企画

旅行企画 そうだ、京都出よう!

2022.12.16

旅行企画 そうだ、京都出よう!

名古屋駅では大迫力の「ナナちゃん人形」がお出迎え

今度の週末は何しよう?
そうだ、京都出よう!
今回の企画のコンセプトは「京都から気軽に行ける(小)旅行」。
予算は1万円で、自動車の使用はなし。
行き先や旅程はすべてそれぞれの編集員のセンスに任せることにした。
本紙が週末旅のお供になれば幸いだ。(編集部)

目次

名古屋
奈良
有馬
香川・徳島

名古屋


関東出身の筆者。帰省するときは、まず東海道新幹線が選択肢に出てくるはずなのだが、なにしろ新幹線は高いし、合理的すぎるがゆえの味気なさも感じるために、最近はもっぱら、関空~成田間のLCCを使って移動していた。

しかしある日突然、筆者に啓示が下りてきたのだ――「新幹線、乗りたくね?」。

というわけで、新幹線に乗ろうと思う。

某日朝。京都駅から『こだま』号に乗る。車両はぬるっと加速していき、あっという間に非日常の速度へ。窓から辺りの景色を見渡す。速い、速すぎる。ふだんの京都生活では自転車ばかり乗っているものだから、余計に速く感じられる。

電車は30分ほどで米原駅(滋賀県)へ到着する。慌ただしく車両を下りた。なぜ米原なのか。なんのことはない、予算が1万円だからだ。最終目的地まで乗ると、予算が尽きて京都に帰れなくなってしまう。

在来線ホームへと移動し、東海道本線に乗り換える。18きっぷヘビーユーザーとしては馴染み深い区間だ。もちろん新幹線ほどの非日常感はない。淡々と乗っていく。

2時間ほどすると、今回の目的地、名古屋へ到着した(3630円)。さあ、ここから旅を始めよう。

とは言いつつ、筆者がまず向かったのは「コメダ珈琲店本店」(名古屋市瑞穂区)である。昔、コメダでなければ何もやる気にならないほどコメダに入れ込んでいた時代があった筆者にとって、名古屋の本店というのは聖地も同然。少なからず心を昂ぶらせていたのだが……実際は他のコメダとなんら変わることのない、ふつうのコメダだった。

だが、その安定感もいい。店に入り、アイスコーヒー(480円)と、10時まで無料のモーニングを注文する。そう、京都を早朝に出れば、名古屋でモーニングが食べられるのだ。卵、小倉あんなどから選択できるコメダのモーニング。筆者のお気に入りは小倉あんである。

早起きして健康的な朝食を摂り、うまいコーヒーを飲む。完璧な朝ではないか。満足しつつ、パソコンを開いて課題その他諸々のタスクをこなす。店舗にはしめて2時間ほど滞在した。

さて、やや間隔は短いが、昼食を食べに行こう。道沿いに歩いて目指すのは「スガキヤイオン八事店」(同昭和区)だ。スガキヤはラーメンなど中華料理を中心に提供するチェーン店。なんでも価格の安さから東海地方の学生の胃袋を握っているのだという。名古屋のご当地ネタを紹介する筆者のお気に入りマンガ『八十亀ちゃんかんさつにっき』に印象深く登場したこともあり、かねてより気になっていた店舗だった。

定番のラーメン(360円)を注文する。スープは個性的なうまみが効いている。なるほど、これがスガキヤか。この値段でこの味とボリュームなら、確かに学生(特に高校生)は通うだろうなぁ。筆者の高校時代は「はなまるうどん」が似た立ち位置だった。

腹ごなしを済ませたら、八事駅から地下鉄・名鉄を乗り継いで中部国際空港、セントレアへ。展望デッキで間近に飛行機鑑賞を楽しんだあとは、空港の電源付きベンチで軽く作業する。やはり空港は非日常感があって良い。

