民族の尊厳、司法に問い直す 琉球遺骨返還請求訴訟 第一審まとめ
2022.07.16
大阪高等裁判所にて
9月14日10時30分〜
沖縄県今帰仁村の百按司墓から1929年に金関丈夫・京都帝国大学助教授が持ち出した遺骨(※)について、墓に埋葬された王家の子孫らが返還を求めて2018年12月に提起した裁判で、第一審判決が4月21日に京都地裁で言い渡された。訴えを棄却された原告は控訴。9月14日から第二審の口頭弁論が始まる。第一審では、どのような主張が見られ、裁判所はどう受け止めたのか。また、いかなる背景事情があり、判決はどのような意味を持つのか。考察を深める足がかりとなることを期待し、経緯や争点、それぞれの見解を整理する。(編集部)
※京大が保管する遺骨は、京都帝大の三宅宗悦講師が奄美・沖縄本島から持ち出したものであることが、板垣竜太・同志社大学教授の鑑定意見書により明らかとなった。
松島泰勝氏 龍谷大教授
亀谷正子氏 第一尚氏の子孫
玉城毅氏 第一尚氏の子孫
金城實氏 彫刻家
照屋寛徳氏 衆議院議員
山極壽一氏 京大元総長
その他の関係者
金関丈夫氏 京都帝大助教授
三宅宗悦氏 京都帝大講師
清野謙次氏 京都帝大教授。三宅氏や金関氏を指導
目次
関連する条文(一部要約)
自由権規約27条種族的、宗教的又は言語的少数民族が存在する国において、当該少数民族に属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。
先住民族の権利に関する国連宣言第12条
1. 先住民族は、精神的・宗教的伝統、慣習、儀式を実践・発展させる権利、遺跡を保護する権利、遺骨の返還に対する権利を有する。
2. 国家は、関係する先住民族と連携して公平で透明性のある効果的措置を通じて、儀式用具と遺骨のアクセスおよび返還を可能にするよう努める。
憲法13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
憲法20条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
民法897条1項
系譜、祭具及び墳墓の所有権は、前条の規定にかかわらず、慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者が承継する。ただし、被相続人の指定に従って祖先の祭祀を主宰すべき者があるときは、その者が承継する。
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第一審判決の概要
請求を求める根拠
原告は、遺骨の返還を請求する権利の根拠を、少数民族の文化享有権を定めた自由権規約27条と、「遺骨の返還に対する権利」を定めた「先住民族の権利に関する国連宣言」の第12条に求めたが、裁判所はこれを否定。自由権規約を「締結国において少数民族が宗教を信仰・実践する権利の実現に向け、政策を推進すべき政治的責任を負うことを宣言したものにとどまる」としたうえで、当該両規約について、個人に具体的権利を付与すべきことを直接定めたものではないと判断した。また、憲法13条と20条が当規約を具現化することで返還請求の権利を付与すると理解することはできないとした。所有権をめぐる主張
また、原告は裁判所に、民法897条1項の規定する「慣習」について、自由権規約27条や国連宣言第12条にもとづく理解を求めた。琉球では、血縁による共同体の構成員が死亡すると、その霊魂が守護神である「祖霊神」となり、共同体全体で信仰される。祖霊神は、祖先の遺骨に宿ると考えられられるため、遺骨自体も「骨神」として共同体全体の信仰の対象とされ、遺骨の個別性は問題とならない。このような信仰にもとづき、琉球の人々は、近親者の墓だけでなく、数百年前の祖先らが一緒に眠る墓所を拝み続けるという慣習を有し、百按司墓もこれに該当する。これらをふまえ原告は、少数民族の権利を定めた国際人権法の定めに照らして解釈される民法897条1項により、畏敬・追慕の念を抱いて祭祀を行う者であれば子孫に限らず祭祀承継者にあたり、所有権が帰属すると主張した。これに対し裁判所は、民法897条1項の規定する所有権には他者の所持を許さない排他性があるため、原告の主張は認められないとして、訴えを退けた。