企画

きょうの大学散歩 京都工芸繊維大学編

2023.01.16

京都は10万人当たりの大学数が全都道府県で最も多く、学生の街とも呼ばれる。ただ、これだけ身近にあるはずだが、他大学を訪れる機会は限られている。そこで、他大学を実際に散歩してみようと思い立った。今回は京都工芸繊維大学を取り上げる。工繊大は京大吉田キャンパスから約2キロ北にある国立大学である。伝統を堅持しつつ時代に合わせて変化していく姿が見えた。(輝)

目次

京都工芸繊維大学の歴史
伝統と最新技術の融合和楽庵
90年の歴史を誇る3号館モダニズム建築の最先端
大学連携の象徴ノートルダム館
垣間見える工芸大学らしさ
食堂でちょっと一息

京都工芸繊維大学の歴史


工繊大は、1899年の京都蚕業講習所開設(のちの旧繊維学部)に端を発する。1902年には京都高等工芸学校(のちの旧工芸学部)が吉田泉殿町(現在の京大西部構内がある)に設置され、洋画家の浅井忠も教職員として名を連ねた。30年には、工芸学校が現在の松ヶ崎キャンパスに移転。49年には両校が統合する形で京都工芸繊維大が創設された。2006年に旧繊維学部と旧工芸学部が統合し、工繊大唯一の学部である工芸科学部が誕生。応用生物学、物質・材料科学、設計工学、デザイン科学、繊維学の5つの学域が設けられた。19年に開学120周年を迎えた。

東門から



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伝統と最新技術の融合和楽庵


敷地の端に目を遣ると、周りに広がる近代建築とは対照的な一つの木造の洋館が佇んでいる。和楽庵である。もとは南禅寺塔前に建てられており、所有者であった京都の実業家、稲畑勝太郎(いなばた・かつたろう)により作られた別荘庭園・和楽庵(現何有荘(かいうそう))内の洋館として建てられた。当時は外国人や文化人の交流の場所として用いられており、開学120周年の記念事業で、工繊大に移築された。現在では、研究者の交流の場としても用いられているようだ。


和楽庵外観



牛と飼い主を模った装飾




1階の外壁は黒柿色の板が張りめぐらされ、2階の白壁とコントラストをなしている。2階の外壁には、動物を模した装飾がある。特に牛とその飼い主を模した可愛らしい装飾には心が和む。屋根に目を向けると和瓦があり日本建築らしさも見られる。壁に目をやると、波のような模様が規則正しく広がっている。これはナグリ板と呼ばれ、日本建築に用いられている。このナグリ板の再現は、工繊大大学院のプロジェクト「dCEP」と「KYOTO Design Labo」の共同研究により実現した。和と洋の融合を象徴する建物が、伝統とデジタル技術の融合によって復活を遂げた。時代の流れに合わせて変化しつつ、当時から続く繊維と工芸の2つの分野を今も堅持する工繊大の在り方を示しているようにも思える。

設計は武田五一。彼は京都高等工芸学校の図案科の教授を務めていた。また、国会議事堂をはじめ、数多くの建築の設計に携わってきた。近代建築で知られる彼だが、旧日本勧業銀行本館など和建築の設計にも関わっていた。和と洋の融合が見られる和楽庵はそのような彼らしさを示しているように感じる。

武田は京大とも関係が深い。工学部建築学科の創設時のメンバーの一人で、意匠教育を担った。在任中は時計台の設計の顧問を務めるなど、京都大学の数多くの建築にも携わっている。

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90年の歴史を誇る3号館モダニズム建築の最先端


東門に入ると3号館が見えてくる。本施設は、京都高等工芸学校の移転に伴い1930年に本館として建築され、工繊大で最も長い歴史を誇る建物である。現在は大学の本部や講義室として使われている。


講義棟としても用いられている



ガラス張りが特徴的




3号館は図案科の教授でモダニズム建築の先駆者でもあった本野精吾(もとの・せいご)により建築された。彼が設計した建築で現存するものは数少なく、旧本館は彼の当時における先進性が見て取れる貴重な建造物である。

