インタビュー

実験的な舞台芸術 京都から発信 KYOTO EXPERIMENT 2023共同ディレクターインタビュー

2023.10.01

実験的な舞台芸術 京都から発信 KYOTO EXPERIMENT 2023共同ディレクターインタビュー

芸術祭のメインビジュアル。今年のテーマは「まぜまぜ」だ(©小池アイ子)

9月30日(土)から10月22日(日)にかけて、京都市内の各劇場など(ロームシアター京都、京都芸術センター、京都芸術劇場 春秋座、ほか)で「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2023」が開催される。2010年にはじまったこの芸術祭では「EXPERIMENT=実験的」な国内外の舞台芸術作品を創造・発信している。

14回目となる今回は、「まぜまぜ」をキーワードに据え、タイ、ブラジル、韓国などの諸外国と日本国内からアーティストを招いて11のプログラムを上演・展示。また、京都や関西の文化についてリサーチを行った成果を発信する「Kansai Studies」、トークやワークショップを通して議論と理解を深める「Super Knowledge for the Future (SKF)」など、特徴的な取り組みが盛りだくさんだ。

共同ディレクターの川崎陽子(かわさき・ようこ)さんに話を聞いた。(田)


――KYOTO EXPERIMENTは国内の舞台芸術シーンにおいて、どのような点が特徴的といえるでしょうか。

KYOTO EXPERIMENTでは、公共の枠組みで発信するからこそ成り立つ実験的な表現を扱っていることが特徴的で、それは商業的には成り立たない実験的なものです。なぜこのフェスティバルが実験的な表現を扱うことができるかというと、公的な組織が入って運営しているからです。KYOTO EXPERIMENTは実行委員会形式で運営していて、構成団体に自治体・公的な文化芸術組織・民間の劇場が含まれており、官民協働で毎年このフェスティバルに取り組んでいることも特徴です。

この実験性と公共性のバランスを保っているという点で、KYOTO EXPERIMENTは貴重だと思っています。公共のイベントでないと成り立たない表現の先端性というものがあるけれど、それは一般的には支持されにくいんです。公的な資金を獲得してそういった表現を成り立たせるということは、とても努力がいります。

いまの社会では資本主義的に意味のないものは排除されがちですよね。つまり「売れなければ意味がない」という考え方になりがちです。ただ、芸術において、その考え方がいつも適用できるわけではありません。KYOTO EXPERIMENTのようなフェスティバルが扱う表現は、資本主義的な社会のあり方に逆行しているかもしれません。だからこそ公的なシステムや資金の枠組みによる運営が必要だ思います。

――「実験的」とはどういうことを指しますか。

私のほか2人で構成する共同ディレクターチームでディレクションをしていますが、私たちは、「実験的」を、何らかのボーダーラインを越えている・越えようとしている、あるいはそこに疑問を差し挟むような表現と捉えています。それは表現のジャンルのボーダーラインを越えるものや、異なる背景を持つアーティスト同士のコラボレーション、あるいは社会的に「普通」とされている概念に挑戦しているものでもいいと思います。

――日本において実験的な芸術を取り巻く状況はどんなものでしょうか。

劇場システムの点では、ヨーロッパのものを踏襲している部分がありますが、社会の中での劇場や舞台芸術の役割はかなり異なると思います。ヨーロッパにおいては、芸術性の高い表現は商業的には成功しないかもしれないけれど、そういうものこそ人々が享受する権利があり、税金が投入されるべきだ、という考え方があります。たとえばドイツの劇場のチケットはとても安いですし、失業者のための料金設定があることもあります。失業していてお金がない人にも芸術を享受する権利は保障されるべきだから、本当は50ユーロのチケットでも、そのうち40ユーロ分は公的な資金でまかなって個人の負担は少なくしましょう、という福祉的な考え方に近いかもしれないですね。

日本の公立劇場のあり方について、「観客の集まらないものになぜ税金を投入するのか」という議論はあって、それに応えるために、集客できるイベントをやらなければいけない部分もあります。しかし、一般的に集客が難しいかもしれない表現にこそ、公的なシステムの援助が必要なはずで、その議論は少しずれてしまっているところがあるように思います。

――芸術祭の中でディレクターの果たす役割は。

KYOTO EXPERIMENTにおけるディレクターの役割は多岐にわたります。最もわかりやすいのはプログラムのキュレーションでしょうか。プログラムは3人の共同ディレクターで話し合って決めています。毎週1、2回のミーティングで、観た作品や気になっている社会的なトピックについて情報交換をしながらリストアップしていきます。

他には、事務局の運営や財務に関わる業務、実行委員会の運営も行います。組織としての意思決定は実行委員会がしています。私たちディレクターは立案したプログラムと予算について、委員会で承認を得ることで初めて事業が実施できます。委員の皆さんともコミュニケーションを取りながら運営するのがとても重要です。加えて、各劇場や京都市など、芸術祭のステークホルダーとのコミュニケーションも必要です。

