企画

だってマンガが好きだもの。

2023.06.16

マンガよりも活字を読んでいるほうが偉い。こう考える風潮は、マンガをスマホで手軽に楽しめるようになった今も残っているように思える。

だが、マンガには活字にはない面白さがあるはずだ。今回の特集の目的は、その「マンガ独自の面白さ」を見つめ直すことにある。素材はマンガ研究者の目線と、マンガ好きとしての編集員の読書体験だ。マンガ独自の面白さを生んでいる要素や、読んだときの細やかな心の動きに目を向けた時、きっともっと深くマンガを楽しめるだろう。(編集部)

目次

マンガが読めるのは「普通」じゃない? 京都国際マンガミュージアム学芸員 倉持佳代子さん

マンガはいつも自分のそばに 編集員によるマンガ評特集

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マンガが読めるのは「普通」じゃない?
京都国際マンガミュージアム学芸員 倉持佳代子さん

マンガには活字とは違った面白さがあることは確かだが、ではマンガ独自の面白さは何に由来するのだろう。マンガに関する研究と発信に携わる京都国際マンガミュージアムの学芸員・倉持さんに、いち読者としてのさまざまな疑問に答えてもらった。見えてきたのは、時代を通じた「わかりやすさ」を保ちつつも、その時々に生きる人々を映して変わりゆくマンガの姿と、その味わい深さだった。(凡・桃)

倉持佳代子(くらもち・かよこ)
1983年埼玉県生まれ。京都国際マンガミュージアム学芸員。2008年より同館で様々な展示やイベントの企画に携わる。執筆業も。現在では、京都新聞夕刊『現代のことば』、読売新聞夕刊『いちおし!』にコラムを寄稿。主な著書に『かわいい! 少女マンガ・ファッションブック 昭和少女にモードを教えた4人の家』 (図書の家と共著・立東舎刊)など。

マンガを「卒業」しない時代


――マンガを読むのが好きなんですが、マンガを活字より下に見る風潮も残っているように感じます。
一定の年齢層には根強く残っているのかもしれませんが、10年後にどうなっているかはわからないと思います。

例えばみなさんの親世代にあたる50代あたりでは、マンガが害になると考える人は少ないでしょう。実際、マンガを教材に使いたい、図書館にマンガを入れたいといった問い合わせも増えてきました。京都精華大学の「機能マンガ」という取り組みや当館の「事業推進室」では、理解が難しい内容、例えば複雑な病気について解説するマンガの制作を引き受けています。マンガがわかりやすくて理解を深めるのにいいツールだと、読み手も作り手も気がついてきたのだと思います。

――なぜ、マンガが前向きに受け止められるようになったのでしょうか。
1970年代から80年代あたりのマンガを読んでいた世代から、一定の年齢でマンガを「卒業する」ということがなくなったんです。

『りぼん』や『なかよし』は55年創刊ですが、当初は「お母様のページ」という保護者向けのコーナーがありました。読者の親の目を意識し、教育的な要素を気にしたページがたびたび見られました。しかし、70年ごろにそれがほとんどなくなります。かわりに読者の投稿コーナーなどが増え、マンガの内容も恋愛要素が増えていきました。10代でデビューする作家も増えて、作者と読者が近い存在になったことは大きな理由のひとつかもしれません。さらには『りぼん』の次には『マーガレット』をというように、年代に応じたマンガを読む、という流れも生まれ、成長してもマンガを読み続けるのが当然になった。それがマンガへの抵抗感が薄れていった理由のひとつでしょう。

マンガという「言語」に気づく


――そもそも、なぜマンガはわかりやすいのでしょう。
マンガには、わかりやすくするためのたくさんの「お約束」があります。例えば「♫」のような音符は、マンガ独自の記号である「漫符」の一種ですが、ひとつついたら機嫌がいいことを、複数なら歌を歌っていることを表します。フキダシでも、四角いものはナレーション、ツノがついたものはセリフを表すといった使い分けがある。そうした「お約束」を理解してマンガを読み解く力、私たちはこれを「マンガリテラシー」と呼んでいます。

