企画

だから私は、京大に。

2023.08.01

すべての選択には理由がある。どの大学生も志望校を選んだきっかけを持っているはずだが、世の中に溢れる体験記ではその訳はあまり語られてこなかったように思える。

本企画では、京大への進学を決めた理由に焦点を当て、6名の編集員が経験談を綴った。

志望動機だけではなく、入学前に思い描いていた学生生活を送ることができているかについても思いのたけを語っている。編集員の体験談が、進路に悩む方の参考になれば幸いだ。(編集部)

目次

総人 遠くで自由に学びたい
理 霊長類学に興味を持って
経済 「陰鬱な科学 Dismal Science」にギャップ萌え
文 鴨川で過ごす青春のすすめ
農 「おもろい」研究に憧れて
文 自由研究が紡いだ縁


総人 遠くで自由に学びたい


ずっと行き場のない焦燥感があった。高校時代の話だ。学校は楽しかったが、同時に嫌いでもあった。ある日、思いつきで留学を志した。高2から2年間、海外のインターナショナルスクールで学ぶプログラムだ。しかし、ペーパーテストの数学で惨敗した。平方完成ができなかったからである。

不合格を知った日、進路を真剣に考え始めた。東京の私立中高一貫校に通っていたから、周りにいるのは「とりあえず東大」の友人ばかり。しかも東大に進んだOBは高校同期のコミュニティから抜け出せない傾向にあった。このままだと一生東京から出られないかもしれない――そう危機感を抱いた。だから、とりあえず京大を受けることにした。

人文系の学問には昔から親しみがあった。実存に苦しむ自分のありようを救ってくれる気がした。だが、人文学のどの分野にするかは決めきれなかった。何を選んでも後悔する厄介な性格が災いした。

そこに光明が差した。総合人間学部を知ったのだ。何でも自由に学べ、しかも当時関心のあった学問の教員が豊富にいる。「なってやるか、総合人間に」。高2の冬に決意した。

落ちたかもしれない、と思ったあの2次試験の日から1年半が経った。総合人間学部は確かに自由な学部だった。必修科目がほとんど存在しない(これは全国的に見ても異例だ)のに加え、学生数が教員数の割に少ないため、希望すれば丁寧な指導が受けられる。学部棟のある吉田南キャンパスは牧歌的で、自由な気風があるとも言えるだろう。

一方、学系(コース)の設計には難があるようにも思われる。学系と関心によっては、専攻と抱き合わせで興味のない分野も学ぶ必要がある。例えば文化環境学系には、建築学と近現代中国文学の講座が同居している。また、総合人間学を謳っているわりに、学際的、分野横断的な学問領域を学べる機会が少ないのも意外だった。ここには京大の、特に人文系にある自由を尊重しつつも伝統を重んじる気風が影響しているとみられる。結局教授されているのは個々の「○○学」であり、それらを接続し学際的に思考していくのは学生の手に任されている。良くも悪くも京大らしい学部だと言えるだろう。

とはいえ、総人を選んだことは比較的後悔していない。「ゆるい」分、学問の楽しさに触れつつも全力で課外活動に打ち込めている。そう悪い学部ではない、と言っておこう。(涼)

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理 霊長類学に興味を持って


私が京大を志望する契機となったのは、高校2年生のときのオープンキャンパスへの参加だ。教員による熱心な研究内容の解説を聞き、研究設備の充実ぶりを見て、京大が研究型大学であることを実感した。参加後に京大の研究を調べるうちに、「ヒトとは何か」という問いに対して、ヒトと系統的に近縁な霊長類を比較対象とすることで答えを探る霊長類学に関心を持った。好奇心を刺激され、この分野において世界をリードしてきた京大の受験を決めた。

入学後、講義での説明が上手ではない教員が多いことに驚いた。例えば、よく知られた原則があり、それに合致しない例外の事象を研究している教員がいるとする。分かりやすい講義を目指すなら、原則を説明してから例外を語るべきだろう。しかし、私が受けた講義では、教員が原則の説明を飛ばして自分の研究について話し続ける始末で、高校や予備校での丁寧で的確な授業に慣れていた学部1回生の私は、内容を伝える気がないのではないかと不信感を抱いた。しかし、修士1回生となった今では、捉え方が大きく変わった。教員側の肩を持つなら、彼らは教えるプロではないのだ。アカデミアの世界で生き残るためには、新規性のある研究を立案して実行する力が最も大事であり、分かりやすい講義を提供する能力は、大して重要ではないらしい。それに、説明が分かりにくいと感じた教員の中にも、その分野の世界的権威や、教科書に載る事象を初めて発見したパイオニアがいる。一流の研究者による講義を受講し、質問に行けるほど近い距離で接したことは貴重な経験になった。

霊長類学を研究したいと思って入学した私は今、その分野の研究室に在籍中だ。一見すると初志貫徹しているようだが、具体的な研究内容は大分変わった。入学当初にやりたいと考えたサルを追いかけるフィールドワークではなく、研究室に籠もって細胞培養や分析を行っている。入学後4年間では、興味を持った分野以外の教員の話を聞く機会が豊富にあり、自分の適性を見つめ直す時間もある。必ずしも入学前の研究の希望を貫く必要はないし、むしろ変更している人の方が私の周囲には多い。

