インタビュー

江口克彦 江口オフィス社長 「若者よ、“大風呂敷”を広げろ」

2010.01.16

◆ まず、夢を持とう ◆

―江口さんは、松下幸之助さんの考えを広く伝えるということをされていますけれども、今、特に若者へ伝えたいことはありますか。

今の若い人たちに望みたいことは、自分たちが活躍・活動する20年後30年後の日本を自分たちで構想して、そしてそれを実現するために今何をしたらいいのかを考えてほしい。

それぞれ卒業してビジネスマンなり、いろいろなことをやっていくことになるんだろうけど、自分の仕事をこなしながらも、いっぽうで「坂の上の雲」と言いますか、20年後30年後の日本のために今何をすべきかを決めるという、「理想主義的現実主義」とも言える考え方を望みたい。自分の周辺の事だけでなくて、日本のこと、あるいは世界のことを考えてほしいですね。

―今の世相、具体的には若者が、自分の思うことがうまくいかなくて犯罪に走ってしまったり、あるいは親の世代が、自分の子供を利用して金儲けに走る、といったことがあったりしますが、どのような考え方をすれば社会は良くなっていくでしょうか。

今の若い人たちは、虚無的に、あるいは無力感といった思いで日々をすごしています。言ってみれば「虚脱感状態」で生活している。どうしてかというと、夢を持たない、あるいは夢を自分で考えないというところにある。夢を持つことによって、現在、自分は何をしたらいいのかが決まってくるわけですよ。ところがこのごろは、夢とか、あるいは将来の自分をどうしたいということを考えない、ということになりますね。

例えばイチローがなぜ、世界のスーパープレイヤーになったかを考えてみると分かりやすい。彼は5歳のときからバットを振って、小学生のときに文集で「自分は将来一流の野球選手になって中日ドラゴンズに入るんだ」と書きました。夢を、小学生でありながらも持つわけですよね。友達がテレビゲームやってたり、街中をぷらぷら歩いてたりしている、それにも関らずイチローは夢があるから、夢のために、ひたすらバッティングセンターに通うということをやるわけです。イチローがなぜそういうことができたかというと、夢を実現するためには、やっぱり毎日練習をしないとだめだという、「今」が決められるわけですよ。

しかし夢がなければ、今何をやっていいのかが決められない。やりたいことをやって、挙句の果てに虚無的になっていって、面白くなくなっていって、「どうでもいいや」と意図なき殺人事件を起こしたりする、ということになってしまう。だから、今日起こっている様々な問題の90パーセントは、夢を持っていないというところに原因があるのではないか、と私は思います。

ひいては日本の国も、国としての夢を持っていない。「坂の上の雲」を持っていない。明治維新のときには、良かれ悪しかれ、富国強兵とか殖産興業とか、そういうものを通して列強に伍してゆくというような目標、国民目標がありました。そして戦後、太平洋戦争・大東亜戦争で負けて、都市は廃墟になってしまった。我々の先輩たちは、日本を何とか繁栄・発展させていこうと。そこで合言葉になったのが「アメリカに追いつけ追い越せ」ということです。それが「坂の上の雲」だったわけで、みんな一生懸命、日本の繁栄を実現しようという気持ちがありました。

しかし、高度経済成長という1980年代のピークのあと「坂の上の雲」が忽然となくなってしまいました。アメリカにほとんど肩を並べるようになってしまった。そして「坂の上の雲」がない状態のままに、1990年代、2000年代に突入します。だから日本人は、日本の国は、「無夢病」、夢がない病気に陥ってしまっている。これが今日の、政治や経済が低迷し、国力・民力が衰退していっている根本的な原因だと思います。

―今の若者に虚脱感がみられるということですが、どんな時に強く感じますか。

今の若い人たちと話しているとね、小さい話しかしないんです。車の免許取りたいとか、給料の高い会社に入りたいとか、きれいな女の子と付き合いたいとか、あのタレントはどうだとか、カラオケに行ってどうだったとか、そんな話しかしない。