マンガを「読める」って、実はすごいことなんですよ。母語と同じように、誰に習ったわけでもなく身についているから気づきにくいだけです。実際、マンガに触れないために読み方がわからないという子どもも増えています。自分の「マンガリテラシー」を自覚すれば、マンガの読み方がまた少し変わってきます。

漫符を楽しくひもとく一冊
鳥獣戯画をアレンジし、100種類以上の漫符を解説した、いわば「漫符事典」。四コママンガ集としても楽しめる。

『ギガタウン 漫符図譜』
こうの史代/朝日新聞出版/2018年1月


音符の用例を描いたページ



――たしかに、普段マンガを読まなくても「読み方」はわかっている人が多い気がします。
マンガはそこらじゅうにあふれていますからね。単行本の形をとった、いわゆる「マンガ」を読む習慣がなくても、工事現場やお店の看板にデフォルメされたキャラクターが描かれているとか、マンガ的な表現に出会う場面も多い。教科書にマンガが載る場合もあります。マンガの表現が日常にあふれているからこそ、自然と読み取る力が身につくのでしょう。

――マンガを「読める」ことのすごさに気づくと、作品の見え方も変わってきますね。
「マンガリテラシー」という言葉を知っただけでも、意識的に読めるようになりますよ。何気なく読んでいる1ページにどんな意味があるのか考えてみる、それだけでも違う読み方ができます。なぜこのシーンが気になるのか、自分がこう読み解いたのはなぜかといったように、自分自身の感情の動きを出発点にするのも良いでしょう。

「マンガリテラシー」を逆手にとった表現も面白いですよ。『ガラスの仮面』の白目のシーン、見たことはありますか?今はSNSでよくネタにされていますが、70年代の少女マンガでは、シリアスな場面で使われる表現でした。それがギャグマンガなどでお約束をあえて破った使われ方をされたことで、今ではちょっと面白い表現として認知されています。

Ⓒ美内すずえ/白泉社


客席からの野次で主人公・マヤの「仮面」が外れるシーン。マヤの衝撃が白目で表されている。『ガラスの仮面』第16巻より。


――「お約束」をわかっていても、書き込みの多いバトルマンガなどでは、状況を読み解くのが難しく感じるときもあります。
絵の上手さとマンガの上手さは別ですからね。フキダシの流れやコマの割り方で、視線がどう誘導されるかが全く違ってきます。「お約束」からはずれていれば、読みにくいと感じる部分もあるでしょう。

あえて読みづらくしている可能性もありますよ。スムーズに読めるマンガと、読みづらいと感じるマンガを比べてみるのも面白いです。何が違うかに気づくことが、それぞれのマンガのすごさを発見する第一歩になると思います。

――ありがちな表現に疑問を覚える場合もあります。ヒロインが「か弱い女の子」だったり、容姿で評価されていたりすると、肯定的には受け止められないというか。
マンガの「お約束」はわかりやすいぶん、時に差別的です。エプロンを着ておたまを持った女性は「お母さん」を表すとか、「〜アルヨ」という語尾のキャラクターは中国人だとか。

マンガは読者に読まれるもので、その当時の読者にいかに分かりやすく伝えるかというのが重要です。だからこそ今の時代に合わせた表現が出てくるのでしょう。エプロンとおたまの「お母さん」という記号も、数十年後には通用しなくなっているかもしれません。そういった表現を意識的に除くという作家さんも出てきました。

マンガは常にその時々の世相や思想、読者の姿を反映しています。少女マンガ誌の付録で、90年代までは、バレンタインは男の子にあげるためのチョコの包装紙が付録になることが多かったのですが、今は皆無です。恋愛至上主義の作品が減ってきているのも、読者の姿を反映した結果だといえます。

