複眼時評

太田出 人間・環境学研究科教授「義祖父の死とウムボルトの死」

2023.02.16

私は半世紀以上前、昭和40年代の生まれだ。もちろん戦争を知らない世代。さきのアジア・太平洋戦争については、祖父母や父母から少し話を聞いたことがある。祖父は応召していたが、国内にいたときに敗戦。父母は小さかった頃、防空壕に逃げ込んで、みんなで歌を唱った記憶があった。だから正直、身近に「戦争」を感じる場面は少なかった。ただし、台湾人の妻と結婚すると、妻の祖父が、旧日本軍に軍夫として徴されて「南洋」で戦死したことを知った。でも、どこでどのように亡くなったのかもわからない。これが私にとって戦争とは何なのかを考えさせられる一つの原因となった。日本の戦争に台湾人がかり出されて戦死し、補償すらまともに行われていない。義祖父の死はいったい何だったのだろう。

今の若い学生さんたちはどうだろうか。もちろん、戦場へ赴いたり、赴いた人から話を聞いたりする機会もほとんどないだろう。それでも、昨年からはウクライナ戦争の影響もあって、さまざまに戦争の情報に接する機会もあるのではないか。京都大学もウクライナから避難してきた人々を受け入れている。学生さんたちには京都大学が受け入れているウクライナ人留学生たちを応援したり、交流したりする機会をもって欲しいと願っている。戦争を肌身で感じることが、戦争を抑止する一つの力となりうるからだ。

確かに、国際政治の現状を見て、安全保障に関する問題提起を行ったり、防衛費予算を議論したりすることは悪いことではない。しかし、歴史学を専門とする私の立場からすれば、やはりもっと歴史に学ぶ機会を増やすべきだと感じずにはいられない。私はここ10年ほど、日本国内外でご健在の戦争経験者にお話をうかがう仕事を続けている。皆さん、すでにご高齢に達し、こうした仕事もほぼ限界だなと思うこともあるが、まだまだ滑り込みで間に合う。もう5年も過ぎると完全に難しくなるだろう。

昭和の記憶が薄れゆく現在、平成生まれの若者たちには、昭和の戦争はとても遠い昔のことのように思われるかもしれない。教科書などでも学習することはあるだろうが、戦争体験者本人はもちろん、その妻や息子さんたちから戦争の姿を伝え聞いておくことも大切なことだと思う。アジア・太平洋戦争を美化するつもりは毛頭ないが、当時に生きた軍関係者やその家族の話をうかがっていると、すべての人々が勇んで「お国のために」戦争に参加したわけではなく、「平和のために」戦争の舞台に飛び込んだものの、現実と理想のあいだの乖離に困惑し苦悩する人たちも多くいた。

私が追いかけている「宣撫官(占領地の住民に対し、軍の目的などを周知して人心の安定をはかる役職)」と呼ばれる人たちはそんな人たちの一部であった。占領地行政を任され、本人たちは極めて真剣に「現地の人たちのために」と思って活動していたが、現実は過酷で、彼らは所詮「軍部の手先」にすぎないとまで厳しい評価を受けた。やや細かな話になってしまったが、生きた語り部である戦争体験者たちの言葉に、われわれは耳を傾け、その言葉を語り継いでいかねばならないだろう。若い入学したばかりの京大生がこの文章を目にしていてくれたら、是非とも、祖父母に話を聞いてみて欲しい。残された時間はそんなに長くはないのだから。

次善の策としては、漫画で戦争を考えてみることもよいだろう。『はだしのゲン』など有名な戦争漫画はたくさんある。もちろん、いずれの漫画でもよいのだが、私個人的には安彦良和の『虹色のトロツキー』全8巻をお薦めしたい。ご存じのとおり、安彦はあのガンダムを作成したアニメーターとして有名な方だ。五族協和をめざした満州国に設立された建国大学などを舞台としながら、主人公ウムボルトが戦争とは何なのかを考えさせてくれる。実在人物が登場する一方で、フィクションの部分も多くあるが、戦争を呪いながら死にゆくウムボルトの姿は、現代の私たちにも多くの啓示を与えてくれる。一読をお薦めしたい。どこでどのようにして亡くなったのか、わからないウムボルトは私の義祖父にどこか重なっているように見える。


太田出(おおた・いずる 人間環境学研究科教授。専門は中国近世・近代史、日中戦争)