加えて原告は遺骨の所有権について、亀谷氏と玉城氏が複数回、百按司墓を拝んでおり、祭祀の実施に他の子孫から異議はないと説明。今帰仁村が祭祀を行う予定もないことから、彼らは「祖先の祭祀を主宰すべき者」であり、遺骨の所有権を持つと主張していた。裁判所は、慣習により遺骨は共同体全体の信仰の対象であり、百按司墓は多数の子孫により参拝されていることから、亀谷氏や玉城氏に他の子孫らへの優越は認められず、祭祀を主宰すべき者と言えず、所有権も属さないとした。さらに、他の参拝者がいることや今帰仁村教育委員会による返還協議の申し入れが行われていること、台北帝国大学に持ち出された遺骨が沖縄県立埋蔵文化財センター収蔵庫に移管されていることをふまえて、原告らに遺骨を継承させることは今帰仁村や共同体構成員の総意と見なせないと判断した。
違法性の有無
原告は京大の遺骨の保管に対して「祖先を悼む権利が侵害された」と主張したが、裁判所は遺骨を「学術資料的・文化財的価値のある」ものとしたうえで、京大の遺骨の保管はその目的や方法が不適切とは言えず、違法ではないと判断した。松島氏への京大の対応
加えて裁判所は、原告・松島氏への京大の対応の違法性を否定した。松島氏が京大総合博物館に提出した本件遺骨の利用申請書には、松島氏の研究実績や遺骨の利用方法・取り扱い方が明記されていなかったとして、当申請を京大側が許可しなかったことは違法には当たらないとした。さらに、「この件を訴えている方は問題のある人と承知している」という山極総長の発言も、社会通念上許容される限度を超えた侮辱行為であるとまでは認められないとした。協議促す付言
一方、裁判所は、「琉球民族として祖先の遺骨を百按司墓に安置して祀りたいという心情には汲むべきものがある」とし、宗教上の人格的利益として法的な保護に値すると解釈する余地があると指摘した。そのうえで、「原告らと被告との間のみで解決できる問題ではなく、関係諸機関を交え」て協議し、「解決に向けた環境整備が図られるべき」と付言した。続けて、現在の状況で「子孫ないし追慕者らによる個別の権利行使を認めた場合には、権利関係をいたずらに複雑化させ、後発の紛争を誘発し」かねず、「祖先の霊を安らかに祀りたいとする原告らの期待にも反する結果となる」と説いた。*****
判決をうけて原告は4月28日、大阪高裁へ控訴した。
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前提事実(判決中の「争いのない事実」)
当事者
・亀谷氏は第一尚氏の王族の直系子孫。玉城氏は第一尚氏の士官の直系の子孫。その他原告は自らが琉球民族であると主張。
沖縄地方の伝統的な葬送文化
・共同体の構成員が死亡すると、その霊魂が守護神である「祖霊神」となり、共同体全体で信仰が行われる。遺骨の個別性は問題とならない。
・祖霊神は遺骨に宿るとされ、遺骨自体も「骨神」として信仰の対象。
・門中(父系血縁者による親族集団)ごとに、祖先に関係する城跡などを巡拝する行事がある。なかでも「今帰仁上り(なきじんぬぶい)」は多くの門中によって行われ、百按司墓はその主要な巡礼地。
京都帝国大学所属の研究者による人骨収集
・金関氏は、1929年1月、百按司墓から人骨を収集した。
・金関氏は、人骨を京都帝大に持ち帰った後、1934~36年頃、台北帝国大学への転任に際し、その全部または一部を持ち出した。
・金関氏が台北帝国大学に持ち出した頭蓋骨33体は、2019年3月、同大学や沖縄県教育委員会、今帰仁村教育委員会などの協議により、沖縄県立埋蔵文化財センター収蔵庫へと移管された。
・三宅氏は、1933年12月、沖縄本島の国頭などで約70体の人骨を収集した。この中には本件遺骨のうち一部が含まれる。
本件遺骨の保管態様
・京大は、遺骨を京大総合博物館収蔵室内で保管。一般公開していない。
・収蔵室は温度と湿度が一定で、虫害の予防措置がとられ、常時施錠。
・遺骨は、目録記載の番号ごとに、プラスチック製の箱に入れられ、収蔵室内のレール式移動棚で保管されている。
松島氏への京大の対応
・松島氏は、2017年5月、京大総合博物館に遺骨の標本利用申請をし、京大は不許可とした。
・松島氏は京大総合博物館に遺骨の保管状況についてメールで尋ねた。京大は、個別の問い合わせには応じていない旨を回答した。
