企画

京大進学者僅少校の出身者による座談会 たったひとりの京大進学

2023.04.01

2022年入試において、京大へ最多の合格者を出したのは北野高校(大阪府)で90名。一方で、京大に進学する生徒のほとんどいない高校から、京大受験に挑む受験生もいる。その双方から見える景色は大きく異なるはずだ。

今回は、出身高校で学年唯一の京大進学者である学生4人にご協力いただき座談会を行った。「非進学校」から京大を志望して入学し、大学生活を送る彼らから見えたリアルを振り返る。(編集部)

目次

京大を志すきっかけ
出身高校の特徴
受験勉強
入試合格・そして入学
進学の判断を振り返って


座談会の参加者(学年は3月時点)
H 理学部3回生。神奈川県の公立高校出身。浪人。出身高校の京大合格者数は20年1人、21年0人、22年1人。

N 文学部4回生。栃木県の公立中高一貫校出身。現役。出身高校の京大合格者数は20年1人、21年2人、22年2人。

S 医学部人間健康学科2回生。埼玉県の公立高校出身。浪人。出身高校の京大合格者数は20年0人、21年1人、22年0人。

K 理学部4回生。広島の公立高校出身。現役。出身高校の京大合格者数は20年0人、21年0人、22年0人。

田(司会):文学部3回生。東京の私立中高一貫校出身。浪人。出身高校から京大へ例年10人弱が進学。

京大を志すきっかけ


H 高2の終わりに学校で「第一志望宣言」というのを書かされて、その時に決めた。数学をやるなら東大か京大の理学部がいいと思っていて。それと京都旅行をした時に、京大のキャンパスの雰囲気がいいな、と。神奈川県出身なのに京都を選んだのは、一人暮らしがしたかったのもある。

田 当時は、京大合格を現実的に考えられる成績だった?

H 全然。高校の定期テストの総合点は上位3割には入るけれど、1割には入ってなかった。でもそのときは京大が難関大学だとすら知らなかった。模試で全然いい判定が出なくて、難しい大学なんだ、と知った。

N 京大が難しい大学だと知らないっていうのも面白いね(笑)。

H クイズ番組でよく東大と京大が張り合うけど、それもなんでだろう?と不思議に思っていた。「頭のいい大学」は東大と早慶しか知らなくて。

N 私は、京都は歴史的な建造物があって、歴史を勉強するのにいいと思ったのが大きな理由。実はもともとは一橋大を志望していたんだけど、歴史学の専攻がないことがわかって。同じくらいのレベルの京大を見に来たら、面白そうだった。

S 皆やりたいことがあってすごいな、と。僕は「出来るだけレベルが高いところにいきたい」という感じで来ちゃった。高3くらいでたまたま京大の入試問題を解いて、行けるかもしれないと思った。教員には「東工大もいいんじゃない」と言われたけど、一人暮らしをしたくて。

田 学校で成績はいい方だった?

S いや、全然。赤点をとったこともあるし。

K 京大を最初に意識したのは高校入試のとき。そもそも中学の成績がそんなによくなくて。でも志望高校の過去4年の進学実績に、京大がひとりだけいた。その高校に入ったら京大にいけるかもしれないと思って入学した。はっきりと京大受験を決めたのは高2くらい。「ノーベル賞が多い」っていう安直な理由で(笑)。あと、なんとなく「京大理学部物理学科」ってかっこいいなと。

田 高校では成績は良かった?

K ほぼ学年一位を死守していた。高校のレベルはあまり高くなかったけれど。

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出身高校の特徴


「自称進学校」だった


S 冒頭の「志望校宣言」は、いわゆる「自称進」にありがちだよね。

H まさにそういう学校だった。進学校ほどの進路実績はないけど、受験指導にはやたらと力を入れていた。

S うちは反対。受験指導は手薄だった。自称進学校ですらないかんじ。

N うちも「自称進」。職員室のまえに勉強スペースがあって、そこで生徒がいつもガリガリ勉強してた。

K 「3年0学期」とか言われたね。

N あ〜わかる!(笑)

K 高2の終わり頃、教員が「今は3年0学期じゃけえ!」って。今考えたら自称進の特徴だなと。

田 周囲に京大志望者や出身者はいた?