増えては消えるSNSのマンガ


――マンガを読めない子どもも増えていると仰っていた一方で、マンガがより身近になっている印象もあります。
とにかく電子書籍の躍進が大きいですね。紙だと手に入らないような古い作品も復刻しやすいですし、コロナの巣ごもりで需要も増えました。

新たな作家が作品を公に発表しやすくなったことも重要です。これまでは雑誌に投稿して、デビューして連載してそれが単行本になって……というのが一般的な流れでした。今はツイッターでアップした作品がバズった(※)結果、出版に繋がるケースも多い。作家の間口が広くなった分、マンガに触れる機会も増えているでしょう。

ただ、YouTubeなどが浸透し、マンガは子どもにとっての一番の娯楽ではなくなりました。読む人が減っているというよりは、マンガと触れ合わないまま終わる人が増えてきた、というほうが適切でしょう。

※バズる:SNSやインターネット上で、あることがらが多くの人から注目を浴びること。

――確かにスマホで読むことも多くなりましたが、「紙派」からすれば少し心配です。
紙で読む人が減っていることは確かです。でも紙と電子それぞれに合う形態の作品は違いますから、共存していくと思いますよ。例えば、エッセイマンガは電子向きのジャンルだと思います。素早くスクロールしてすぐ次の作品を読む、それぐらいのリズムで読むのにちょうどいい印象を受けます。SNSの発達で作品数がどっと増えたジャンルのひとつですね。

――マンガが社会現象を起こすことも多い印象です。そういった作品こそが優れたマンガなのでしょうか。
もちろんマンガとして優れているところもあるのでしょうが、「売れている」マンガに共通するのは、作品との出会い方が幅広いことでしょう。

日本のマンガの特徴として、さまざまなメディアに展開する点が挙げられます。単行本として出版されるだけでなく、アニメや舞台、グッズやさらにはパチンコにまで広がっていく。作品との出会いのきっかけが、必ずしも原作マンガではない状況になっています。『鬼滅の刃』もアニメがまず人気になりましたし、最初から原作を読んだ人は少ないのではないでしょうか。隣の友達が『鬼滅の刃』のマスクを持っていてそれで知った、という小学生もいるのではと思います。

――ジャンルも多様になってきたと感じます。
ジャンルの細分化の流れが始まったのは70年代後半です。ホラーマンガを集めた雑誌や、極端な例だと、嫁と姑の確執を描いた作品だけ集めた雑誌とか、様々な雑誌が登場しました。その流れが今も続いているという状況です。マンガアプリやSNSの発展でさらにジャンルが多様になったと感じますね。

――作品を発表しやすくなったからでしょうか。
そうです。プロでなくても、実体験に共感してもらおうとマンガを描いて載せる人がいます。そういう作品って、どこかで聞いたような話でもいいし、絵が上手くなくても構わないんですよ。同じ境遇の読者がそうだよねって共感したり、こんな人もいるんだ、大変だなと眺めたりする読者がいる、これが重要なんです。

「お仕事マンガ」も増えていますね。これまでは料理人とか、特定の職業について描いた作品が多かった。今は火葬場やごみ清掃など、あまりマンガでは描かれなかった職業についてのエッセイマンガも発信されています。とにかく作品を発表するハードルが低い。SNSのマンガが膨大な数になっている理由です。

そうしたSNSで発信されたマンガのほとんどは、ある種マンガらしいというか、消費されて消えていく運命かなと思います。

――消費されて消えるのが「マンガらしい」とは、どういうことでしょうか。
マンガ雑誌は読んだら捨てられるのが普通だったんですよ。それが大衆文化、消費文化としての本来のマンガのサイクルだったわけです。だからこそ、たまたま残った『SLAM DUNK』の初回掲載号のジャンプが、古書店で数万円で売られるようになったりするわけです。