・山極壽一氏は、2019年8月、京大職員組合委員長との対談で、松島氏を指して「この件を訴えている方は問題のある人」と述べた。
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認定事実(判決中の「裁判所の判断」)
金関氏の人骨収集
・金関氏は1929年1月5日、沖縄に到着し、同月6日、沖縄県立図書館を訪問し、当時の同館長と面会し、同月7日、沖縄県庁を訪問した。
・金関氏は同月8日、沖縄県庁の自動車に乗り、県庁職員の案内で百按司墓に立ち寄った。そして百按司墓にあった4個の頭蓋骨を持ち出した。
・金関氏は同月9日、人骨収集に関して沖縄県警察部の許可を得た。同月11日、名護小学校の校長と巡査1名とともに、百按司墓に向かい人骨を収集した。
・金関氏は同月12日、駐在所の巡査および雇った人夫とともに、百按司墓からできる限りの人骨を収集し、持ち帰った。
遺骨の保管
・京大は、遺骨を「前提事実」に記載の方法により、収蔵室内で保管している。
・日本人類学会は京大に対し、本件遺骨を含む琉球人の人骨について、その学術調査を継続することを要望する書面を提出している。
百按司墓の現状
・今帰仁村教育委員会が2001年から2004年にかけて行った調査によると、百按司墓の第1号墓所にて42体の遺骨の存在が確認された。
・今帰仁村は、百按司墓が所在する土地を所有し、百按司墓を文化財として指定しているが、祭祀を行ったことはなく、今後もその予定はない。
・玉城氏は、2000年頃、自らが第一尚氏の子孫であることを知り、その頃から数回、墓を訪れ墓所を拝んだ。
・玉城氏は、2017年頃、百按司墓から持ち出された本件遺骨を京大が保管していることを知った。その後複数回、墓を訪れ墓所を拝んでいる。
・亀谷氏は、2017年頃、百按司墓の存在を知り、自らの祖先が祀られていることも知った。その後、複数回、墓を訪れ墓所を拝んだ。
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争点整理(判決をもとに作成)
主なできごと
(本紙2017年11月1日号〜2022年5月1/16日号より)・2004年、今帰仁村教育委員会が調査を実施。
金関氏が百按司墓から持ち出したとみられる遺骨26体が京大総合博物館で保管されていることを報告。
・2017年2月に琉球新報がこの調査をふまえて報道。
2017年2月 報道を受け返還運動が広がる
18年12月の集会(※1)に登壇した松島氏は、「17年2月頃から『琉球新報』で連載が組まれて以降、琉球で大きな返還運動が起こるようになった」と振り返ったうえで、「遺骨盗掘問題は、琉球人の自己決定権にかかわる大きな問題である」と訴えた。2017年5月 京大、遺骨の実見要求を拒否
17年5月、松島氏は京大総合博物館に対し、遺骨の実見を求めて申請したが、京大は「目的、及び、それぞれの資料の取扱いの熟達度や研究実績などを考慮」し、要求を拒否した。8月には、琉球民族遺骨返還研究会が質問状を提出したが、「個別の問い合わせには応じない」と応答を拒んだ。11月に松島氏が京大を訪れた際には、職員が本部棟への立ち入りや担当者との面会要求を拒んだ。2017年9月 京大、遺骨の所蔵を認める
真相究明を求める声が上がるなか、衆議院議員の照屋寛徳氏が8月、国政調査権を用いて情報の開示を文科省に要求。文科省は京大総合博物館への調査を経て9月15日付で回答書を提出した。この調査で京大は、当該の遺骨26体を所蔵していることを認めた。
2018年12月 琉球王族の子孫らが京大を提訴
12月4日、琉球の王族の子孫らが京大を相手取って京都地裁に提訴した。京大の保管する遺骨をめぐる訴訟は初めて。原告の松島氏によると、京大が情報開示に消極的で、裁判をしなければ解決しないと判断。「先住民族としての権利を侵害している」と訴える。2019年3月 第1回弁論 京大、盗骨を否定
3月8日、第一回口頭弁論が行われ、原告の亀谷氏が陳述した。百按司墓から遺骨が持ち出されたことで先祖の霊との交流ができないと説明し、「琉球・沖縄人全員が侮辱された気持ち。切ない」と訴えた。京大は答弁書で「人骨の収集について警察を通じて諸般の手続を行った」と盗掘を否定した。地裁大法廷には、定員を超える百名近い傍聴希望者が集まった。
2019年5月 第2回弁論 原告、返還と謝罪要求