さあ、日も沈んできた。京都に帰ろう。セントレアから高速船「津エアポートライン」に乗る。筆者は乗り物の中で船が一番好きなのだ。今回名古屋を目指したのも、この高速船に乗るためという節すらある。

高速船とはいえ、本路線の航海速度は30ノット。日本海の覇者・新日本海フェリーの大型船はそれ以上の速度が出せることを考えるとかわいいものだ。もちろんほとんど揺れることなく、三重県の津まで到着した。

セントレア~津を結ぶ高速船カトレア号

セントレア~津を結ぶ高速船カトレア号



津港から津駅まで、路線バスで移動する。津駅からJR線を乗り継いで、京都駅を目指す。日は完全に沈んでいて、外の景色はほとんど見えない。途中関西本線では気動車に乗車。旅情が煽られてよい。

これで筆者の旅は終わりだ。次の旅に出るまで、また京都でタスクに忙殺される日々が始まる。……って、結局旅先でもパソコンとにらめっこしている人間が上手いこと締めようとしても説得力がないか。では、最後はこう言うことにしよう。

良い旅を!(なお、計画不足により予算オーバーした。無念)(涼)


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奈良


予算1万円か、とりあえず交通費を削ろう。そんな適当な発想で決まったのが、今回の一泊二日・弾丸自転車旅行。目的地は京都から約45キロ離れた奈良市に設定した。普段自転車で遠出することなどないので、自分でもどれだけ時間がかかるか分からない。限界に挑戦してみたいという好奇心が半分、記事の取れ高への期待が半分である。

昼過ぎになって重い腰を上げ、荷物をまとめて家を出る。すっきり晴れた空に、心も穏やかだ。約1時間、川沿いの道をひたすら南下した。見慣れた京都駅の景色が過ぎ去る時には、少しの寂しさも感じたが、河原に吹く新鮮な風は心地よく、すぐに気分は回復した。

15時ごろ、サイクリングロードに出る。嵐山から和歌山港まで、全長180㌔におよぶ自転車歩行者専用道路である。すれ違う人は、ほとんどが本格的なロードバイクやクロスバイクにトレーニングウェアの装いで、ママチャリの前かごに大きなリュックを乗せて走るのは、少し恥ずかしい。川下に向けて下り坂が続くので、体力には余裕がある。

市街地へ入り、淀駅や京都競馬場を通過すると、道程の約3分の1だ。流石に疲れてきたので、1時間ほど休憩。再び自転車にまたがると、空が赤くなり始めている。冬は夜が来るのが早い。

気がつくとすっかり夜になっていた。夜の川沿いの道は思いがけないほど暗く、急に焦りと恐怖が湧いてくる。風か動物か、草むらがガサガサと音を立てるだけで手のひらから汗が噴き出した。道はまだ3分の1ほど残っている。森の中から野犬が飛び出てくる想像に怯えながら、せっせとペダルを漕ぐ。

19時、やっとのことで住宅地らしき場所に出た。人通りはほとんどないが、民家のあかりが目の前にあるだけで、心底ほっとした。このまま、ずっと進んでいけばもう大丈夫、そう思った矢先、愕然とした。奈良の中心部まで山を抜ける国道が、自転車では通ることができなかったのだ。途方に暮れかけたが、無駄に時間を過ごすことはできない。仕方なく、最寄りの高の原駅に自転車を置いて、ホテルまで電車で向かうことにした。疲労がピークに達し、駅までの上り坂を、とぼとぼと自転車を押して歩く。

電車に乗り込んで一息ついた。まだ体が熱く、夢の中にいるように頭がぼうっとする。恐怖でいっぱいになりながら1人自転車を飛ばした時間や、行き止まりに絶望した感覚が、生々しくも、どこか遠い。外食をする体力は残っていないので、コンビニでご飯を買い込んでホテルへ。旅先にまで持ち込んでいた他の記事を書き上げ、就寝した。

