湯川秀樹の旧邸 交流施設に 長谷工・安藤忠雄の寄附で
2024.06.01
会見終了後、握手を交わす3人。左から安藤氏、湊総長、辻会長
旧邸には湯川秀樹の逝去後も長男夫妻が暮らしていたが、管理が難しくなったことを理由に京大への譲渡を望んでいた。京大も取得したいと考えていたが、「予算の確保が難しい状況」だったという。今回、土地・建物の取得をデベロッパーの長谷工コーポレーション、設計を安藤忠雄建築研究所が行い、京大に寄附する形で譲渡が実現した。
竣工式の同日、安藤忠雄氏、辻範明・長谷工コーポレーション会長および湊長博総長が出席する記者会見が開かれた。会見の中で辻会長は、安藤氏と湊総長を交えた私的な会食の場で旧湯川邸の話を聞いたことが寄附のきっかけだと明かした。会長は小学生の頃から湯川秀樹のノーベル賞受賞に強い印象を受けていたとした上で、「マンションばっかりつくっている長谷工」が、湯川秀樹と接点を持てる二度とない好機と考え、寄附を決断したと話した。
邸宅の母屋は1933年の建築で、湯川秀樹が暮らしたのは1958年から晩年の81年まで。今回の整備にあたり、老朽化の進む母屋を中心に改修・改築を行った。母屋東側は窓枠や柱などの既存構造を残して改修を行った一方、母屋西側は安藤忠雄建築研究所の設計で大幅に改築され、錐状の屋根が特徴的な円形の建物に一新された。工事は長谷工が発注し、市内の神社仏閣などを手がける安井杢工務店(やすいもくこうむてん)が実施した。
改築された母屋西側は内部に吹き抜けを持つパブリックロビーが整備されており、壁の曲面に合うように建具が特注されている。また、敷地南側には横長の新棟を建設し、ラウンジや湯川秀樹の蔵書、功績を展示するスペースとしている。湯川秀樹が作庭した庭園や、1970年代に増築された蔵・客間は原型をほぼ留めているという。
「下鴨休影荘」の名称は、湯川秀樹が『荘子』から引用し、邸宅に掲げた直筆の「休影」の扁額に因んだもの。元の所有者の意向を汲み、京大は旧邸を交流の場として活用する方針だ。通常は賓客対応に用いるが、教職員や大学関係者の研修や会議の場としての利用も見込む。秋口には本格的な運用を開始する見通し。