ところがマンガは保存されるべき文化だとみなされるようになった。手塚治虫の死後に原画が美術館で展示されたり、海外からの評価が高まったりしたこともあり、国内でもマンガの文化的・社会的重要性が見直され、その価値をもう一度提示しようという流れが生まれたました。その結果、2000年代以降の、京都や北九州でのマンガミュージアムの設立に繋がりました。

今SNSに投稿されているアマチュアのマンガは、消えていっても誰も気に留めません。しかし、数十年後にはもしかしたら、保存しようという風潮が生まれるかもしれませんよね。

夜に寄り添うレシピ付きエッセイ
▲Twitter(@_zengo)にアップされた第1話の1・2ページ目


Twitter発のエッセイマンガ。
眠れない夜の過ごし方を優しく描く。
第1話「真夜中にケーキを焼く話」。は7万近い「いいね」を獲得、単行本は第8回料理レシピ本大賞コミック賞受賞している。

『眠れぬ夜はケーキを焼いて』
午後/KADOKAWA/2021年1月/既刊3巻


過去の「名作」にも目を向けて


――新しい作品が増える一方、アニメ化した『BANANA FISH』や、映画化した『SLAM DUNK』など、クラシックな作品も注目されているように思います。
連載当時の読者が多いので、リメイクされやすいというのはあります。しかし、リメイク作品が新しい層に届くのは、その作品がある種の普遍性を持っているからでしょう。

発表から年月を経て流行るものもありますよ。『翔んで埼玉』は映画化されて話題になりましたが、82年の発表当時は知る人ぞ知る作品でした。私自身が埼玉出身なのもあって勝手にずっと推していたんですが、その時は周りに勧めても全然響かず……。復刊したと思ったらすごく売れて、驚きましたね。

――80年代のマンガだとは知りませんでした。今になって掘り起こされるというのも面白いですね。
私自身、『谷ゆき子の世界』という本の編集に協力して、復刻版の出版に繋がりました。70年代は誰もが知る少女マンガ家で、『小学一年生』など「学年誌」で連載していたんです。『ドラえもん』と並ぶほどの人気でしたが、単行本化されなかったため今はほとんど知られていません。

谷ゆき子の学年誌に載った作品は主にバレエマンガなんですけど、全然バレエを踊らないんですよ。滝修行したり、なぜかバレーボールをしたりする。次週の続きを見たくなる仕掛け、いわゆる「引き」を作るための展開なんですが、かなりめちゃくちゃ。それでも当時は違和感がなく受け止められていました。

今のマンガはストーリーが複雑で、伏線回収などを重視しますよね。だからこそ谷氏の作品今読むとつっこみどころ満載に見えるし、一方で画力もあるから画面に説得力がある。今の常識とは違うし、他に類を見ない奇才ゆえ現代の読者にもウケたのだと思います。

――今ならもはやギャグマンガですね。
バレエというモチーフ自体は、少女マンガのなかでずっと描かれ続けてきたものなんですよ。戦後に求められた、自立して未来を切り開いていくヒロイン像にぴったりのテーマでした。

他のジャンルとの関連も、日本のマンガの面白さのひとつです。たとえば流行のファッションと少女マンガには深い関係があって、ミニスカートが流行ったときには少女マンガにも取り入れられ、はつらつと動く女性像を表現しました。そのときどきの文化との繋がりに目を向けると、マンガをより深く読めるでしょう。大衆文化であるマンガは、その時代の読者を映す鏡のような存在です。だからこそ世相が変われば、同じマンガでも読み取れるものが変化していきます。

ミュージアムでは新しいマンガだけでなく、古いマンガも読むことができます。今の作品がどのような系譜に位置づけられるのか、展示からわかるかもしれません。ぜひ来てほしいですね。

――ぜひまた伺いたいと思います。ありがとうございました。

京都国際マンガミュージアム
開館時間 10時30分から17時30分(最終入館時刻:17時)
休館日 毎週水曜日(休祝日の場合は翌日)、年末年始、メンテナンス期間
入館料 大人900円、中高生400円、小学生200円
地下鉄烏丸御池駅 徒歩2分

