企画

京大入学者の30年 地域・高校・家計の傾向をみる

2024.03.16

京大に入学するのはどんな学生だろうか。全国の難関高校の優等生? 関西圏で育ち、京大を身近に感じてきた高校生? 「自由な学風」に惹かれて遠方から受験した若者? それとも、小学生の頃から塾に通った中学受験組だろうか?

入学者の傾向や属性は、時代によって変化してきた。時代が移れば、若者が大学に求めるものも、属性による制限も、京都という土地が持つ意味も変わるからだ。90年代から現在までどのような若者が京大とその文化を担ってきたのか、その30年の一端を紐解いてみよう。(編集部)

目次

「学風・伝統」に憧れる入学者 減る
教育史専門の人環・石岡学准教授に聞く


「学風・伝統」に憧れる入学者 減る


1991→2000

出身高校


京都名門公立の失速

90年代の入学者の変化でまず目に留まるのは、京都出身者の減少だ。91年の344人から2000年の285人と、約17%減った。

『京大合格高校盛衰史』(小林哲夫著)は、京都の公立高校からの合格者数の停滞を指摘する。かつて京大に大量の進学者を出した洛北、朱雀、鴨沂、堀川(すべて京都・公立)からの合格者は各1桁に落ち込んでいる。この背景には、1950年に京都府が高校入試に導入した「小学区制」の影響がある。公立数校ずつをまとめた「学区」をつくり、学区ごとに受験生の合否を決める制度だ。合格者がどの高校に進学するかは通学距離などにより決定された。高校間の学力格差を是正する目的があったが、受験生は進学高校を選べないこの制度を歓迎しなかった。その結果、私立校に人気が流れ、公立高校の凋落に繋がったとされる。なお、同様の制度は全国の自治体で採用され、各高校の難関大合格実績に大きな影響を与えた。

一方、京都の私立高校は堅調だ。この期間、洛星(京都・私立)と洛南(京都・私立)がほぼ毎年上位3位に入り、各100人ほどの合格者を出している。

女子校


関東私立の存在感、東大に関西校進出

京大に進む女子の動向はどうだろうか。残念ながら出身地方の男女別データは公開されていないが、女子校からの合格者数を追うと、その変遷の一端が見えてくる。1970年代から80年代は神戸女学院(兵庫・私立)が女子校の中で頭ひとつ抜き出た合格者数を維持した。80年代半ばから、京大に進学する女子の全体数が増えるのに伴って、ノートルダム清心(岡山・私立)、四天王寺(大阪・私立)などの近畿・中国地方の私立女子校が安定的に合格者を伸ばした。

他方で同時期から、東京の私立女子校が、女子校に限ったランキングの上位に食い込むようになる。私立「御三家」と呼ばれる桜蔭、女子学院、雙葉(いずれも東京)などだ。90年代以降、今度は東大への合格者が多い女子校のランキング上位に、関西の高校が現れ始める。女子を遠方の大学にやることを許す親が増えたという事情か。

2001→2010

収入


仕送り減少、全国平均額の6割

京大生のふところ事情はどのように変化したか。2001年から09年まで、京大が在学生に対し、主な家計支持者の年収を問うアンケートを行っている。調査が行われたほとんどの年で、「600万円以上900万円未満」「900万円以上1200万円未満」と答えた学生の割合の合計は5割を越えるものの、01年の58・9%から09年の52・1%へと、6ポイント以上減った。他の各階層では、割合の大きな変化はみられない。

なお、東京大学が行う学生への調査では、この時期に低所得家庭出身学生の割合が増加している。家計年収が450万円未満の学生の割合が16・1%(1999年)から27・1%(2011年)へと、11ポイントの増加だ。京大では低所得層に大幅な増加は見られなかった。

次に、京大生自身の平均月収は、2001年には12万3400円であったのが、2011年には10万7210円に。10年で13%の減少となった。特に減った項目は、家庭からの収入(6万5700円から6万960円)と奨学金(2万7000円から1万7720円)だった。

日本学生支援機構が全国の大学生を対象に行った調査でも、この時期に家庭からの収入が大幅に減少した。また、京大生が家庭から受け取る収入は、全国の学部生の平均の約6割ほどであった一方、アルバイトによる収入は学部生平均とほぼ相違ない水準だった。