外壁にはスクラッチタイルが施されている。特有の陰影を持つ姿は重厚感に満ち、90年の歴史の重みを体現しているようだ。当初の案では打ち放しコンクリートを施す予定だったという。しかし、当時の文部省が設計に手を加えたため、現在の姿に至る。北側の壁は、ガラス張りが特徴的である。これは、当時の図案科の絵画製図実習室に光が入るようにと苦心した結果である。本校では図案教育に力を入れていたが、こうした設計の面でも支えられてきている。

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大学連携の象徴ノートルダム館


東部構内の中に入ると、「ノートルダム館」の名を冠した建物が。すぐに思いついた人もいるだろうが、名前の由来は「ノートルダム女子大学」である。当館は、ノートルダム女子大北山キャンパスの総合整備計画に伴う講義室不足に備え、2011年に建設され、14年までノートルダム女子大の施設として利用された。この異例とも言える国立大と私立大の連携には、両校で交わされた施設の相互利用を定めた覚書や連携・協力に関する包括協定の存在がある。このように、私立大学の施設が国立大の敷地に建つケースは全国で初めての例だった。

現在は、ノートルダム女子大による当館の使用は終了しているが、両大学の協力関係は継続している。その一つが、「KIND日本語教室」。当教室ではノートルダム女子大生が、工繊大の留学生に模擬授業を行うことがあるそうだ。また、京都の文化遺産保護や活性化に関わる人材育成において、京都産業大、京都市立芸大も交え単位互換制度を導入している。

ノートルダム館。現在は工繊大の講義棟



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垣間見える工芸大学らしさ


大学内を歩いていると、京大との違いを知らされる。特に、構内に工芸大学らしさがちりばめられている点である。大学の塔はそのよい例だ。虹色のグラデーションが施され、大学内でもひときわ存在感を放っている。若者が感受性と想像力を培ってほしいという願いから建てられたこの塔だが、このデザインを考えたのは工繊大の元学長で、版画家でもある木村光佑氏である。モニュメントを作る際、学内での募集や委託という形で頼らず、学長自身がこうしたデザインに関わるとはいかにも工芸を扱う大学らしく感じる。

大学の中を歩く人からも工芸大らしさを感じた。身体の半分程度ある段ボールを、持ちにくそうに抱えて歩く人たち。作業服を来た学生。工芸大学でなければあまり見られなかった光景だろう。今までデザインの世界と関わることのなかった。そのような自分が知らない世界を生きている人たちとの交流の可能性があるこの大学が羨ましくなった。

大学の塔。当時の学長がデザイン



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食堂でちょっと一息


大学内を歩き回っていると、朝食をとっていないせいかお腹がすいてきた。食堂があるエリアへ向かうと、何かおしゃれな看板が出ているのが見えてくる。オムライス専門店だ。国立大の中に専門店があるのは興味深い。オムライスだけでもエビフライ付きやミニハンバーグ付きなど8種類もメニューがあり、オプションとしてチーズインにできたり、数十円追加するだけで大盛にしたりできる。価格帯は400円台後半から、500円台と安い。

この店は食券で注文するシステムだった。食券を買う。店に入ってから気づいたのだが、この店は注文してから調理するようだ。出来立てが食べられるとはありがたい。自分の番号が呼ばれて、料理を受け取りに行く。料理を運び、まっすぐ窓側の席に向かう。食堂は2階にあるので、中庭を眺めながら優雅に食事ができる。中庭には、銀杏の木が植わっている。紅葉の季節はさぞきれいな眺めだ。

560円だったのだが、オムライスが皿いっぱいに広がり、ボリュームには驚かされる。スプーンでオムライスを切り裂く。中に入っていたチーズが伸び切り、きれいにからめとって口へ運ぶ。チーズにトマトソースとデミグラスソースの2種類のソースが合わさって、口の中に広がる。味が飽和している中、卵の風味も存在感を放っている。

他大学の学食を使う機会はあまりないが、特段の入構制限もないので、たまに行ってみるのはどうだろう。

2つのソースが混ざり合う



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