文化

〈寄稿〉 飯沼和正 「核兵器 廃絶を目ざす 『トリウム原子力』の研究」

2009.05.16

ウラン核燃料サイクルとは別

「トリウム原子力」とは現行の「ウラン核燃料」とは別系統の独立した原子力(発電)技術である。核爆弾の原料であるプルトニウムの産生とは無縁か、もしくはそれの減量に大きく役立つ技術である。だがそれは久しく政治的に〝埋め殺し〟にされてきた。それを今、京都の若手研究者(たち)は気づいて、叫び声を挙げ始めている。歴史的にも京都に深くつながる研究人脈のなかで早くに提唱された。大学の外と内との研究者たちによって独自に進められ、公認されぬまま、相当に高い完成度にまで到達されてきた技術である。

米オバマ新政権の側は独自にこの技術の重要性に気がついている。昨秋、上院にはすでに「トリウム原子力法案」が提出。その一方でこの4月には旧来のウラン原子力法にもとづく重要施策、「GNEP」計画の「断念」が明らかにされている。

研究の自由が公認されている大学で、今こそ、「トリウム原子力」への本格的な取り組みを始めるべきではないか。そのことを深く、切に望みたい。

現行の原発技術体制はウラン系核燃料によって立っている。しかし、このウラン系「核燃料サイクル」には必ずプルトニウム(核爆弾の原料物質)の産生が伴なう。というよりはプルトニウムの産生と利用とを大前提として成り立っているのが、外ならぬ現行の(軽水炉による)原発技術なのである。

この産生したプルトニウムを今は未だ完成していない仮定の「増殖炉」で、燃料として利用する。それを燃やして消化しさらに発電する。そのような仮定に立った理論(「核燃料サイクル」)でもって現行の原発体制は構築されている。

ところが、この理論が、今、崩れようとしている。この「核燃料サイクル」にとって最重要で、かつ不可欠な一環である「増殖炉」の実現が、世界でも、日本でも破たんしかかっているからだ。その開発はすでに頓挫している。それが事態の現況なのである。

にもかかわらず、思慮浅き、日本のリーダーたちや、そして最近までの米国のリーダーたちは(ウラン)原発こそが地球温暖化防止の〝決め手〟だなどと、巨費を注ぎ込んできた。

炭酸ガス・ゼロでもプルトニウムのヤマが

確かに、原発は炭酸ガスこそ放出はしない。しかし「増殖炉」ナキ現行のウラン系核燃料サイクルでは、今後、プルトニウムのヤマが世界各国に厳然として残るのである。日本だけでも、すでに今、70トン程度のプルトニウムを保有している。ちなみにヒロシマ・ナガサキ級の原爆が必要とした原料物質は、プルトニウムであれば、せいぜい8キログラム~10キログラムであった。

「トリウム原子力」の最終的な姿は「熔融塩・発電炉」方式だと目されている。この方式ならば、理論的にプルトニウムはまったく産生しない。しかし、この〝本命〟にたどりつくまでには、少なくとも10年の開発期間を要するであろう(古川和男博士)。

他方、そこに至るまでの〝ツナギ〟として、より実現容易な技術もすでに提示されている。トリウムとプルトニウムとの混合燃料(棒)を新たにつくり、それを現用の発電炉(軽水炉)に装入する。いわゆる「プルサーマル」方式の〝トリウム〟版である(豊田正敏・東京電力 元原子力本部長)。

米国・上院に「トリウム原子力法案」提出

オバマ新政権に変った米国では、すでにこの「トリウム原子力」への政策転換の兆しが見えかかっている。

08年10月、上院へは民主・共和両党の議員が共同提案として「Thorium Energy Independence and Security Act of 08」(「トリウム原子力法案」と略)を提出、行政当局との折衝に入っている(「Nuclear News」誌,、08年12月)。

その折衝の結果か?。米エネルギー省(DOE)はこれまで進めてきた「GNEP」計画の「断念」を、最近、明らかにしている(朝日新聞4月21日付朝刊1面トップ)。

「GNEP」計画とは、ウラン核燃料サイクルを完結すべく、ブッシュ前政権が推し進めていた要(かなめ)の計画であった。

前出の「トリウム原子力法案」は1954年に制定された現行法「Atomic Energy Act」を大きく改変するものだ。

というよりは「ウラン原子力」を対象にした現行法体制に対して、これとは独立的な(Independence)ものとして「トリウム原子力」を対象とする新しい法的枠組みを打ち出すもの―とみられる。

この法案には今後、5年間の予算として、250億円($ 250 million)が盛り込まれている。

何故「京都の大学で…」なのか?

もともと、世界でも数の少ない「トリウム」派ではあるが、何故か、そこには京都の大学の人脈が目立つのである。

主流の権威を〝何ぞ必ずしも〟と疑う、反骨・在野の気風のせいかもしれない。

まず最初に、日本でこの灯をともしたのが、京都・京大の出であった。故・西堀栄三郎博士だ。彼は最初の南極越冬から帰国して間もなく、(旧)日本原子力研究所理事の時期に、この「トリウム原子力構想」(「TMSR」)を打ち出している。1960年ごろだった。

〝世界最初の原爆被災国・日本こそ、これに取り組むべき。経済性・安全性も高い〟―と。

彼は京大理学部の助教授を経て、若くして民間に転出。敗戦後も、原研理事としてのごく短い期間を除けば、生涯、在野の技術者だった。在野の〝大御所〟であった。最後は京都の「名誉府民」にも選ばれている。

その西堀を継承したのが古川和男(現在82歳)。彼は当時、原研の主任研究員(のちに東海大教授)だった。ふしぎな縁だが、2人とも京大理学部の同門である。2人は原研にあって、孤立無援に近かった。

古川は、米国での「熔融塩炉」実験の成果を横目に踏まえながら、これをトリウム系燃料に特化。「発電炉」として理論的にほぼ完成(「FUJI構想」)する。これは海外からも将来の有望候補と目されている(02年には文春新書『原発革命』として公刊。佐藤栄作記念国連大学協賛財団から「最優秀賞」を受けている。「核拡散防止への実効ある提言」という理由であった)。

幸いなことに、このような知的命脈は今日の京都にも引き継がれている。実験系の常置講座こそ未整備であるが、大学の内外には、「トリウム」に心を寄せる若手研究者たちが〝トグロを巻いて〟、出番を待っている。

だからこそ、京都の大学で本格的な取り組みを―と望みたいのである。それは、広島・長崎の、核廃絶を待望する市民たちとも手を組んで。




いいぬま・かずまさ  1932年生まれ。大阪大学工学部(造船学科)を経て京都大学法学部58年卒。13年間、朝日新聞記者。原子力などを担当。90年以降、独立。『模倣から創造へ』(東洋経済新報社刊)など著書15冊。「原爆密造にご用心」(77年8月『中央公論』)、「トリウム・サイクルの検討を」(77年9月『金属』)―などを発表。日本記者クラブ・元会員。横浜在住。