H 全然いなかった。うちの高校からは少なくとも5年は出てなくて。周りの大人にも京大卒はいなかったな。高3の最初は、学年にもうひとり京大志望の生徒がいたんだけど、途中で志望校を変えてしまった。すごく仲間意識を感じていたんだけど。でも他校の友達が京大志望だったから、たまに連絡してモチベーションを保ってた。

S 京大志望の生徒は全然いなかった。

K 僕は京大志望の友達がひとりいて、自分が「一緒に行こうぜ」と言って乗り気にさせたんだけど、センター試験で足を切られて二次試験を受けられなくて、残念だった。

主な進学先


N 近所の公立大学に多く行く高校だった。とにかく「国公立、現役合格」を推していて。浪人して東大や京大に行くより、志望校の難易度を落として国公立に現役合格しろ、っていう方針。

田 浪人がすごく少ない。

N 浪人するのは本当に勇気が必要な環境だったと思う。私はもし京大に落ちたら、浪人せず併願の私立に行く予定だった。

H うちは「四年制高校」って言われてるくらいなので、浪人する人は少なくない。自分も落ちたら浪人するつもりで勉強してた。

S 僕も、ほぼ落ちるだろうなって思っていた、高3のころは。浪人する生徒は全然いないけど。高い現役合格率が売りなので。

田 Sの学校は、就職する生徒もいるし、専門学校に40人ぐらい進学している。推薦で早く進路が決まる人が多い?

S 公募も含めて、生徒の4割くらいが推薦。

H・N 結構多い!

S 秋以降は推薦組は勉強しなくていいから、一般入試組との間に分断が起こる。

田 一般入試組は勉強のモチベーションを保てる?

S まあ、「そういうもんだ」という感じだったから。

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受験勉強


学校の授業は「受ける意味なし」


S 高校の授業は、英語では私立向けの文法問題がメインだった。数学もセンターの問題ばっかりやっていた。穴埋めで、「答えが出ればいい」というような問題。でも数学は論理が大事。浪人して予備校で初めて授業を受けた時に「今までやっていたのと全然違う科目だ」と思った。

H 自分は現役で落ちた時、合格最低点より120点くらい低かった。正直、翌年受かったのは予備校で1年間鍛えられたおかげ。部活をギリギリまでやってたのもあると思うけど、高校の授業だけでは厳しかった。

N 私の行っていた高校は、昼休みに希望者が過去問演習をする制度があった。手厚いというか、「自称進」っぽいシステムだよね。国公立受験向けで、上位3割くらいの学生はみんな受けていた。役には立ったけど、効率は悪かったと思う。高3で参加した予備校のイベントで、自分の勉強法が間違ってると教えてもらえたけど、あれがなかったら落ちていたんじゃないかな。

K 学校の授業のレベルは……受ける意味はなかった。

一同 (笑)

K 高校入学時から、数少ない「京大に入る人」になろうと決めていた。変に意識が高くて、部活に入らず、周りを気にせず勉強した。恥ずかしいけど。

一同 すごい。

個別に過去問の指導
教員には「感謝しかない」


K 授業中は別の問題を解いていた。それは黙認されていて。みんなが教科書を開いているなか僕だけチャート式を開いていても、教員には何も言われなかった。でも受験指導はすごく手厚くて。過去問演習の採点は、うちの高校で一番実力のある先生たちが各科目に担当としてついてくれた。全科目。

田 それはKだけ?

K 僕だけ。僕が高1のときに、進路指導の教員に「こんな環境なら学校辞めたほうがましだと思う」みたいな話をしたんだよね。

田 尖ってる(笑)。

K もちろん他の生徒には聞かれないように。でも、そういうことがあったから、過去問の添削を手厚くやってくれた。どの先生もよく見てくれたし、僕のために勉強してくれていたようだった。感謝しかない。

S 僕の場合、部活の顧問の先生が個別に過去問添削をしてくれた。数学と理科。

新幹線で県外の模試会場へ


田 予備校の模試は受けた?

H 学校で定期的に模試があった。ベネッセ模試だったかな。それ以外に、京大実戦模試は近くの会場に受けに行った。

S 高3のとき、京大実戦と東大実戦の案内のチラシがクラスで1枚ずつ配られた。

田 ひとり1枚?

