【特集】梅棹忠夫を偲ぶ(2010.08.01)

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7月3日、これまで生態学、動物社会学、民族学、文化人類学、比較文明論などの幅広い分野で活躍し、自身のフィールドワークの経験をもとに文明や社会、文化や学術、宗教や思想、情報や精神などを論じてきた梅棹忠夫氏が亡くなった。90歳、老衰のためであった。

梅棹氏の死去は全国各地に衝撃を与えた。新聞・インターネットを始めとした各メディアにとりあげられ、著書である『文明の生態史観』(中公文庫・1967年)や『知的生産の技術』(岩波新書・1969年)などの売上が伸びた。

また政府は7月30日の閣議で、梅棹氏に「従三位」を贈ることを決めた。すでに同氏は紫綬褒章(1988年)などを受章している。京大・松本紘総長は梅棹氏の死去について「まさに『巨星堕つ』」と各報道機関に向けて発表した。

葬儀は近親者のみで行われた。しかし梅棹氏は国立民族学博物館(大阪府吹田市)の初代館長であることから同館では「お別れ会」を今年の秋に開催する予定であり、来年には梅棹氏の業績をたどる特別展が開かれるという。

梅棹氏は1920年京都市の生まれで、旧制第三高等学校・京都帝国大学理学部動物学科の出身。

在学中に京大探検部の前身となる旅行部に入り、今西錦司・西堀栄三郎・今西寿雄らに師事。「大興安嶺探検隊」などに参加した。

戦後においても世界各地への探検を続け、京大探検部の顧問などに就任。同時に生態学や動物社会学でオタマジャクシの群れ形成などの研究を行い、これが数理生物学の先駆けになった。

一方、モンゴルや東南アジアなどで文化や文明に触れ、その調査を始める。 1960年代には京都大学人文科学研究所に入り、その前後から多数の執筆活動を行う。

著書『知的生産の技術』では、これまでのキャリアをもとにB6サイズの京大式カードを紹介。情報整理や発想力を高めることができるものとして普及した。

1974年には国立民族学博物館の初代館長に就任。以後、失明するという災難に遭いながらも精力的な執筆活動を続け、日本語のローマ字化論や宗教のウィルス説などを展開してきた。

今回編集部では、梅棹氏が生前、京都大学新聞の推薦者の1人であったことから同氏を追悼したいと考え、ゆかりある人物に追悼文の寄稿をお願いしたところ、4名の方から文章をいただいた。これをもって同氏のことについて振り返っていただければ幸いである。(編集部)

梅棹忠夫の生涯
1920年 6月13日、京都市に生まれる
1942年 中国北部・大興安嶺探検
1943年 京都帝国大学理学部動物学科卒業
1944年 モンゴル・張家口へ野外調査(~1946年)
1949年 大阪市立大学理工学部助教授
1955年 京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊員
1963年 京都大学アフリカ学術調査隊員
1969年 京都大学人文科学研究所
1974年 初代国立民族学博物館館長
1986年 ほぼ失明状態に
1993年 国立民族学博物館顧問・名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授
1996年 京都大学名誉教授
2010年 7月3日死去。90歳

(以下、ページが長くなるので分割します)
瀬戸口烈司 総合博物館元館長 「若手育生の装置の継承」
髙田公理 佛教大学社会学部教授 「梅棹忠夫の学問的業績-プラトン、マルクスと並ぶ」
小長谷有紀 民博・民族社会研究部教授 「フィールドワークから文明論にいたる秘密」
末原達郎 農学研究科教授 「知的探求への先導者:梅棹忠夫先生とその本」
(以上順不同)

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