なんのために奈良まで来たのか。暗い夜道で、度胸を試すためではない。鹿と戯れ、仏教芸術に心を洗うためである。

2日目のお昼、やっと鹿に出会った。人に慣れ切った彼らは、せんべいを差し出すと、つぶらな瞳でかじり付いてくる。清々しい食べっぷりだ。4本足でトコトコ歩く姿も可愛らしい。鹿たちを堪能したのち、東大寺の大仏殿へ。入口をくぐると、大きな仏像が出迎えてくれた。この分厚い手のひらが私たちを救ってくれるのか。これから自転車での帰路を控え、傷心の私を、どうか見守っていてください。いつになく真剣に祈った。

くつろぐ鹿たち。近づくと、まつ毛の長さが際立つ=奈良公園



13時過ぎ、自転車をピックアップ。乗った瞬間に、昨日いじめ抜いた体の節々が痛む。まあ昨日と同じように漕いでいけばなんとかなるだろう、とサイクリングロードにのって、すぐに気がついた。往路と反対に、帰路は、緩やかに上り坂が続くのだ。ペダルの重さが昨日の比ではない。漕ぎ始めて30分で太ももがずしんと重くなり、顔がジンジン熱くなった。少しでも楽に漕ぐことができないかと、サドルを上げてみたり、背筋を伸ばして前傾姿勢で走ってみたりする。少し楽になった。

そこからはとにかく、ずっと、ひたすらに走った。延々と伸びる川沿いの道を進むこと5時間、日が沈みきる直前に京都駅近くに出た。長かった旅も、あとほんの数㌔だ。

桂川に並行する自転車道。前から射す日の光がまぶしい



18時15分、ついに家に到着した。太ももはどっしり重く、背中や尾骶骨がきしみ、ハンドルを握り続けた手の親指の根本が赤くなっている。とにかく、疲れた。

根っからの運動嫌いで自転車を漕ぐのも人一倍遅い私が、今回の旅をやり切ったことには、自分でも驚く。満足に観光はできなかったし、挫けそうになる場面も多々あったが、鹿はかわいかったし、何よりも、なんだか前より強くなった気がする。冒険は、何歳になっても人間を成長させてくれるものだ。(桃)


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有馬


おいしいご飯を食べ、いい湯につかる。試験続きで疲弊した心と体が癒しを求めるままに、選んだ行き先は温泉地・有馬である。

予算1万円と聞き温泉旅館への宿泊は諦めたが、調べるにつれ、立ち寄り湯という選択肢に気づいてしまった。さらに公共交通機関のみで片道1140円のルートを発見し勝ちを確信した私は、3つの温泉をはしごするのに加え昼食で贅沢をすることにした。前日は、初めて有馬に行く興奮と大学の課題でなかなか眠れなかった。

京都から有馬までは、阪急とバスを使う。目的のバスは便数が多くないので、週末の朝にはやや早く9時前に家を出た。京都河原町駅で阪急に乗り、十三で乗り換えて夙川駅で降りる。阪急夙川駅からは有馬温泉直通のバスに乗るだけだ。峠道を揺られること40分、有馬温泉街へ到着、六甲山から流れる有馬川とレトロな街並みが私を出迎えてくれた。

旅のご飯は重要である。おいしいものといえば肉、有馬で食べるのに思いつく最高の肉は神戸牛だったので、これに有りつこうと事前に調べたお店は和食料理店「旬彩猪名野」。11時に現地入りしてから開店までの30分、観光案内所のおじさんに散策マップを貰い、このあとここで食べ歩きしよう、など考えながらぶらぶら歩いた。

お昼時はどの店も混雑するだろうと思い、開店と同時に猪名野へ入店した。予約無しだと伝え、割烹着の人に席を案内してもらう。メニューにひと通り目を通し、満を持して神戸牛の牛すき鍋(3520円)を注文した。圧倒的な美味しさと心地よい背徳感。割り下が全身の血管に染み入る感覚を味わう。幸せ。生卵が苦手だとか、もはやどうでもよかった。