S クラス全体で1枚。担任が置いていったんだけど、「どうせおまえら、いらないだろ」みたいな感じ(笑)。京大のチラシを取るかすごく迷った。恥ずかしくて。でも模試受験料の割引がついてたから、こっそり貰った。

N 栃木県では京大模試を受けられない。駿台も河合も校舎がないから。

田 えっ。

N 埼玉の大宮まで新幹線で受けに行った。1時間くらいかかるかな。

現役は孤独でも「浪人したら仲間が増えた」


田 塾には通っていた?

H 現役の時は行かなかった。浪人して横浜の予備校に入った。東大・京大志望対象のクラスで、120人の生徒のうち40人が京大志望だった。高校では周りに仲間が誰もいなかったけど、浪人したら志望者もたくさんいるし、京大出身の講師もいる。嬉しくて、モチベーションも上がった。その差は大きかったな。

S 僕は浪人して東京の予備校に入ったけど、同じ状況だった。

N 私も塾には行かなかった。ただ、駿台が開いてた「みやこセミナー」っていうイベントにだけ行った。春期講習と夏期講習を京都で4日間ずつやるんだけど、私は夏に参加して。そうすると、こういう……「こういう」って一括りにしてすみません(笑)、こういう自称進の生徒がたくさん集まって来てた。

H (笑)

N 他の生徒と「クラスに誰も京大志望者いないよね、心細いよね」「わかるわかる」みたいな話をして、仲間意識を持ったし、心強く感じた。

田 そのセミナーはどこで知った?

N 高校のひとつ上の学年に京大進学者がいて。友達の先輩だったから、繋げてもらった。その先輩が、みやこセミナーにいけ、と。

H じゃあ、それが分かれ目だった?

N 本当にそう思う。

田 塾の冬期講習に行くことは考えた?

H 考えたこともなかった。そもそも塾に行ったことがなくて、短期的に授業を受けられるシステムがあるということを知らなかった。

S 僕も知らなかった。

N 知っていたけど、塾は近くにないし。

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入試合格・そして入学


ネット掲示版で噂に


田 Sの学校は、京大東大合格者はずっと0人。本当に稀な合格者だよね。

S 合格後はネットの掲示板を見て楽しんでいた(笑)。出身高校のページに自分のことが書き込まれてて。

H 合格して、高校の先生から「すごいな、やったな」と言ってもらえた。地元でも噂になったらしい(笑)。

N 私はそこまではチヤホヤされなかったな。毎年一人くらいは京大に受かる学校だったので。早稲田に受かっていたので、京大の入試が終わって結果待ちの時期に、国立後期を受けないことにしたけど、教員には反対された。とにかく私立より国公立の実績がほしいっていう学校だった。

K 学校からは思ったより反応が薄かった。「そうか、おめでとう」程度。胴上げしてくれてもいいのに(笑)。合格者が下級生の前で話す場にも呼ばれなかった。京大を志望する生徒がいないからかな。

田 もっと現実的な大学への進学者のほうがいいと。

K たぶん。合格は地元ではちょっとした噂になっていて、祖父が通う歯医者さんは知っていたとか。

友達づくりと履習に苦労


S 入学式は少し寂しかった。既に仲の良さそうな集団もいるからね。

K そもそも友達がいないから、頑張ってつくらないといけないな、と思った。入学式は不安だったから、隣に座った人に話しかけた。でもその人とはそれきり。

田 私が入学した時にはコロナ禍で、入学式もなく、4月いっぱいの授業も休講。ツイッターとかで友達を作ろうとしたけど、うまくいかなくて。結局、同じ高校から京大に進学した人とばかり遊んでいた。履修やサークルの情報なんかもそのツテを頼ったから、高校の友達がいなければ私の大学生活は最初から破綻した気がする。

H 僕は逆に、出身高校で固まっている人を見て疎外感を覚えることがなかったのはコロナ禍だったからかも、と思う。あとは予備校で友達ができたので、京都に来てからもその友達と会っていた。

田 それはたしかにそうかも。

H 僕は、予備校の友達のツテで、同じ学部の上回生に履修のことを何とか聞けた。それがなかったら、京大に先輩もいないし、やばかったかも。

田 履修って最初は本当に大変だよね。般教は授業も多いし、複雑で。

H そもそも、履修のシステムが理解できなかった。

K コロナの前で、春にキャンパスに行けば上回生がサークルの新歓で話しかけてくれる時代だった。だから履修のことを聞くのに苦労はしなかった。

「周りの学生が賢すぎ」


N 入学後、私には授業がわからないけど周りの学生はわかっている、という状況が頻発した。専門の授業になってからは特に。

H わかる。高校時代に見ていた天井よりもさらに上がいる。高校では自分は上位層だけど、大学に入ったら、「あれ?」って。非進学校から来た人には「あるある」なのでは。

S 世界が違うよね。

K 入学して最初のガイダンスの時、ノーベル賞をとった研究者がスピーチして。そしたら新入生が挙手して反論した。それを見て「やばいところに入ったな」と思った。

田 周囲と学力に差があるという事態は、何が原因だと思う?