5月17日の第2回弁論では、原告の玉城氏が陳述し、遺骨の返還と謝罪を京大に求めた。一方、京大は改めて盗掘を否定した。
百按司墓の祭祀葬祭者が途絶えているという京大の主張に対し、原告は聖地巡礼が続いていることを説明して反論した。
2019年7月 人類学会「研究資料として保存を」
京大が保有する各地の遺骨をめぐり、日本人類学会が7月20日、篠田謙一会長名義で京大総長宛に要望書を提出。遺骨を「国民共有の文化財」だとし、今後も研究資料として利用できるよう京大に対応を求めた。これに対し琉球遺骨訴訟の原告は抗議文を発表。亀谷氏は「「学者研究ファースト」の傲慢さが見える」と指摘し、松島氏は一方的な政治的関与と批判し謝罪を求めた。
2019年8月 総長、原告は「問題のある人」
山極壽一総長は8月6日、京大の職員組合中央執行委員長の駒込武・教育学研究科教授との懇談で、訴訟の原告を「問題のある人と承知している」と述べた。一方で、「門前払いをした京大の対応にも問題があった」、「善処を考える」とも発言した。
2019年8月 第3回弁論 原告、京大を批判
8月30日、第3回弁論が開かれた。「原告の請求の根拠は不明確」という京大の訴えに対し、原告側の弁護士は、憲法13条を根拠に返還請求の妥当性を主張した。また、原告の金城氏が陳述し、「遺骨について軽々しく考えている」と京大を批判した。
2019年11月 第4回弁論 収集時の手記を引用
「不誠実極まりない」。11月29日の第4回弁論で陳述した原告の照屋氏は、京大の一連の対応を批判した。原告側の弁護士は、遺骨を持ち出した金関氏の手記のなかで、「有力者」に周囲を監視させて収集を済ませたとする記述があることを紹介し、改めて盗掘と訴えた。また、遺骨の「取り扱いが極めてずさん」と批判し、収集地などを記した目録の開示を求めた。
2020年2月 第5回弁論 「学地の植民地主義」
2月27日の第5回弁論では、松島氏が陳述した。1879年の琉球併合以降、琉球諸語の使用禁止などの政策によって形成された日本人と琉球人の不平等な関係が遺骨の盗掘につながったと指摘。「遺骨の盗掘の大きな原因は学知の植民地主義にあり、京大は過ちを真摯に反省すべき」と訴えた。京大は、遺骨の返還が困難である旨を主張し、和解にも応じられないとの見解を示している。
2020年7月 第6回弁論 コロナ禍で延期開催
第6回は6月18日に予定されていたが、新型コロナの影響で7月30日に延期された。原告は同志社大学の板垣竜太教授の鑑定意見書を提出し、三宅氏による遺骨の持ち出しがあった旨を追及。三宅氏が琉球を「日本特殊地方」と分類したうえで「沖縄の古墳を探るのが最も手取り早い」と記すなど「植民地主義的ダブルスタンダード」をとっていたと指摘した。
2020年11月 第7回弁論 三宅氏の収集認める
11月19日の第7回弁論で京大は、板垣氏の鑑定意見書をふまえた準備書面を提出。金関氏以外に三宅氏も収集していたこと、その一部である本部町渡久地の遺骨を現在も保管していることを新たに認めた。ただし、収集の過程で違法な行為はなかったと主張している。2021年2月 第8回弁論 現場検証を要求
第8回弁論は2月26日に開かれた。原告は、京大の開示する人骨目録は全てを記載しておらず、管理の実態が詳らかでないと指摘。京大が「適切に管理している」と主張するのは不適切と訴え、百按司墓と京大総合博物館の現場検証を裁判所に求めた。
2021年5月 第9回弁論 保管箱の写真提出
総合博物館が遺骨の保管状況に関する写真付きの資料を作成。5月21日の第9回弁論で京大の代理人がこれを提出した。遺骨をプラスチック製のケースに入れたうえで、収集直後に付けられた「人骨番号」のラベルにもとづいて「管理」していると説明した。保管方法を問題視する原告は、写真からは判然としないとして改めて批判し、検証の必要性を訴えた。
2021年8月 第10回弁論 検証見送り
「裁判所は残念な道筋をつけている」。8月27日の第10回弁論を終えた原告の弁護士は、集まった市民に険しい表情で報告した。裁判所は博物館での検証の見送りを告げて結審の準備に入った。弁論では原告が約10分の動画を上映。琉球大学名誉教授の波平恒男氏が歴史的背景を解説したほか、作家・目取真俊氏が「遺骨をモノとしか見ていない」と京大を批判した。
2021年10月 第11回弁論 証人尋問
