文化

〈新刊紹介〉 平野啓一郎著「ドーン」

2009.11.08

今から20年後には、私たちは宇宙進出を果たしているのだろうか。実際のところはよくわからないが、コンピュータやインターネットなど近年の技術進歩のスピードを考えると、可能性は十分あるのかもしれない。本書はそんな近未来の2033年を舞台にした小説だ。といっても、宇宙での冒険とロマンを描いたSF作品というわけではない。主人公は人類初の有人火星探査を成功させた宇宙船「DAWN」のクルーの一人、佐野明日人であるが、問題となるのは地球に帰ってきた彼らを取り巻く政治的陰謀や人間関係だ。著者はそれらを通して、「個人の在り方」について新しいアプローチをしていると私は思う。

作品中では、ディヴィジュアリズム(dividualism)なる新しい思想が提唱され、一般に定着している。これは著者自身がindividual(個人)という語から作った造語である。Individualはもともと「分けることができない」という意味であり、そこから「個人」の意味が発生したことは一般的に知られている。しかし、「個人」は「本当に分けることができない」のだろうか。私たちは日常的に複数の対人関係を持っており、無意識のうちに「自分」を使い分けている。肉体的には一人の人間でも、相手によって「自分」が変わる。この現象を分人化(dividualize)と、そして一つ一つの「自分」を分人(dividual)と呼ぶ。そして個人とは、複数の分人が緩やかにつながって存在しているのだ。この考え方をディヴィジュアリズムと著者は名づけた。

ああ、なるほどと思う。床屋のおっちゃんと話すときと、恋人と電話で話すときとでは確かに言葉づかいや声のトーンは変わるものだ。私たちは器用にも、意識せずともそういう切り替えをちょくちょくやっている。その時の流れで口をついて出てきた言葉を、後で振り返ってなぜあんなことを言ったのかと後悔するのも、著者の言葉を借りるならそれぞれが違う「分人」が現れているからである。

また時に「あれは本当の自分ではないのに」と思うこともある。しかしながら、「本当の自分」は本当に存在しているのだろうか。無数の分人が数珠のようにつながりあって「個人」が形成されているのならば、その玉の中から一つをとって中心と決めても、再びそれを探し当てることは不可能である。あえて言うならば、数珠によってできる円の中心こそが「私の中心」なのかもしれないが、結局それは一つ一つの玉がつながることで初めて成立するのであり、玉の存在なしにはどこにもないのである。(書)