高校までの学習では答えが設定されている問いに取り組むのに対し、大学での研究は、まだ答えが決まっていない問いに取り組むことになる。自分なりに探求したい問いを設定してみることが、京大を志望する際のモチベーション向上や、自分が取り組むことを入学後に模索する上で有用だと思う。(凜)

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経済 「陰鬱な科学 Dismal Science」にギャップ萌え


中学公民で「経済」を習ったときは暗記ばかりで、正直つまらない科目だと思っていた。高校入学後、将来設計の視野を持とうと、大学進学を前提に各学部の扱う分野について調べた。つまらない、という経済学のイメージが覆ったのはこの時だ。

それまで経済学は「おカネの話」だと思っていたし、中学の先生にもそう教わった。だが調べていくうちに、経済学は希少資源の最適な分配を目指すもので、様々な社会課題の解決策を提示できることを知った。「おカネ」にとどまらない「社会」の学問としての顔を垣間見て、新鮮な思いだった。

開発による環境破壊や地球温暖化に問題意識があり、個々の消費者や生産者の行動を扱うミクロ経済学を主に用いる環境経済学の分野に興味を持った。この分野は理論に基づく制度設計によって、経済活動が環境にもたらす負の影響の軽減を目指す。こうした立場に惹かれて専攻を志すようになった。環境学や環境経済学を専門とする研究者が多数在籍していることが、京大を志望した理由として大きい。放任主義的な校風も、縛られることを好まない自分の性格に合うと感じていた。

入学後の学修では、セミナー(ゼミ)と呼ばれる形式が楽しい。文献を読み、その内容について学生どうしで議論するため、一方向的な講義と比べ参加している実感があるからだ。経済学部の科目は講義形式のものが多い。入門・標準レベルの授業では、教科書にある程度沿った内容を扱うためか、成績評価の上で出席を求めないものが多いことは意外だった。講義はゼミのような「参加感」には乏しいものの、研究者としての経験を交えた話をする教員が多く、出席していると面白い。筆者は現在2回生で、標準レベルの授業を複数並行して履修している。「都市経済学」や「公共経済学」など、分野ごとの講義は多くが半年で完結するため、様々な分野に触れることができる一方、高度な理論には立ち入らない。そのため理解は良くも悪くも「広く薄く」なった。

京大は専攻に熱心な学生や教員が多い。研究に取り組む彼らの話を聞いて、別の分野に「目移り」することも多かった。それでも、自身の関心の核は環境や社会に向いており、入学当初からあまり変わっていない。3回生からは各教員が開くゼミに所属し、特定の分野に焦点を合わせて学修を進めていく。環境経済学の研究者のもとで、同じ専攻の学生とともに学べることが今は楽しみだ。(汐)

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文 鴨川で過ごす青春のすすめ


小学生の時、初めて京都を訪れた。東京の摩天楼に囲まれて育った私にとって、京都の歴史ある街並みは新鮮だった。特に、四条大橋からの鴨川の眺めには衝撃を受けた。川べりに並ぶ町家、遠くに見える青々とした山並み、滔々とした川の流れを見てこんなにも美しい風景があるのかと驚き、いつか絶対に京都に住む、と固く心に決めた。自宅に帰ってから更に京都への思いが募り、夕方になると、鴨川の夕焼けの美しさを思い出しては少し涙ぐんだ。

そんな日々を送る中、中学生のときに『鴨川ホルモー』という小説を読んだ。友と語り合ったり、ただぼうっとしてみたり、鴨川で青春を過ごす京大生をうらやましく思った。この小説を読んで、いつか京都に住みたいという夢は京大生として京都で暮らしたいというものに変わり、京大を目指すことに決めた。哲学や芸術、文学に興味があったため、文学部を志望した。モチベーションは高かったが、高校では友人とくだらない遊びに明け暮れ、気づけば受験は終わっていた。もちろん結果は不合格。浪人生活が幕を開けた。後悔のない浪人の一年間にしようと意気込み、毎日猛烈に受験勉強に励んだ結果、なんとか合格した。

こうして今、京大生として京都を満喫している。自転車で京都の町をめぐったり、真夜中に上賀茂神社まで友人と1時間半かけて歩いたりしたこともある。祇園祭の時には、授業をサボって様々な行事に参加した。もちろん、大学生活も満喫している。入学前は、京大は勉強ばかりしている堅物だらけで、数式や化学式で会話をしているのではないかと思っていたが、そんなことはなかった。「くだらない」ことに熱中するサークルがたくさんあるなど、どんなことでもおもろいな~と受け止めるおおらかな雰囲気の人が多く、居心地が良い。また、文学部の1回生は時間割の自由度が高く、興味深い授業を多く受けることができ、知的好奇心が刺激される日々を送っている。