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マンガはいつも自分のそばに 編集員によるマンガ評特集

編集員6人がそれぞれひとつの作品を紹介、自身のマンガの「読み」を見つめ直す。全く違う人生を送ってきた6人だが、その日常に寄り添うマンガがあったことは同じ。作品評と合わせて、マンガを読むようになったきっかけと殿堂入り作品5つを挙げた。あなたの隣にはどんなマンガがあっただろうか。編集員の「読み」を味わって、ぜひ考えてみてほしい。(編集部)

仲間とともにサバイブする 作画:千葉サドル/原作:海法紀光(ニトロプラス)『がっこうぐらし!』

作画:千葉サドル、原作:海法紀光(ニトロプラス)/ 芳文社/2012年12月/649円/全12巻


年々、自分の物語の読み方が貧しくなっていくのを感じる。そこそこの知識を得て、わりあい多くの作品に触れ、好きが高じて創作活動に心身を捧げるようになった。その過程で、読みはどうしても「分析的」になっていった。

とはいえ、時にそんな無味乾燥で無個性な読みをすり抜け、読者の魂を震わせずにはいられないような作品も存在する。筆者にとって、それは『がっこうぐらし!』だった。掲載誌は『まんがタイムきららフォワード』。世に「きらら系」と呼ばれるような、美少女×日常系ストーリーマンガに強い月刊誌だ。

主人公の少女たちは「学園生活部」として楽しく部室で暮らしている。しかし、この世界には秘密があった。それは――ひとたび部室を抜ければ、そこはゾンビが跋扈する世界だということ。少女たちがスリリングな「日常」を駆け抜ける異色のサバイバルマンガだ。

分析的な読みをすれば、心情描写の巧みさやキャラクター同士の掛け合いの楽しさが指摘できる。確固とした画力に裏打ちされ、モノローグや会話など様々な語りが効果的に表現されている。しかしこのマンガはもう一段階のめり込んで読みたい。

少女たちの「がっこうぐらし」が、とにかく眩しいのだ。生死の狭間をさまよいながらも、少女たちは遠足や体育祭を開催し、仲間と過ごす日々の些細な楽しさを享受する。これはある種のアレゴリーになっている。つまり、実存的な悩みを持ちがちな学生が、学校という場で仲間とともに思春期という時代をサバイブすることに繋がるのである。

ご多分に漏れずアイデンティティ・クライシスを迎えていた中学生時代の筆者は、この点にいたく感動した。本作の影響を受け、学校の部室に入り浸るようになった。今も自宅よりBOXの方が好きだ。

マンガは読みやすく、その分だけ、読者が知らず知らずのうちに影響を「受けてしまう」ことが多いように思う。ハマったマンガに人生が左右されるのも、またいいじゃないか。

選んだ人:涼
祖母が毎月『コロコロコミック』や『ジャンプSQ.』を買ってくれてマンガを読むようになった。オタクなので、オタクっぽい漫画が好き。
仲谷鳰『やがて君になる』
作画:千葉サドル、原作:海法紀光(ニトロプラス)『がっこうぐらし!』
若木民喜『神のみぞ知るセカイ』
貞本義行『新世紀エヴァンゲリオン』
松井優征『暗殺教室』

自炊生活のお供に よしながふみ『きのう何食べた?』

よしながふみ/講談社/2007年11月/715円/既刊21巻


弁護士事務所を定時で退社、激安スーパーで食材を吟味、自宅の台所で手際よく一汁三菜の夕食を仕上げたら、恋人の矢吹賢二と食卓を囲む。そんな主人公・筧史朗のなんの変哲もない日常を描いたマンガが本作、『きのう何食べた?』である。

多くの場合、導入、調理、実食で一話が終わり、各話それぞれでも独立して読めるようになっている。調理の描写が丁寧なので、それだけでも十分に楽しめるはずだ。しかし、自身がゲイであることを気にする史朗と「オトメ心」に溢れる賢二の意見の対立や、何歳になっても難しい親子関係の悩ましさなど人間模様も読み応えがあり、言葉を交わす大切さや、それでもどうにもならない現実を実感させてくれる。