私たちは広報担当ではありませんが、フェスティバル全体のイメージを伝える仕事もあります。外部イベントへの出演などを通して、このフェスティバルがどういうことを目指しているのか伝えるようにしています。

――キュレーションとは具体的に何をするのでしょうか。

各国の芸術祭や公演に視察に行った時に、「このアーティストを招聘したい」と考えて、アーティストやカンパニーにオファーを出すというパターンもありますし、何年間か気になっているアーティストをフォローし続けて、「今年お願いしよう」となる時もあります。アーティストとの長い関係を大事にしたいと思っています。

プログラムは10〜12程度あるので、ジェンダー・地域・表現のジャンルといった全体のバランスを重視しています。なので、プログラムは順番に決まっていくのではなく、「これを入れるなら、それに対してカウンターパートの役割を果たすものがあった方がいいんじゃないか」などと全体を見て決めていきます。

――キュレーションで意識していることは。

なるべくアジアのアーティストを複数入れるようにしています。舞台芸術祭は、ともすると、マーケットが大きいヨーロッパのアーティストが多くなりがちです。マーケットが大きいといろんな表現が生まれるので、面白いアーティストもたくさんいますし。でも、アジアの中の、日本の中の京都で行う舞台芸術祭として、そういったヨーロッパのマーケットに頼らない選び方をしたいと考えています。

――現代は欧米でもアジアのアーティストの起用が意識的に行われていると思います。

西洋的な文脈におけるアジア系の起用は、多様性の担保が目的ですよね。そこにある種のオリエンタリスティックな視線が必ずあると思います。私たちはその西洋的な文脈におけるオリエンタリスティックな欲求のようなものにいかに対抗できるのかということを考えています。

ただ、私たちにはまた違う問題があります。アジアの中で日本は複雑な立ち位置で、近代から第二次世界大戦の歴史においては加害者なわけです。だから、私たちの中にも、たとえば東南アジアに対してのオリエンタリスティックな視線がありうるということを忘れてはいけないとは思っています。西洋からの視線、私たちのアジアへの視線の双方にオリエンタリスティックなものがあるということを認識した上で、何をやるかが問われていると思います。

――芸術祭の三本の柱のうち一つは「Kansai Studies」です。関西や京都という土地を意識することでどんなことが起こるのでしょうか。

日本の中では、情報や文化、物流など全てが首都圏を通らないと地方に届かない社会的なシステムがあります。ところが、こういう芸術祭が京都にあって、ここから発信していくと、東京を介さないでいろんなところとコミュニケーションできます。そうすることで東京一極集中の現状において、違うモデルを示せるのかなと思います。

たとえば今年、オーストラリアのカンパニーであるバック・トゥ・バック・シアターはKYOTO EXPERIMENTで上演した後、YCAM(山口情報芸術センター)でも上演します。東京で上演されるものが起点となり巡業してくるわけではありません。東京を介さずに海外のフェスティバルやアーティストと直接やり取りできる、あるいは他の地方都市とコミュニケーションができるということですね。

――実験的な芸術作品に触れたことのない観客は、どうしたら芸術祭を楽しめるでしょうか。

興味があるワードを見つけて、その公演にとりあえず一度来てみるのはどうでしょうか。演劇もダンスも、オーディオ・パフォーマンスや展示もあります。表現の形式やアーティストの名前がよくわからなくても、地域への興味でもいいと思います。自分の興味から取っ掛かりになることを見つけてもらえたらなと。

――芸術作品を見たときに「わからない」と思ってしまうことがあります。

このフェスティバルで、「わからない」ことを受け入れることが学べると思うんです(笑)。それはすごく大事ですよね。社会のことが全部わかるということはありえないし、自分の価値観では理解できないものがたくさんあるじゃないですか。実は隣にいる友達のこともよくわからない。「わからない」のは普通のことなのに、それをなぜか受け入れられない、変な感覚になっているのではないかと思います。でも、「わからない」ことを受け入れると、さまざまなことに柔軟になれるのではないでしょうか。だから、「わからない」ことを学ぶ、という姿勢で見てもらえると、ストレスが減ると思います。

でも一方で、「理解したい」と思うことは大切です。「この表現は一体何を言いたいんだろう」と思った時に、いろいろなヒントを探そうとしますよね。そういう鑑賞の姿勢は大事だと思います。結局何が言いたいかわからなかったという結論に達したとしても、「なんでわからなかったのだろう」ということが考えられるはずです。その思考自体を楽しんでもらえたらいいなと思います。〈了〉

プロフィール
川崎 陽子(かわさき・ようこ)
KYOTO EXPERIMENT共同ディレクター。1982年、三重生まれ。2006年東京外国語大学ドイツ語学科卒業後、ベルリン自由大学にて学ぶ。株式会社CAN勤務を経て、11〜14年京都芸術センターアートコーディネーター。14〜15年、文化庁新進芸術家海外研修制度によりベルリン HAU Hebbel am Ufer劇場にて研修。KYOTO EXPERIMENTには11年より制作として参加、20年より現職。