動機


「伝統」から「社会的評価」へ

京大による2001年の調査では、入学した動機の1位に「京都大学の伝統や雰囲気に憧れて」を選ぶ学生が最も多く27・8%で、ついで「社会的評価が高い」が16・5%だった。「伝統や雰囲気」は03年も1位となったが、05年を境に変化が起こる。「社会的評価」(22・3%)が「伝統や雰囲気」(16・4%)を抜いたのである。07、09年の調査でも「社会的評価」がわずかに「伝統」を上回った。

就職地域


首都圏志向強まる 京阪神人気も

2001年の調査では、就職を希望する地域について、首都圏を挙げた学生は8・8%だった。京阪神地区が40・6%であるのに比べると極めて低い。2009年の調査では首都圏が18・1%と大幅に増えたが、京阪神の人気は依然衰えず、38・7%だった。

2011→2023

出身地域


関東勢の台頭、近畿出身は減る

2010年代以降、京大への入学者を大きく増やしたのが関東地方だ。京大が発表する入学者の出身高校所在地の統計によれば、2010年には243人だった入学者は、20年には394人、23年は430人となった。

代わりにこの時期、近畿地方からの入学者減少が目立つ。特に近畿地方(大阪・京都を除く)からの入学者は激減した。志願者数は2028人(2010年)から1537人(2023年)、入学者数は838人(2010年)から624人(2023年)だ。

他方で、いわば「京大受験生の大型供給元」となってきた京都府・大阪府の高校では微減するにとどまった。2023年度入試での入学者は大阪が445人(2010年は517人)、京都が291人(2010年は302人)。また、京都からの入学率(出願者に占める入学者の割合)は41・9%で、他の地域と比べて高い(全体では36・7%)。「本命受験」組が着実に合格している、あるいは高校や塾における、地元ならではの的確な受験指導の賜物とも考えられるかもしれない。なお、関東地方の入学率は30・5%で、平均より低い(※)。

(※)東京の予備校で浪人した筆者の体験からいえば、関東における受験観ではしばしば、国立の最難関は東大であり、その次に京大・一橋大・東工大が並ぶとされる。そのため、学力最上位層が東大を志望する傾向が非常に強い。また塾や予備校には京大に特化したコースが少なく、夏休みには関西圏の校舎から「京大に強い」講師を招いた講座が行われるなど、「京大対策」のノウハウで本場・関西に劣るという空気がある。つまり、関東地方からの入学率の低さには、①京大受験者層の学力が関西に比べ低い、②京大入試対策が関西に比べ不十分である、などの要因が考えられる。(田)

東大に目を向けてみよう。2021年の在学生に行った調査で、高校生時の居住地は、東京都が25・8%、東京を除く関東が28・8%で、合わせて54・6%を占める。これは京大における近畿地方(京都・大阪含む)出身学生とおおよそ同じ割合である。他の地域について両大学を比べると、中部地方が京大で15・9%なのに対し東大では13・1%と、京大でやや高い。また、中国地方出身者は京大で、東北地方出身者の割合は東大でわずかに高い傾向がある。一方で、北海道、四国、九州・沖縄ではいずれも、京大と東大での割合に差はほとんどない。東大や京大から遠い地域では、より近い大学へと進学する傾向は見られないようだ。地理的な遠近が受験生の進学選択により影響を与えるのは、東大・京大に近い地域である。

出身高校


公立高校の復活劇

高校別に見ると、2010年から17年までは洛南(京都・私立)と西大和学園(奈良・私立)が、18年から23年は北野(大阪・公立)が最多の合格者を出した。

60年代以降、学区制は大阪府の公立高校入試にも導入された。特に、『京大合格高校盛衰史』によれば、73年に5学区から9学区に変更したことで、大阪の名門公立高校が高学力層を集められなくなった。70年代後半から北野、天王寺、大手前(大阪・公立)はいずれも京大合格者数を激減させた。減少幅が比較的小さかった北野は、2010年代にじわじわと合格者数を回復し、18年に1位に返り咲いた。34年ぶりだった。

収入


授業料支払い困難の学生が大幅増

京大の調査によると、2011年の京大生の「家庭の収入」は次のとおり。300万円未満が9・1%、300万円以上600万円未満が17・8%、600万円以上900万円未満が27・8%、900万円以上1200万円未満が24・9%、1200万円以上2000万円未満が10・0%、2000万円以上が3・4%。