などともっともらしいことを並べたけれど、筆者がこのマンガに一番影響されているのは間違いなく食生活だ。史朗の献立のこだわりが披露される回は驚愕の一言。一汁三菜、二品はノンオイル、おかずの味付けは甘辛酸っぱいが被らないように、そして緑黄色野菜を入れること。なんと彼は毎回この全てを意識して献立を立てているというのである。これを披露された同僚の志乃さんは彼に対抗心を燃やして献立を整え、そして一言「どーだ筧史朗!!」。このセリフを言いたくて仕方がなくなった昨年6月からもう1年以上、筆者は一汁三菜二品ノンオイル生活を続けている。

ひとり暮らしになってから、食べ物を「作る」描写が一際輝いて見えるようになった。作ってみたい、と思う。それでもやっぱり自炊なんてやってらんないよ、と思う日もある。そういうときはこのマンガを開くのだ。あ、この主菜作ったことない。こっちの副菜はすぐ出来そう。気づけば手が動いている。彼の料理はどれも庶民的で、作る手許が描写されるのでレシピ本としても高水準だ。

選んだ人:楽
漢字も読めない頃に読んだ『火の鳥 ヤマト・宇宙編』が最初のマンガ体験。数年後、逆から読んでいたことが発覚した。
尾田栄一郎『ONE PIECE』
佐々木倫子『動物のお医者さん』
CLAMP『カードキャプターさくら』
よしながふみ『きのう何食べた?
蛇蔵・海野凪子『日本人の知らない日本語』

ぶっとびギャグに心もスッキリ 盆ノ木至『吸血鬼すぐ死ぬ』

盆ノ木至/秋田書店/2015年12月/528円/既刊25巻


物語に没頭するのが苦手だ。自分が抱える悩みにひきつけて味わうくせがついていて、小説や映画など何かしらの創作物に触れると、どうにもならない問題についてさらにうじうじと考え込んでしまう。マンガも例外ではなく、息抜きのために読んでいたはずが現実を思い出してよけいに疲れる、ということも増えてきた。

そんな私でも、我を忘れて没頭できる数少ない作品がこれだ。苦労人気質の吸血鬼退治人・ロナルドと最弱の吸血鬼・ドラルクを中心に、人間と吸血鬼が(なんだかんだで)共存するまち、新横浜の日常を描いたギャグマンガである。第1話を読んだときの衝撃は今も忘れない。ベッドのうえで笑い転げ、放心状態のまま眠りについた翌朝、目が覚めた瞬間に思った。「これはすごい作品に出会ってしまった……」と。

とにかくテンポがいい。語呂が良すぎるセリフの応酬が痛快で、つい夢中になってしまう。ギャグは1コマごとにオチがつくため密度が高く、1話12ページとは思えない満足感である。おまけにキャラのクセが強い。とくに吸血鬼はとんちきな能力を持つ者ばかりで、催眠術をかけて野球拳をさせるやつもいれば、噛んだ相手の服をマイクロビキニに変えるやつもいる。要するに自分のやりたいことを全力で楽しんで迷惑をかける変態なのだが、下手をすれば浮いてしまいそうなキャラながら、ギャグのスピード感とうまく調和しているからすごい。

京都への引っ越しを控えた春休みに出会った本作。家を離れる不安を吹き飛ばしてくれたとき、物語に救われるなんて本当にあるんだと心が震えた。以来、苦しい夜にはこのマンガを開くようにしている。考えすぎたって仕方ない、ひとまず前を向いて明日を過ごそう。そう思わせてくれる新横浜のどんちゃん騒ぎは、いつのぞいてもあたたかい。