小学生の時、観光客として眺めた鴨川は、京大生として青春を過ごすかけがえのない場所になった。朝は爽やかな風を感じながら自転車を走らせ、夕方には夕焼けが山の端から空全体に広がっていくのを眺め、夜には水面に映る灯りと等間隔カップルを見つめる。鴨川と共にある大学生活は豊かだ。これを読んでいる人たちにも、ぜひ鴨川で京大生として青春を送ってほしい。(子)

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農 「おもろい」研究に憧れて


高校1年生の時、ELCASに参加したことが京大を目指すきっかけになった。ELCASは京大主催の高校生向け科学講座で、文理問わず20分野以上の講座が毎年開講されている。高校の生物の授業をきっかけに生物学に興味を持っていた私は「ミクロとマクロの生物学」という講座を受講し、発生学や植物学など様々な研究の一端に触れ、大いに刺激を受けた。「京大に入ったらこんなおもろいことができるんか」。それまでぼんやりと、地元・大阪の近くにある賢い大学というイメージしか持っていなかった京大を、具体的に進学先として意識し始めた瞬間だった。それからは、暇さえあれば京大理学部の生物系の教授の講演を聴きにいき、その度に「ここに入って研究したい」という思いを強くした。3年生になり、共通テストを受験した。手応えはそれなりで、「まあ、行けるやろ」と高をくくっていたのだが、リサーチで自分が当落線上にいることがわかってショックを受けた。もともと理学部を第一志望にしていた私は、そのとき初めて第二志望にしていた農学部について詳しく調べ始めた。生物学ならなんでも面白いと感じる私にとって、幅広い分野で研究を展開する資源生物科学科はとても魅力的に映った。もっと早い段階で調べておけばよかったと後悔しながら志望を農学部に変更し、なんとか合格することができた。

志望学部を変えたことに悔いはない。学科内で行われている研究を紹介する『資源生物科学概論』という講義で、海洋微生物や植物生理などいくつかの研究に興味をもった。学部の授業の他にはサークル活動も充実している。私は「生物科学の会」という自主ゼミにも所属している。演者が自分の好きなテーマで発表する形式で、毎回全く異なる分野の知見が得られ、とても勉強になる。私も演者として発表を行った。構内の図書館を巡って参考文献をかき集めたり、英語の論文を読むのに悪戦苦闘したり、なかなか大変な仕事だったが、発表を無事に終えられたときは強い達成感に包まれた。先輩の「自分で発表することが一番勉強になる」という言葉を思い出し、自分が成長できた気がして嬉しくなった。周りの友人やゼミの先輩と互いに刺激を与えあいながら、高校時代の「ここに入って研究したい」という思いを忘れることなく、これからも勉学に励んでいきたい。(鷲)

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文 自由研究が紡いだ縁


私が京大を初めて意識したのは、小学6年生のときだ。夏休みの自由研究で戦争について調べているとき、第2次世界大戦中、学徒出陣が行われて大学生が戦地へ赴いたことを知った。軍には逆らえなかったので、親たちや先生たちは声を上げられなかった、と。そんな時、京大の教員が当時採決されようとしていた安保法案に対して反対の声を上げたという新聞記事を読んだ。「学問は、戦争の武器ではない」との言葉に共感し、その気持ちを伝えたくて、手紙を書いた。後日教員から返事が届いた。そこには「これからも歴史の研究に励んでください」と綴られていた。当時京大についてほとんど何も知らなかったが、京大の文学部で歴史を勉強したいという漠然とした夢を抱いた。その後、教員と直接会う機会があり、京大に行きたいという気持ちはさらに大きくなった。成績は伴っていなかったけれど、中学でも高校でも常に第一志望は京大だと言い続けた。共通テスト後迷わず京大に出願したが、結果は不合格。京大を諦めることができず、親にもう一度だけチャンスを下さいと頼み、浪人生活が始まった。2度目の受験では苦手科目で失敗し不合格になったとばかり思っていたが、得意科目で挽回し、まさかの合格。私はついに京大生になった。

京大に入学して、4か月が経った。今は主に一般教養の講義を受講している。私が京大を目指すきっかけとなった教員の講義を受講し、移民問題や優生思想など社会に存在する構造的な暴力について学習している。中高生の時は毎日の生活を送るのに必死で、社会的な問題について学び、考える時間を十分に持つことができなかったが、今は先生や学生との議論を通じて現代社会の課題と向き合っている。

入学した後、生活環境も大きく変化した。親元を離れて1人暮らしを始めたが、思っていた以上に家事の負担が大きい。食事を作り、身の回りを整理するだけで疲れてしまう。朝起こしてくれる親もいないので、毎日遅刻する危険と隣り合わせだ。大学生活では誰とどんな風に過ごすのかという選択はすべて自分に委ねられている。自由と同時に手にした責任の大きさについて考えるたびに、着実に「大人」と呼ばれる存在に近付いていることに気付かされ、身の引き締まる思いがする。やっと掴んだ合格の重みを忘れずに、これからの大学生活を実りあるものにできるよう過ごしていきたい。(史)

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