一方、2015年には300万円未満の家庭が22・5%となり、16ポイント以上の大幅な増加を見せた。

2010年代前半、授業料を免除する制度に申請した学生は増加した。2011年度に申請した学生は1989人、17年度には3017人と、約1・5倍に膨らんでおり、授業料の支払いが難しいと感じる学生が増えたことがわかる。審査の結果、何らかの免除が認められた学生は2011年に1856人、17年度には2202人(人数はいずれも、前期・後期の合計のべ人数)だった。

なお、経済的理由で授業料免除を受けるには、大学が定める世帯収入を超えず、かつ成績が一定の基準を満たす必要があるため、必ずしも京大生の家計状況を正確に反映するとは限らない。

参考資料
小林哲夫『京大合格高校盛衰史』(光文社、23年12月)
小林哲夫『東大合格高校盛衰史』(光文社、09年9月)
『京都大学学生生活実態調査報告書』
京都大学百二十五年史編集委員会『京都大学百二十五年史』
『日本学生支援機構(JASSO)学生生活調査』
『東京大学学生生活実態調査報告書』
代々木ゼミナール公式ウェブサイト「出身高校等所在都道府県別 志願者・入学者」
京都大学『入学試験諸統計』

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教育史専門の人環・石岡学准教授に聞く


女子の少なさ、周囲の「ひと押し」ない


――京大の学生に占める女子の割合は、2000年代初頭からは約20%でほぼ変化していません。増えないことにどのような理由があるでしょうか。

いまでも親が娘を遠方に進学させたくない、という傾向は根強くあります。そのため、地方では、強いモチベーションがないと、女子が都市部に位置する難関大学に進学することが難しい。

また、女子の進学という観点から、東大・京大は、その他の難関大学に比べても特異なのではないかと思います。東大や京大の入試を突破するには、少し無理をして受験勉強に自分を追い込むことが必要になります。男子に比べて女子には、親や教師などの周囲から、この「無理」に向けて若者を焚き付ける「もうひと押し」がかかりにくいのではないでしょうか。東大・京大への女子進学者が増えるには、大人たちが優秀な女子学生のモチベーションを、同じ学力・意欲をもつ男子学生と同じように引き上げることが必要です。

入学動機の変化「学風」の変質を反映?


――2000年代、京大の入学動機が「伝統・学風」から「社会的評価の高さ」にシフトしています。

私自身も「自由の学風」に憧れて京大に進学しました。兵庫県の高校だったので、教員に京大出身者が多かったし、彼らが京大のことを悪く言わなかった。そういうことから高校の同級生の多くも京大を志望していました。京大でも、私の在学した時期にあたる2001年の調査では、「学風」が1位なので、同じように考える学生は多かったのだと思います。その後、「社会的な評価」に抜かされますが、一方で「自由の学風」は常に上位であり続けています。また、「私大に比べて授業料が安い」という動機も毎年上位に来ていますね。

――東大の同時期の調査では「学風に憧れて」は志望動機の6位(2001年、「その他」のぞく)、1位は「社会的評価が高い」です。京大と東大に進む学生には、進学動機に違いがあるようです。京大で「社会的評価」が増えているということは、受験生にとって京大が「東大化」しているのでしょうか。

京大は2004年に国立大学法人になりました。各大学が自律した運営を求められるようになったということです。その結果、大学はリスクを冒しづらくなった、安全志向になった側面があると思います。偶然かもしれませんが、この時期に「学風」が2位に転落しています。京大も、他大学と比べて、ランキングの上位に食い込めるか、研究資金を集められるかを競うことを意識する時代になった。その「学風」の微妙な変化を、若者が敏感に感じ取ったあらわれ、と言えるかもしれません。

「吸い上げる」京大 地域格差を助長


――多くの有名大学が3大都市圏に位置し、卒業生の多くが大都市で就職します。京大を含む有名大学は、地方から優秀な学生を都市部に吸い上げる装置として機能しているのでしょうか。

そう思います。一方で、地方には、大学進学を希望する若者全員を吸収するだけの大学定員がないこともしばしばあります。「若者が地方を無視して都会に出ていく」という像を描きがちですが、県内には十分な大学定員がないので県外へ流出せざるをえないというわけです。