10月29日の第11回弁論では、松島氏と亀谷氏の証人尋問が行われた。松島氏は、祭祀承継は民族全体で行うものと説明し、自身が民族としての権利を有すると主張。亀谷氏は、「私の先祖の骨は研究によって消滅する」と訴え、一刻も早い返還を求めた。一方、被告は、原告が祭祀承継者となってから期間が短いことなどを理由に、遺骨の返還を受ける者としての正統性に疑念を示した。
2022年1月 第12回弁論 結審
1月20日、原告が最終準備書面を陳述し、結審した。原告は広範な祖先を拝む集合墓参りが続けられてきたことを説明したうえで、民法や憲法、国際人権法にもとづき遺骨の所有権を改めて主張した。一方、京大は原告が祭祀承継者にあたらないと改めて反論した。原告の金城氏は、「この裁判は未来を担う子孫に向けての品格をかけた闘い」と訴え、12回にわたる弁論を締めくくった。
2022年4月 判決 訴え棄却にどよめき
4月21日、京都地裁は原告の訴えを退ける判決を言い渡した。増森珠美裁判長が結論部分を読み上げ閉廷すると、傍聴席からはどよめきが起こり、「理由を教えろ」「間違っている」との非難の声が上がった。翌日、原告らは総合博物館前に集まり合掌し、遺骨へ祈りを捧げた。
28日、原告は大阪高裁に控訴(※2)。第二審の初回口頭弁論は9月14日10時半から開かれる。
各所から要望書
京大が保有する遺骨をめぐっては、19年10月に3団体が共同で要望書を提出するなど、複数回にわたって返還や協議の申し入れが行われている。20年10月には、京大と同志社大の教員有志が真相究明を求める要望書を京大に提出。国内外の研究者172名と21団体・個人160名から賛同の署名があったという。国際的な潮流
台湾大学は、金関氏が持ち出したとされる遺骨63体を保管していたが、19年3月に今帰仁村教育委員会に返還した。経緯について松島氏は、「琉球民族遺骨返還研究会が中華琉球研究学会に依頼して台湾原住民と交渉し、実現した」と説明している。90年頃のオーストラリアなど、研究機関が先住民族に遺骨を返還する事例が世界各地で見られる。板垣氏は鑑定意見書のなかで国際博物館会議の倫理規程を紹介し、京大の対応を世界の潮流に逆行すると批判した。
遺骨利用の目的
金関氏は「琉球人の人類学的研究」という論文で博士号を得ている。松島氏はこれを「「優秀な」日本人の歴史の解明が研究目的。ナチスの優生学と関連がある」と指摘する。一方、人骨を研究する意義について、元人類学会会長の篠田謙一氏は自らの論文で「祖先の生活を知ることのできるほとんど唯一の証拠」と説明。「研究のあり方について真摯な話し合いが必要」と記している。
司法判断の影響
国際法が専門の上村英明・恵泉女学園大学教授は21年2月、口頭弁論前日の集会に登壇し、日本の司法で初めてアイヌ民族を先住民族と認めた裁判を紹介。その判決以降、国会で決議され法律にも権利が明記されるなど一定の影響があったことを説明したうえで、「琉球民族に対しても、国際機関の勧告をふまえて先住民族としての権利を保障することは可能」と指摘した。注
※1 京大で18年12月19日に開かれた集会にて。画像は松島氏が集会に寄せたメッセージ動画より。以下、所属や肩書きは当時のもの。※2 原告は、第一審原告のうち2022年4月に死去した照屋氏を除く4名。
※3 松島氏以外の原告の画像は各弁論の報告集会にて撮影。
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第一審判決を受けて
・亀谷氏と玉城氏が王族の子孫と認定された。原告適格という高いハードルを乗り越えられた。訴訟内外で働きかけできる。
・遺骨の研究利用を求める人類学会の要望書を認定事実に挙げるのは違和感がある。
・多数の利害関係者がいるから話し合えと促す裁判所の付言は、司法判断を避けている。
・他の関係機関との協議を促されたが、裁判所はもっと当事者のことを重視すべき。
・裁判所は、遺骨の占有権限の有無や盗骨か否かなどへの評価をしていない。
・遺骨は、埋められて風化するのが当たり前。京大が「適切に管理している」と評価するのは、人間としてのおごり。
・京大は箱しか見せない。遺骨の管理方法を改めて追及していきたい。
・遺骨の埋葬祭祀での使い方を記す一方で、学術的価値があると指摘するのは矛盾。