とりどりの具材の下にはシメにぴったりなうどんが隠れている



昼食を終え、1つ目の温泉に向かって歩く。場所自体は目と鼻の先だが、湯あたりといって食後すぐの入浴は体に負担がかかるらしいので、回り道をして豊臣秀吉像やねね像を見物した。秀吉が愛した温泉地ということあって、太閤通りや太閤橋などあちこちに「太閤」の字をみた。

最初に訪れたのは有馬御苑という旅館の温泉。場所によっては入湯料が3千円を超える中、バスタオルもついて1100円と割と良心的だ。有馬には泉質の違いから「金泉」と「銀泉」の2種類の温泉があり、前者は赤茶色に濁った含鉄塩化物泉、後者はお湯に濁りのない炭酸水素泉や放射能泉だが、有馬御苑は金銀の両方に入れるためお得である。私が入ったときは昼食時だったからか人が少なく、大浴場をほぼ貸し切りにしてくつろぐことができた。のんびりしすぎて気づけば入浴から1時間半が経っていた。

外に出てもしばらくコートは要らなかった。メインストリートの湯本坂には土産物屋や喫茶店が建ち並び、歩くだけでも楽しい。映えスポットらしき赤い郵便ポストを過ぎたあたりで豆乳サンデードーナツトッピング(410円)を買った。その後も、出来立ての炭酸煎餅を試食したり金泉塩キャラメルソフト(500円)を買い食いしたりと、食べ歩きを満喫した。途中、雑貨屋の2階に「塩と胡椒入れ博物館」を見つけた。陶器やガラスなどで作られた塩コショウ入れのコレクションが所狭しと展示されている。年代物ばかりが並んでいて、その価値はいまいちわからないものの祖父母の家にいるような懐かしさを覚えた。

2時間ほど観光しアイスも食べ歩いてさすがに体が冷えてきたところで、2つ目の温泉「金の湯」に行った。外湯という日帰り専用の大衆浴場で、3つ目に行く「銀の湯」とこの日最後に行った「太閤の湯殿館」という資料館もセットで入浴料千円のチケットを買った。湯加減は42度、46度と熱めなうえ人も多く、帰りのバスまで2時間もなかったので、さっさと上がり手際よく銀の湯に行った。

銀の湯では風呂上りに地ビール「有馬麦酒」を頂いた。熱を持った喉に冷えたビールが直に注がれる。帰りに運転することもないので心おきなくひと瓶飲み干した。最後の資料館は閉館までの30分で十分楽しめた。

日が暮れるころ有馬を後にした。バスも電車も車内は寝て過ごし、家に着いたのは夜の7時半だった。大まかな計画しか立てず現地で貰った地図を見たり見なかったりの旅では、同じ道を通ることもあったが、自由な時間を過ごせた。心も体もほぐされて、お財布にもやさしい。安全牌だが、それにしても始終ストレスレスだった。そうだ、また来よう。(怜)

金泉の湧口から湯煙がたなびく=天神泉源




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香川・徳島


金曜の夕方、四条河原町から旅は始まる。大阪にあるJR四国ワープ支店で切符を買うため、中途半端な時間の出発だ。阪急電車に乗り込み、梅田で下車。慣れない都会の道に迷ったが、営業終了間際にどうにか支店にたどり着き、無事切符を手に入れる。

帰宅ラッシュの人波に乗って神戸に向かう。フェリーの出発まで時間を潰そうと商店街を散策していたが、21時を過ぎると開いている店も減ってきた。繁華街から流れてきた酔客の群れから逃げるように港まで移動し、待合室で文庫本をひらく。既に何人かの姿があるが、携帯を触ったり新聞を読んだりと思い思いに過ごしており、街中とは対照的な静けさだ。

高松行のジャンボフェリーは1時に神戸を発つ。ヘルメットを抱えたライダーや、編み笠を被った遍路など、多彩な顔ぶれに混ざって四国へ渡る。色褪せたシートは寛ぐには少し硬いが、疲れた身体を沈めて寝るには十分だ。