本来ならばね、私なんかは学生時代、政治学科でしたから余計にそう思うのかもしれないけども、書生論っぽかったかもしないけれども、少なくとも日本の将来をどうするとか、日本の国をどうしなきゃいけないとか、「大風呂敷」みたいな話をしていたわけです。日本を救うのは俺たちだと。それで皆どうなっているかといえば、その思いを持ち続けないで定年になってプラプラしてますけど、私は志を失ってませんからね。死ぬまで夢を追いかけてチャレンジしていこうと思っていますけれど、若い時にそれだけ語っていても、60になっちゃうと、そのへんを散歩する人間になっちゃうわけです。ということは、小さいこと・身の回りのことしか今考えていない皆さん方を見ていると、日本の将来に危機感をいっそう感じます。皆さん方の時代には衰退するなあ、と感じてなりません。

そういう意味で私は、今の若い人たちに伝えたいことは「大風呂敷のススメ」です。大風呂敷を広げる、俺が日本を救ってやるんだとかね、世界のなかで日本をこうしてやるんだとかね、世界を動かしてやるんだとかね、俺は将来国連本部で演説して世界の平和を訴える活動をするんだとかね、そういうことを考え、そのために今何をやらなきゃいけないのかを、考えなきゃいけない。

江藤新平は明治維新の時「大風呂敷」と言われたけれども、今になってみると、江藤新平の言ったことは正しかった、ということになっている。松下幸之助の言葉に「棒ほど願って針ほどかなう」―これはことわざでしょう―というのがあるけれども、棒ほど願って針ほどしかかなわないのに、今の若い人たちは「針ほどしか願わず何も生まれてこない」という状態なわけです。

坂本龍馬でも大久保利通でも西郷隆盛でも吉田松陰でも高杉晋作でもそうだけど、彼らは大変なものですよ。こんな言い方すると差別になるかもしれないけど、鹿児島や山口や土佐なんていうのは、当時にしてみれば辺鄙なところです。田舎も田舎、ど田舎ですよね。そういう所で生活していて、若者が日本の危機を鋭敏に感じて、日本を良くしていかなければいけない、と思って取り組んでいったわけです。




◆ 東大より京大に期待 ◆

―かえって田舎のほうが問題意識が芽生えやすい、という面はありますね。

芽生えやすいですよね。だから、東京大学よりも京都大学のほうが芽生えやすいんですよ。そういうことは言えるかもしれませんが、私は、京都大学は東京大学よりも上だと思っています。東京大学は阿呆がいく大学だと。東京大学というのは、いわばブランドで行く大学であって、京都大学のほうは、本当に勉強したい人が、目標を持った人が選んで行く大学だと思っています。そういう意味において、京都大学の学生さん達に期待するところは非常に大きい。

やっぱり、坂本竜馬たちもそうだけれど、渦の中で巻き込まれていると分からないけれども、渦の外にいるという地理的な条件に助けられて、冷静に日本の将来を見つめることが出来て、明治維新というものが、坂本竜馬に代表される志士たちによって実現することが出来た。

京都大学の学生さんたちが中心となって、東京に攻め込んでいくべきだと思います。そして中央集権をやめて、私が唱える地域主権型道州制にして、地域にもっと主体性を持たせて、多様化・多面化した「ミラーボールのような日本」を作り上げていって、また陽を昇らせる。そういう日本にしていこうということを、やっぱり京都大学の人が先頭を切ってやっていくことが、極めて大事だと思います。

東京大学は駄目ですね。言ってみれば、官僚に首根っこを押さえられてしまっていますから。学生時代からあんたはウチの省に来いよとか、面倒見てやるよとか、それとなく言われてるわけです。だから硬直化した、全く役に立たない官僚ばっかり作り上げている。単なる学校にすぎない。やっぱり京都大学で、冷静に日本の国をどうするか考えて、変えてゆくんだと。京都大学の学生が、平成維新の坂本竜馬になるんだという気概をぜひ持って欲しい。そして出来ることならば、京都大学の人たちが地域主権型道州制を理解して応援して、一緒になって活動をしてくれないかな、と思っています。




◆ 松下幸之助の弟子として ◆

―道州制を考えるようになった発端は・・・?