選んだ人:凡
幼稚園のころ『ドラえもん』を読んで語彙が急激に増えたらしい。印象的なセリフに出会える作品が好き。
盆ノ木至『吸血鬼すぐ死ぬ』
ヤマシタトモコ『違国日記』
山岸凉子『日出処の天子』
峰倉かずや『最遊記』
田村由美『ミステリと言う勿れ』

「あなたと友達でよかった」 ろびこ『となりの怪物くん』

ろびこ/講談社/2009年1月/471円/全13巻


マンガに詳しいわけでないが、少女マンガは好きだ。中高を女子校で過ごしたためか、主人公に成り代わって青春のただなかに没入する感覚に、何歳になっても興奮する。幼馴染との三角関係にやきもきしたり、無口でイケメンなクラスメイトにときめいたり。別学の環境では天地がひっくり返っても味わえない男女の青春を、ファンタジーとして楽しんだ。

だが少女マンガ体験がもたらした感動は、非現実的な恋愛要素にとどまらない。日常生活におけるささいな喜びや傷つきの吐露と、それらを通したキャラたちのつながりの深まり。そんなささやかな人間の生き様に心を揺さぶる力があると思う。

なかでもそんな力を強く感じたのが本作である。感情表現が苦手で「冷徹女子」の烙印を押されたヒロイン水谷雫が、クラスメイトの吉田春や夏目あさ子らと出会って、深いつながりを築く物語だ。

キャラの多くは対人関係が苦手な変わり者で、顔を突き合わせては、コミカルなドタバタをくり返している。だが時おり、そんな彼らが、切実に他者と向き合う場面がある。例えば、雫との激しい言い合いののちに春が行方をくらませたシーン。不安のあまり関係修復に後ろ向きになった雫を、夏目が優しく励まし、雫は「私とハルとあなたが友達でよかった」と感謝する。対人関係を何度も諦めてきた雫から発される「友達でよかった」の言葉は、重くあたたかい。

依然として、少女マンガというジャンルに対する偏見は根強いと思う。恋愛にばかり夢中になってしょうもないとか、いるはずのない王子様的男性像を追い求めているとか。でも、少女マンガは、ありふれた人間関係に焦点を当てて細やかな感情を描き出す点で、普遍的な力を持っている。ファンタジーでありながら人間くさくもあり、そのバランスに惹きつけられる。

選んだ人:桃
小学校低学年のとき毎日遊んでいた児童館で『ONE PIECE』『名探偵コナン』などのマンガに出会った。「変わり者」のキャラたちに愛着を感じる。
ろびこ『となりの怪物くん』
矢沢あい『NANA』
清水玲子『秘密』
篠原健太『SKET DANCE』
芦原妃名子『砂時計』

「ほっとすんねんな。」 小山愛子『舞妓さんちのまかないさん』

小山愛子/講談社/2007年11月/715円/既刊21巻


舞台は舞妓さんの街、京都の花街である。舞妓の仕事や伝統的なしきたりなど、花街の世界が紹介され、それだけでも楽しめる。しかし本作は主に、舞妓にとっての家「屋形」での日常に、食を通して光を当てている。その暮らしに欠かせない存在が、「まかないさん」、主人公のキヨである。

キヨは舞妓になるため、中学卒業後に幼馴染のすみれと上洛してきたが、マイペースなキヨは適性がないとされ、里に返されそうになる。しかしそんな時料理の腕を見込まれ、「まかないさん」として残ることになった。

キヨの料理は、みそ汁や親子丼などと決して特別ではないが、コマをゆったりと使い、湯気や食材の照りまで繊細なタッチで描かれており、見るだけでお腹がすいてくる。だが何より印象的に描かれるのは、キヨ自身が屋形の人々に与える、ちょっとした安らぎである。