・自由権規約について詳しく主張したにもかかわらず、その内容が判決に反映されていない。国連の見解などにも触れていない。政治的問題で判断から逃げている。
・不特定多数の追慕者がいるため個人に権利が帰属しないという判断は、先住民族の人権を守ろうという国際的な潮流にあらがっている。
・多数の子孫がいて総意がないという指摘があったが、亀谷氏や玉城氏の返還請求に対して他の子孫から反対があるとは思えない。独占する意図はなく、複数いる祭祀継承者のひとりが所有権を共有する前提で返還を受けても問題ないだろうという話。
・細々したところを含めて指摘できるところはある。愚直に反論していく。
原告
松島泰勝氏残念な判決。一番の問題は所有権の設定。我々の私的所有権を主張しているわけではない。元ある場所に還してほしいという人間として当然の気持ちを認めないのは大変な人権侵害。これを許せば、琉球人の尊厳は守られない。
また、日本人類学会などの機関と協議するよう促す付言があるが、方向性の全く違う人たちと話し合えというのは無理難題だ。
今回の判決は骨の人類館(※)を京大が行うことを認めたに等しい。世界に恥をさらしている。日本ではこんな人権侵害がまかり通っているということを国連でも訴えたい。今後ともご支援お願いします。(判決後の報告集会より)
※1903年に大阪で開かれた内国勧業博覧会で琉球人などの生身の人間が「展示」された。原告は裁判でこれを紹介し、「学知主導の植民地主義が現在も続いている」と批判した。
玉城毅氏
金関氏が盗まなければ、あるいは京大が返してくれれば、難儀しなくて済むのに。京大は戦時中の精神を持っている。酷い話。判決をふまえ、蟻の一穴の気持ちで奪われている尊厳を守りたい。(同上)
亀谷正子氏
沖縄に住んでいたことのあるという裁判長に、一縷の望みを抱いていたが、司法は政府に忖度した。先住民族に関する法や国際的な潮流を知りながら、なぜグローバルな判決を下さないのか。琉球・沖縄人に寄り添わず、自己保身に走った。第一回原告陳述で、「京都大学に与することなく、司法の良心をお示ししてください」と訴えた。二審の大阪高裁で叶えられることを切に願っている。(同上)
板垣竜太氏
残念。悔しい。第一歩を踏み出すつもりがない判決だ。協議の場を設けろという付言は、重要であり活用すべきだ。一方で、遺骨を信仰の対象とする人と学術的価値を見出す人を並列して利害関係者とする論理は腹立たしい。これ以降で関心があると言う人たちが出てきたら誰でも協議に入れるのか。乱雑な判断だ。
また、日本人類学会に集う人たちですら、本当にずっと関心を持ってきたのか怪しい。ある京大の研究者は、「理学部で手許に置いておく必要のある人骨を除き、残りは総合博物館に「捨てられた」」と述べていた。つまり、「研究的価値」を一度捨てたのだ。今になって主張するのはおかしい。
近代司法は植民地主義を内包しており、この問題を判断するには力不足だ。植民地主義と決別する覚悟のない司法では正しい判断ができない。もちろん、裁判をやったからこそ京大の矛盾が露呈した側面はあり、これからも権利を勝ち取れるよう戦っていくべきだ。一方、法廷で敗訴になったとしても社会的に勝つことはある。今後も協力していきたい。(同上)
被告
京大総合博物館総合博物館から個別に回答するのではなく、広報課から本学としての回答をする。(本紙取材に7月8日付で返答)
京大総務部広報課
係争中の事案につき、コメントは差し控える。(同上)
山極壽一元総長
現在は当事者ではないためコメントは差し控える。(現所属の総合地球環境学研究所宛の本紙取材に7月7日付で返答)今帰仁村 当局
今帰仁村歴史文化センターの玉城靖館長への電話取材(7月12日)●京大との協議に進展は。
今帰仁村側から連絡したのは事実。返還に向けた協議というより、保管のあり方について話し合いたいという趣旨。裁判が始まったこともあり、協議は進んでいない。
●判決の「関係諸機関での協議を」という付言をどう捉えるか。
百按司墓は、古くから不特定多数の人々に聖地巡礼されているお墓。原告の方々がお参りに来るようになったのはここ数年で、少し違和感がある。裁判所の判断としても、原告が祭祀承継者と言えるか否かが問われている。一方で私自身も沖縄の出身で、アイデンティティに関わる複雑な問題だと認識している。
控訴されたということで、原告にも被告にも、我々から今の段階で何か働きかけるつもりはなく、裁判の行方を見守りたい。