1968年に松下幸之助さんが「廃県置州」という考えを発表したんです。県単位の狭域行政は非効率を生み、税金を無駄に使うばかりだ、だから州に変えて広域行政をやって、もっと効率の良い、税金の安くて済むような日本を作らなくてはならない。それは廃藩置県と一緒ですよね。それを、松下幸之助さんと今までずっと検討してきたんです。広域行政の研究自体は、ずっと前から、戦前も含めて長い歴史を持っています。ですが、非常に熱を帯び始めると言いますか、議論されるようになってきたのは、1968年の松下発言によるところが大きいと思います。

それをきっかけにして、道州制議論は上がったり下がったりしてきました。しかし、もうそろそろ本気になってやらないと。中央集権のパイプに穴が開いてきた以上は、真剣にやらないと駄目だということで、私はPHP総合研究所の社長を退任し、これから、地域主権型道州制の実現に全力を挙げようと思っています。

顧問や相談役で残ってくれという要望もあったのですが、地域主権型道州制に専念するためには、そんなことやってたら・・・。私は残りの命15年と考えていますからね。85歳まで、と。その間に、自分の命を懸けて、一歩でも二歩でも地域主権型道州制を実現して、皆さん方にその行く方向と、出来ればその中で地域主権型道州制を実現して、皆さん方にお渡ししたい。

そりゃね、ボウボウと燃える山火事、その中にバケツ一杯の水をエンヤコラと掛けるのと同じで、山火事は消えないんじゃないんですか、と言われるかもしれない。だけど私としては、バケツ一杯の水でも掛ける努力をして死んで行きたい。私は死を意識していますからね。

皆さん方はこれから50年ですよ。だけど私はもう15年ですから。15年をいかに皆さん方に対して役に立つ働きをするのか。自分の生涯をささげることが出来るのは、若い人たちにね、以下に自分の命を捧げることが出来るかって言う、そういう活動をしてみたいというふうに思っているわけですよ。

―死を意識するようになったというのは・・・?

松下幸之助さんの考え方どおりにやっています。私は、松下幸之助さんの歩んできたことをトレースしていると言いますか、せめて松下幸之助さんが実現できなかったことを、自分なりに弟子として、また松下幸之助の考え方の伝道師として、人に言うだけではなくて自分自身実行したい、と。

そりゃあPHPに残ったほうが給料も良いでしょうしね、カネも貰える。でもカネとかそういう問題じゃないんです。貧乏してもいいから、とにかく「良い日本」を若い人たちに渡したいんです。あるいは良い方向性というものを作り上げて渡したい。それが今、我々の世代の使命ではないだろうかと思います。だから私は、若い人たちのことを思えば思うほど、そして自分の子供たちのことを思えば思うほど、やっぱり命がけで、たとえその途中で命を落としたとしても、それを持って銘すべしだと思うんです。

私の作った俳句に「弁慶の 死に方やよし 春の雷(らい)」というのがあります。弁慶は立ったまま死にました。槍を射かけても射かけても倒れなかった。そういう死に方をしたい。それから「まわっているコマは倒れない」という言葉が好きなんです。だから最後までね、命が続く限りまわり続けて、命を若い人たちのために使って死んでいきたい。人間、誰でも死ぬからね。そういうふうに死んでいきたいという思いを、強く持っています。

―ありがとうございました。


えぐち・かつひこ

1940年名古屋市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。松下電器産業株式会社入社後、PHP総合研究所へ異動、松下幸之助のもとで23年間、直接指導を受ける。2004年から2009年まで同研究所社長。現在、株式会社江口オフィス代表取締役社長。

内閣官房道州制ビジョン懇談会座長、名古屋市経営アドバイザー、地域主権型道州制国民協議会会長、NPO法人武士道協会副理事長、経済同友会幹事、美ら島沖縄大使、内閣総理大臣諮問機関経済審議会特別委員、松下電器産業株式会社理事、大阪大学客員教授などを歴任。

著書に『日本経済危機突破論』『地域主権型道州制』『脱「中央集権」国家論』『成功は小さい努力の積み重ね―松下幸之助の言葉を読み解く―』『松翁論語』など。



《本紙に写真掲載》