日々の生活になくてはならない存在として、キヨは屋形の人々を支える。料理を純粋に楽しみ、その役割に充足感を覚えていることが、シンプルながら生き生きと描かれた表情から伝わってくる。日々忙しく飛び回り、束の間に台所に立ち寄る屋形の人々は、そんなキヨと何気ない会話をしたり、もくもくと作業する姿を眺めたりするだけで、なぜかほっとして、時にはポジティブにさえなれる。限られた人物のエピソードに焦点が当てられ、心理描写も丁寧になされており、心の動きがその場の空気感と共に印象付けられる。

毎話他愛もない出来事が描かれるのだが、また読みたいという衝動に駆られる。なぜなのか考えた時、それぞれ思い思いのことをしていても、ただ同じ台所にいるだけで心が休まるという、彼女らの感覚を自分も味わったことがあると気づいた。それは筆者が家族と過ごす日常の中で感じた覚えのあるものだった。京都に越してきてこのマンガと出会い、ホームシックが慰められた、と書けばまとまりはいいかもしれないが、そうではない。そのような本当に小さな幸せが身近にあることに、自分よりはるかに孤独な芸の道を選んだ彼女たちの日常から気づかされ、心が温かくなるのだ。

選んだ人:梨
インターネットやドラマ化された作品から漫画の存在を知って読むことが多いためジャンルも様々。有名作品が多いがエッセイマンガや四コマ漫画も。
青山剛昌『名探偵コナン』
末次由紀『ちはやふる』
あだち充『タッチ』
しばひろ『ガイックとのフランス暮らし』
桜沢鈴『義母と娘のブルース』

恋愛を教えてくれたマンガ 高橋留美子『めぞん一刻』

高橋留美子/小学館/1982年5月/480円/全15巻


高校2年の夏、好きな人がいた。うまくいく希望は無かったが諦めきれずにいたある日のこと、父親の実家で一冊のマンガを見つけた。『めぞん一刻』の第1巻。暇つぶしに読んでみることにした。

「出てゆく 出てゆく‼」オンボロアパートの一刻館に暮らすも、住民のからかいが嫌になった主人公・五代くんのセリフから始まる。まさに彼が一刻館から出ようとしたその時、若い美女が訪ねてきた。「こちら一刻館ですね」。彼女の名は音無響子。一刻館の新たな管理人となった彼女に一目惚れし、住み続けると決めた五代くんだが、彼女は死んだ夫に操を立てていると知る。けれども諦めきれない五代くんは、酔っぱらったある晩に大声で宣言した。「響子さん好きじゃあああ」と。

あっという間に読み終えた私は、鼓動の高まりを感じた。キャラの濃い登場人物たちの会話のテンポが良く、ドタバタなその内容にクスッと笑えたから。また、五代くん同様、私自身も響子さんの虜になったからだ。叶わぬ恋に悶える自分の分も頑張ってほしい、と年の近い五代くんを勝手ながらも応援し始め、父に頼んで実家から続きを持ってきてもらった。自分の恋と同様に、2人の恋は中々進まずじれったい。だからこそ続きが気になった。

読み進めるうちに五代くんにも惚れた。彼は二枚目キャラではなく、人に強くものを言えず頼りない。だが、ここぞという場面で響子さんの想いに優しく寄り添えるカッコいい男だ。男としてこうありたいと強く思う一方、五代くんと響子さんの何気ないやり取りの積み重ねが恋愛だと思った。全巻を読んだ後、相手を本気で想うからこそ、何度すれ違っても真摯に向き合い続ける五代くんの恋心は、一方通行で浅はかな私の恋心とは別物だと気付いた。

高校2年の秋、結局失恋したが、偶然見つけたマンガを通して恋愛を知った。新たな出会いを求め、今後もマンガを読むつもりだ。

選んだ人:郷
『鬼滅の刃』の映画を見たことを契機に、マンガにハマった。主に高橋留美子先生の作品や、話題になった作品を読んでいる。
高橋留美子『めぞん一刻』
吾峠呼世晴『鬼滅の刃』
高橋留美子『境界のRINNE』
コトヤマ『よふかしのうた』
芥見下々『呪術廻戦』

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