N 中高一貫は高校入試がないのでカリキュラムを前倒しするよね。私の出身高校は中高一貫だけど、公立なので、カリキュラムは普通のスピードで進む。そこで学力に差がでると思う。それに、浪人の人は4年かけて勉強している。私は3年でなんとか全部詰め込んでいて、合格最低点スレスレ。落ちこぼれの景色を見てると思う時もあった。

田 私は中高一貫校出身だけど、専門の授業で「何で他の学生はこれを理解できるんだろう?」って思うことはもちろんあるよ。

中高一貫のカリキュラムとの差は大きい


H 前倒しで授業が進むのは、受験には有利。塾講師のバイトで中高一貫の生徒を教えているが、高2までに高校の範囲が全て終わるので、高3の1年は受験対策に費やせる。それに対して、普通のカリキュラムだと入試直前まで授業をやる。僕が受験の時、有機化学の授業が終わったのは高3の12月。そういうシステムの違いは受験の結果にも大きく響くと思う。

K 数学は自分で先取りして勉強した。あと、広島で最難関の高校に行った知り合いと高2の夏くらいに会ったら「化学をやったほうがいいよ」って言われて。それで化学も前倒しで進めた。よく考えると、合格はあいつのおかげみたいなところもある。

H 僕は全くしなかった。早めに進めたほうがいいということすら知らなかったので。高校のカリキュラムを疑いもしなかった。

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進学の判断を振り返って


京大進学に悔いなしでも「牛後」の苦しみある


田 今、進学者の少ない高校から京大に進学した判断を振り返ってどう思う?

H 京大に来てよかったと思う。自分がやりたい勉強ができるというだけでなく、受験の時、身近に仲間がいない状況で自分がやりたいことと向き合って頑張る経験ができたのも、よかったなと。

N 私自身については、京大にきてよかったと思ってる。でも、偏差値差を埋めるために一生懸命勉強してここに入っても……。「鶏口となるも牛後となる勿れ」と言うけど、そういう苦しみがあって。高校では「最低点で受かれ」「大学なんて入ってしまえば一緒だから」と言う大人もいるが、それは嘘。(ギリギリで受かると)入ってからもいばらの道だと思う。

S 浪人時代は何かに向かって一番頑張れた時期。浪人を選んで京大に来たことはよかった。でもやはり劣等感を感じる場面も多い。

K 合格したことについては「やってやった」って感じ。なんの悔いもない。ただ、入ってからも戦いは続く。受験では必死に頑張ったけど、大学に入ったらそれはみんなできること。

「僅少校からの合格は強い成功体験。
大学では上位層でなくなり、ギャップ感じる」


H 確かに受験弱小校から京大に入ると、それ自体が成功体験になる。特に学年で唯一の合格者だとそうだと思う。進学校から受かるよりも、かなり強い成功体験かなと。その反面、入学後に、もはや上位層ではないという、そのギャップは感じやすい。

田 なるほど。

H 一方で、京大志望が少ないからこそ、先生たちが親身に指導してくれたと思う。僕は特色入試を受けたが、志望書の準備や面接の対策など、僕ひとりに集中して面倒を見てくれたのはありがたかった。

N 高校の時の自分に言葉をかけるとしたら……主に京大に進学するのは、京大と同じような偏差値の高校の生徒だということ。そのことをよく考えたほうがいいよと言いたいな(笑)。

K 高校でもっと遊んでいたらよかったなと。高1の前期まではある程度楽しんでいたが、模試が始まると受験勉強のスイッチが入っちゃって。学校行事には出ていたけど、他の生徒とあまり仲良くなれなかった。生活に占める勉強の割合が違いすぎて。でも入学してからはむしろ部活に打ち込んでいる。今は「勉強だけじゃないな」と思う。でも後悔は全然ない。もうちょっと楽しんでもよかった、と思うけど。〈了〉



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