大学は大都市に偏っていますし、大都市の有名大学に就職した人は卒業後に高い社会的地位に就きやすい。若者は大都市への進学を希望するというより、このような構造の中で大都市に「吸い込まれている」と言えるのでは。その意味で有名大学は、地方と都市の格差拡大の片棒を担いでいると言わざるをえません。

――地方から大都市圏の有名大学に進学する学生が増えると、学生個人の機会は向上する一方、地域格差は広がっていきます。是正するにはどうしたらいいでしょうか。

高等教育に公的な財政をもっと投じることだと思います。日本には私立大学が多くありますが、経営面から私大は地方には「出店」しづらい。実際、有力な私立大学は都市部に偏っています。どの地方でも偏りなく高等教育を受けられる環境を整えようとするなら、公的に整備するほかないでしょう。

入試の難易度によって優秀とされる大学の序列が作られていることも、地域格差を助長しているように思います。地方ではより優秀な若者ほど、都市部の難関大学を目指して出て行ってしまうからです。

「吸い上げられる」京大首都圏就職増


――ひるがえって、就職で首都圏に卒業生が「吸い上げられている」とも言えます。10年代には、首都圏での就職を希望する学生が増えました。

「首都圏で就職したい」なのか、あるいは一流企業とされる就職先を希望したら結果的に東京勤務になった、ということなのかもしれません。東京への一極集中化は現在も進んでおり、人口が東京へ流出していくことは京大だけの問題ではありません。関西で学生を教えても彼らの多くが卒業して首都圏に行ってしまう状況には、教員として忸怩たる思いもあります。

――東京一極集中が進む中、東京の大学に行く傾向も強まっているのではないかと思います。しかし、名古屋を含む中京圏からの京大入学者は増えています。

たとえば愛知県の人は、どちらかといえば関東より関西を意識していると思います。私の前任校である同志社大学でも、やはり愛知県からの学生が多い印象でした。東京と京都の間にあるように見えて、地理的には実はかなり関西に近いです。より遠くにある東京の大学に進学するにはより強いモチベーションが必要になると考えるなら、中部出身者が依然として京大を選ぶのは納得できます。

大都市圏以外では一般的に東京志向が強いので、わざわざ京都の大学を目指す学生には、何かどうしても京大に進学したい強い決め手があるのでは。その決め手になりうるのはやはり、京大の学風や雰囲気なのではないかと想像します。

偏る背景、京大の「自由」に影響は


――京大生のバックグラウンドについて、先生の京大在学時と比べて気になる変化は。

気になるのは、当時から変化したことではなく、私立男子校出身者がいまだに非常に多いということです。2000年代に共学化が進み、男子校や女子校は一気に減りました。いまでは男子校というのは相当レアであるはず。それにもかかわらず、そのレアな背景を持った学生がとても多い。やはり学生のバックグラウンドが偏っていると感じます。

京大の「自由な学風」の自意識とは、戦前の旧制高校の文化から連続したものです。しかしそれは旧制高校に入る非常に限られたバックグラウンドの人々にしか許されない、しかも学生の間だけという期間限定の自由です。京大の掲げる自由にはそうした由来もあるということ も見過ごしてはならないと思います。

――関東出身者が増加し、首都圏への就職志向が強まっている傾向から、東大と同じようなバックグラウンドの学生が京大に進学し、卒業後も東大と同じような進路を辿るようになったと言えそうです。このような状況で、京大はユニークな「学風」を維持できているのでしょうか。「京大の学風」を頭に浮かべて入学した学生が、その学風を実演しているに過ぎないのでは。

それは鋭い指摘だと思います。

――たとえば80年代の京大新聞を読むと、合格者の声として「東大には行きたくなくて」という志望動機が載っていることがよくあります。こうした東大への強い対抗意識を、いまの学生からあまり感じません。

それはまさしく、学風に惹かれて入学する学生の減少を反映しているのではないでしょうか。しかしそれが悪いことだとは思いません。京大生としての自意識が、東大というわかりやすい対抗相手がいないと成り立たないアイデンティティなら、それは脆いものだと思うからです。〈了〉

石岡学(いしおか・まなぶ)
人間・環境学研究科准教授。専門は教育史、歴史社会学。1977年、兵庫県出身。京都大学総合人間学部卒業(2002年)、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。同志社大学文化情報学部助教を経て、2019年度より現職。

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