋町などの夜の街を除いて是正指導してきていない。道路占用許可が求められる理由は、通行者の邪魔になったり、看板転倒によって危険が生じることを防いだりするためであるが、そのような危険は、立て看の設置方法を改善することで最小化できる。

そもそも、擁壁への看板設置の禁止は、国が1973年に策定したガイドラインで禁止としたことを受けて1989年の条例改正の際に盛り込まれたものであるが、それが禁止された理由は、擁壁は、至る所に存在するためそこに他家用看板が設置できてしまうと商業広告が溢れかえること、設置に伴う危険があること、の2点であった。立て看について、前者の理由は、全く当てはまらないし、後者は設置方法により改善できる。

法律や条例の違反を取り締まる際には、どの違反から取り締まるかにつき行政職員にとても大きな裁量が生まれる。そのため判例や学説により「比例原則」という法理が形成され、どこから取り締まるかについては、除去されるべき障害の大きさに比例して順序づけられねばならないとされている。また取り締まる場合にも選択可能な措置のうち必要最小限度にとどめなくてはならないとされている。この原則を今回の問題に当てはめるならば、是正指導に際しては、非営利目的のものには、条例で寛容な扱いをしており、その典型である立て看を小さな違反を理由に取り締まると表現の自由が保障されなくなること、各種の危険につき除去できる代替手段があるかどうか、などを十分に考慮して市は、是正指導を行うべきであった。通行の邪魔となっている営利目的の無許可路上看板は、市内に多く存在しており、それを是正させた後に初めて大学の立て看への是正が行われるべきというのが比例原則から導かれる要請である。

憲法の遠さ

~京都市会と大学の機能不全~

以上の考え方を筆者は、京大に是正指導を行ってきた市の責任者に伝え、指導の継続に慎重であるべきことを説明したことがあるが、そのような考え方があること自体に驚かれ、率直に、京大への指導強化を市役所内で検討した際に、憲法の表現の自由と関連させて条例の条文を吟味したり、比例原則に基づき行政裁量を枠付けるといった議論は全くなかったことを教えてくれた。景観政策を所管する都市計画局は、技官が中心であり、条例に明示的に擁壁への設置が禁止と書いてあれば、それに満足してして法実施に走る傾向がある。本来なら市役所内であっても法律家としての訓練を受けたスタッフが存在し、法実施の議論に参与して、規制の趣旨や目的を他の法律や憲法との関連できちんと分析し、除外すべき危険・障害の大きさと表現の自由への制約といった相反する利益を比較衡量しながら是正指導の優先順位や方法が考えられるべきであった。

市役所内にこのような法的チェックを期待できないならば、その役割を果たすべきは、市民の代表者である京都市会という議会によるチェックである。筆者は、屋外広告物規制への関心が高い複数の議員にアプローチし、上記の問題を説明し、市会での質問という形で行政職員の裁量行為を統制することを期待したが、残念ながら今日までそのような質問はなされていない。京都市会の立場も2007年に屋外広告物規制を強化した際から、規制に従った正直者だけが損をすることは不公平であるから、やるのなら市内一律に徹底して是正を行えと是正指導担当の課に要求するのがこの間の基調になっており、表現の自由との関係で屋外広告物の三分類を捉えるという視点は持っていなかった。行政職員だけでなく、議員にとっても憲法は、どこか遠いところにある抽象的な存在であって日々の活動の準拠枠としてその理念を議会活動の中で具現化していくという思考様式は持ち合わせていないようである。であれば、大学こそがそのような思考様式を働かせて市の是正指導の根拠を問い直す役割を果たすべきであったが、そうならず、市役所同様に形式的なコンプライアンスの要請を重視したのは、残念なことであった。

どのようなことが可能か

立て看を活かした歩道空間のアクティベーション

京大が市の指導に沿う形で「立看板規程」を独自に定め、その運用を宣言してしまった以上、立て看の是正活動は、市の手を離れ、大学に委ねられることとなった。このことは、大学の自治という観点からは良いことではあるが、市の是正指導の妥当性を上述の点から問うことを難しくしてしまった。市への批判は、時既に遅しである。それでは、立て看文化を守る上でこれから何が戦略として可能かを考えてみたい。

筆者の考えを先に述べれば、立て看は、大学の中で行われている活動や学生達が政治や社会につき思考している内容を大学の外に伝え、大学と社会を接続するための不可欠の媒体であり、これが撤去された京都大学の現在の風景は、社会から大学が切り離され、雲上へと大学が浮かび上がったかのように映る。これは、大学のみならず、市民・社会にとって望ましくない。よって以下で法制度を活用し、立て看文化を守り、発展させる方策を提案する。

