24時間検証 この夏、見るべきホラーはこれだ(2022.06.16)

Filed under: 企画類
????????????????????
梅雨が始まった。気温と湿度に比例して、生活への憂鬱も高まる季節だ。雨が降ってなんとなくやる気が出ない時は、ホラー映画を見て、心に刺激を与えよう。今回、読者に最強のホラーをおすすめするべく、5人の編集員が画面の前に集まった。本記事が、この夏のホラー鑑賞の道標となることを願っている。(編集部)

目次


    企画説明
    【初心者向け】得票1位 「社会派」ゾンビ映画 『ドーン・オブ・ザ・デッド』
    【心臓に悪い】得票1位 過剰なまでに「全力」な怨霊 『呪怨』
    【じわじわ怖い】得票1位 ホラーで描く差別とトラウマ
     『ゲット・アウト』
    狂気の連続殺人犯に魅せられる 『羊たちの沈黙』
    「少女」の皮を被った魔物 『エスター』
    ジャパニーズホラーの古典 『リング』
    家族愛と悲しみに満ちた異色ホラー 『マローボーン家の掟』
    名作か駄作か、それはあなたしだい 『悪魔のいけにえ』
    密室で迎える絶望のラスト 『SAW』
    霧の向こうに救いはあるか 『ミスト』

企画説明


本企画では、24時間をかけて、計10本のホラー映画を鑑賞した。選出は、編集員の独断による。サスペンスホラー、サイコホラー、ジャパニーズホラーから、ゾンビ映画まで、幅広いジャンルから選んだつもりだ。ただ、結果として、いわゆる「名作」に偏ってしまった感はある。

タイムテーブル


00:15 羊たちの沈黙
02:30 エスター
[1時間半休み]
06:00 リング
08:00 マローボーン家の掟
10:05 悪魔のいけにえ
[1時間45分休み]
13:15 ドーン・オブ・ザ・デッド
15:15 呪怨
17:00 SAW
[1時間休み]
19:40 ミスト
22:00 ゲット・アウト

企画の構成


全ての作品を見終えたのちに、▽初心者向け▽心臓に悪い▽ジワジワ怖いの3部門で投票をとり、編集部が特におすすめしたい3作品を決定した。その3本については、特に文字数を割いて評論する。もちろん、選ばれなかった7作にもそれぞれの魅力があって、作品自体の優劣をつける意図はない。ホラーの専門家でも何でもない大学生だからこそ、素直な目線で批評できるはずである。

参加した編集員たち


集まった5人のなかには、日ごろからホラー映画に親しむ人もいれば、ほとんど映画を見ない人もいる。いずれにせよ、文字通り「丸一日」に及んだ鑑賞会を通して、全員がホラーの真髄に触れたことだろう。目の肥えた(?)編集員たちが紡ぐ言葉に注目したい。

なお、体力勝負のこの企画で、10本全てを見切ることができた編集員がひとりもいなかったのは、少々情けない事実だ。

ひとこと


(桃)主催者なのに一番寝てすみません
(田)怖いシーンを寝て見逃すことが一番怖かった
(怜)幽霊相手では布団の中も逃げ場じゃないらしい
(爽)企画後、暗闇の中に視線を感じた気が…
(順)ホラー映画の奥深さが垣間見えた


目次へ戻る

「社会派」ゾンビ映画 『ドーン・オブ・ザ・デッド』

(【初心者向け】得票1位 )

本作は1978年公開のアメリカ映画『ゾンビ』のリメイク版で、2004年に公開された。本作もオリジナル版と同様、ゾンビをテーマにしたホラー映画である。本作のゾンビは、他のホラー映画に登場するゾンビとある点で一線を画す。彼らはおよそゾンビには似つかわしくないキレのあるフォームで疾走するのだ。全身を脱力させたまま、数だけを武器に人間を追い詰める典型的なゾンビとは迫力が一味違う。ゆえに、登場人物は視聴者が苛立ってしまう行動をわざわざとる必要がなくなる。彼らが全力で理性的に逃げてもそれについてくる実力をゾンビが備えているからだ。

さらに、本作は前作同様、アメリカ社会を風刺した側面も持っている。例えば、ショッピングモールに引き寄せられるゾンビの大群。彼らは束の間の休日を、ショッピングモールで無意味に消費するアメリカ社会に生きる人々を風刺しているのだろう。前作が公開された20世紀後半には、大量生産、大量消費を基盤とする画一化された生活がアメリカ社会を支配していた。そんな状況に警鐘を鳴らした前作の意図を踏襲したのかもしれない。

本作は特定の主人公を設けず、複数人の登場人物が織りなす群像劇である。彼らは人種、性別、世代、職業が異なり、各々が持つ価値観は多種多様だ。当然、共同生活のなかでいがみ合いが頻発する。いっそのことゾンビになるより生き残った方が辛いのではないかと思うほど、対立の状況は悲惨だ。しかし、徐々に仲間意識を高め、終盤には皆が一丸となってゾンビに立ち向かう。ゾンビという敵がいることで、バラバラだった人々はいともたやすく和解し協力し合うのである。これは、共通の敵の存在なしでは協調し得ないアメリカ社会への批判と捉えることもできるだろう。