翌朝5時、眠たい目をこすって高松東港に降り立つ。目覚めると海の向こう側にいるというのは不思議な感覚だ。遠くに来た感じがして気分が高揚する。頬にあたる早朝の空気がひんやり心地よい。

朝の丸亀。左奥が讃岐富士、右奥が丸亀城天守



港と駅の間は、無料の連絡バスで15分。高松駅からは、列車で丸亀へ向かう。近くの商店で営業中のうどん屋を尋ねると、「まごころ」という店を勧められる。「お兄さん若いけん、足でも10分ほどで着くやろ」と言われたのを真に受け、のこのこ歩いて向かう。一帯は城下町の外港だったようで、虫籠窓を持つ古い商家や、かつて灯台の役目を果たした燈篭が建っている。港を跨ぐ橋には朝日が射しこみ、さわやかな景色に気分も良くなる。

結局20分以上歩いて店に着く。己の老いを案じて調べてみると2㌔も歩いており、そら10分で着かんわと苦笑。経験上、車社会では距離が過小評価される傾向にある。地元民が勧めるだけあって味は無類だ。製麺工場に併設された店内は、朝早くから賑わっている。ここで釜揚げうどんと時間を食って、丸亀城の登城を諦めたことは秘密である。

丸亀駅に戻り、列車でさらに西に進む。車窓に迫る瀬戸内を横目に、観音寺までは40分の旅。列車を降り、駅前の「大正橋プラザ」で自転車を借りる。田園風景の中を15分ほど走り、高屋神社の下宮に着く。ここに自転車を停めて、本宮のある標高404㍍の稲積山頂を目指す。寝不足と移動で疲れ切った身体に鞭打ち、朝食べたうどんの熱量だけが頼みの山登り。往時の旅さへかくや労はしけれと自分で組んだ旅程が恨めしくなってきた頃、視界が開け、石段の先に屹立する鳥居が目に飛び込んでくる。お詣りを終えて振り返ると、鳥居越しに西讃の田園と穏やかな瀬戸内海を望む絶景が広がる。広い青空のもと風が吹き抜ける境内は居心地がよく、疲れを忘れて景色に見入ってしまう。

高屋神社本宮から鳥居越しに景色を眺める

高屋神社本宮から鳥居越しに景色を眺める



山を下り、駅方面へもどる。列車の時間に余裕があるので、琴弾公園の銭形砂絵に立ち寄る。荒涼とした砂浜に古銭「寛永通宝」が立体的に描かれるさまは壮観だ。砂絵は地元の名物として親しまれているが、描かれた年代や経緯はよく分からないらしい。規模は違うが、ナスカの地上絵とどこか通じるものを感じる。

同じフェリーで往復するのも味気ないので、遠回りだが徳島を経由して帰ることにする。列車は部活帰りの高校生が多く、方言が飛び交うローカルな雰囲気だ。列車を3度乗り継ぎ、徳島には17時すぎに到着。目についたラーメン屋で長時間移動の疲れを癒す。徳島ラーメンの濃厚なスープが疲れた身体に沁みる。

駅から市営バスで徳島港へ。ここから南海フェリーの船客となり、紀伊水道を2時間の旅だ。甲板から後ろを望むと街明かりが遠ざかっていく。何かのイベントだろうか、街の上空に季節外れの花火があがり旅愁を誘う。

21時過ぎに和歌山に着く。港に乗り入れる鄙びた駅から、南海電車で大阪に向かう。電車は泉南の工業地帯を快走し、1時間半で新今宮へ。ここから環状線・京阪電車と乗り継ぐ。中書島、七条……と馴染んだ地名を伝える放送が、旅の終わりを告げている。日付が変わるころに三条駅に降り立ち、0時半ごろに帰宅した。

旅費は1万710円で、筆者の詰めの甘さが露呈した。遠回りして徳島に寄り、呑気にラーメンを啜っている余裕はなかったらしい。節制を自戒として、本稿の締めくくりとしたい。(汐)


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