もちろん、本来、立て看は、既成秩序への異議申し立てという要素も持つから、これを合法化する手段を提示するというのは、立て看の本来性を損なわせることになりかねないことは自覚している。しかし、コンプライアンスの要請が高まり、そこにがんじがらめとなっている今日の議論状況を打開することをここでは重視したい。

道路占用許可を受けて歩道上に設置されている屋外広告物は、実は、京都市内に結構ある。市バスのバス停の多くは、この間、屋根付きのものへと整備されたが、そこには必ずきらびやかな広告ポスターが掲出されている。これは、世界的な広告会社が京都市に働きかけ、バス停の施設整備とメンテナンスを広告会社の負担で行う見返りとしてそこへの広告掲出を特例として認めてもらうという公民連携の事業スキームの導入に成功したからである。

そうであれば、立て看も特例として認めさせるのは、不可能ではない。むしろ近年の国の施策では、歩道空間を歩行者が通過するためだけの空間ではなく、そこを市民が憩い、交流する空間として活性化させることを奨励しており、道路占用許可の権限をまちづくりを行う地域団体に包括的に委譲することが各地で推進されている(図1)。実際に行われているのは、カフェが店舗内だけでなく隣接する歩道をオープンカフェとすることを可能としたり、広告代理店に屋外広告物パネルを歩道上に設置させ、そこの広告料の一部をまちづくり団体に納めさせ、まちづくりの活動資金の財源とするといったものが多く、商業的な活用が中心となっている。

これとは異なり、京大周辺の歩道空間を文化・公共交流ゾーンと位置づけ、立て看を触媒にして学生と市民が会話し、交流できる空間づくりができれば、商業主義的なまちづくりへのオルタナティブとして都市を真にわれわれの手に取り戻し再生できる可能性がある。

道路占用許可の包括的な権限委譲を受けるには、京大が地域と連携したまちづくり団体を結成し、それが都市再生推進法人として市から認定される必要がある。立て看を活かしての地域と連携したまちづくりとしては、次のようなことがあり得よう。京大向かいの百万遍知恩寺では、毎月15日に手づくり市を行い、多くの市民が訪れている。知恩寺と大学が連携し、その日をさらに盛り上げるために、京大周辺の歩道の幅員が広いところでは、その日をテーブル・ベンチを設置する特別日とし、立て看を設置した学生が積極的に訪問者に活動内容を説明する日と位置づけてはどうか。立て看を中心とした文化・政治活動だけでなく、研究内容をポスターで説明するような院生がそこに現れても良いであろう。テーブル・ベンチは、この間、立て看文化を残す活動を支援した芸術系大学の学生達とコラボして、DIYで斬新なデザインなものを作ってもらったり、彼女・彼らの芸術作品を併せて屋外に展示したりすることも社会実験として面白いであろう。

都市再生推進法人の認定を行う権限があるのは、京都市であるが、都市再生特別措置法は、都市再生のためのまちづくり計画を策定するのは、行政ではなく、地域がこれを策定し、行政にその承認を求める提案を行うことを推奨している。立て看を活かしたまちづくりにつき京都大学と周辺地域との間で合意が整えば、そのまちづくりをマネジメントする一般社団法人を簡単な手続で結成し、その法人がまちづくり計画を京都市に提案するという形を取れば良い。

このような面白い空間ができれば、京大は、世界中の人々が訪問したい大学としてより一層、高く評価されるのではなかろうか。地域に開かれた大学づくりを奨励してきた文部科学省からも案外、高い評点がつくかもしれない。立て看は、京大のみのものでなく、地域住民や市民が大学の中で何が行われ、何が考えられているのかを知るたの不可欠な媒体である。京都大学においては、この貴重な媒体・資源を活かす形で大学の本来の機能・役割を発揮させるための前向きな議論が進展していくことを望みたい。

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高村学人(たかむら・がくと)
立命館大学政策科学部教授。専門は法社会学。著書に、『コモンズからの都市再生 ―地域共同管理と法の新たな役割』(ミネルヴァ書房、2012年)など。調査に、『屋外広告物規制の受容および効果に関する量的社会調査の成果報告書:京都市の屋外広告物条例改正(2007年)による執行強化を対象に』(立命館大学政策科学部・地域環境調査・成果報告書、2017年)など。

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