社会批判的要素の反面、本作はゾンビ映画にありがちな展開が多いことは否めない。例えば印象が薄い、もしくは視聴者に嫌悪感を抱かせる性格の登場人物は序盤で早々にゾンビにかまれる。屈強で道徳心の強い男は中盤で誰かの犠牲となって死ぬ。顔のいい登場人物は結局最後まで残る。加えて、なぜか必ず恋愛関係に発展する男女が出てくる。幸運にも関係が実るものの、一方がゾンビにかまれてしまい、残された方は束の間の恋人の死に絶望する。

良い意味で教科書的な、悪い意味で総花的で無難な映画といえるだろう。ゾンビ映画を見たことのない人はかなり楽しめると思う。鮮やかな映像、細部まで追求された特殊メイク、テンポの良い構成、大迫力のアクションシーン等々。ゾンビ映画には欠かせない要素がことごとくクリアされている。しかし様々な要素を盛り込んだ分、心に残る場面が少なかったことは否定できない。それには、群像劇とはいえ、多すぎる登場人物も寄与しているだろう。正直なところ、映画が終わるまでに登場人物の名前を覚えきれなかった。

ホラー映画(とくにゾンビ映画)を見慣れた人にとっては、デジャヴの連続になるかもしれない。しかし、ホラー映画を見慣れていない人やエンターテインメント性を重視する人にはぴったりの作品ではないか。我々編集員の視点から言うと、本作のもつ高度なエンタメ性のおかげで、ストーリー性の強い作品を連続視聴した疲労感を癒すことができた。一人で見るのも悪くはないが、数人で一緒に視聴すると一層面白味の出る映画とも言えるだろう。(順)

制作年:2004年
監督:ザック・スナイダー
制作国:アメリカ
上映時間:100分

目次へ戻る

過剰なまでに「全力」な怨霊 『呪怨』

(【心臓に悪い】得票1位 )

なじみ深い光景や文化を踏まえた自国のホラー作品はときに、思考段階を飛び越え、私たちの不快感のセンサーに直接触れる。『呪怨』の醍醐味のひとつは、現代日本を舞台として、その生活に根ざした怖さを描くところにあろう。怨霊の潜む家の、間取りや調度、聞き覚えのある音などから私たちが無意識に感じ取る無数のニュアンスが、匂いや手触りを感じてしまいそうな真実味を生んでいる。

仁科理佳は福祉センターの訪問ボランティアとして徳永幸恵を訪ねる。散らかった家には異様な雰囲気の幸恵がひとり残され、同居しているはずの息子夫婦の姿はない。また、屋根裏部屋の押入れを開けると、黒猫と幼い男の子が。ところが、徳永家には子どもがいないのだという。

『呪怨』は、清水崇監督によるホラーシリーズで、ビデオ版2作とそれに続く劇場版6作を数える。シリーズのいわば「ヒロイン」である伽椰子は、貞子と並んで日本ホラー映画史上最大のビッグネームだ。今回は劇場版1作目を鑑賞した。

伽椰子について説明を挟みたい。佐伯剛雄は、妻・伽椰子が不倫によって息子・俊雄を生んだとの妄想にとりつかれ、妻と息子を虐待したうえ、伽椰子を刺殺。その遺体を屋根裏部屋に放置した。俊雄はこの一部始終を目撃し、死んだ伽椰子によって「あちら側」へと連れ去られる。伽椰子は強力な怨念となって屋根裏部屋に留まり、剛雄を呪い殺したのち、この家に関わる人物を次々に手にかける。

その数年後、この家に引っ越してきたのが、本作に登場する徳永家である。夫・勝也と妻・和美は次々に屋根裏部屋で俊雄の霊を目撃し、正気を失ってしまう。そして夫妻の親戚や捜査関係者、理佳にまで伽椰子の怨念は襲いかかるのだ。

編集員の間で話題になったのは、徳永勝也の妹・仁美が怪奇現象への恐怖に苛まれるシーン。頭から布団を被り恐怖と闘う彼女は次の瞬間、布団の中からこちらを見る伽椰子を目撃し、「あちら側の世界」へとさらわれる。ホラー映画を見ているとまさに「布団をかぶりたくなる」シーンがあるものだが、その布団の中すら安全ではないという描写には、どこまでも観客を怖がらせ尽くそうという、制作陣の意地の悪ささえ感じる。

このように、映画全体を通して怖いシーンがてんこ盛りで、観客を十二分に怖がらせてくれる。しかしサービス過剰というべきか、霊と怪奇現象がインフレ気味だ。少しの暇もなく登場人物たちを襲いつづける怨念の節操のなさは、恐怖を超えてシュールですらある。また、伽椰子をはじめとする怨霊たちは、至近距離でじっくりとその恐ろしい姿を見せつけるのだが、それゆえ「つくりもの」感や「演技」感が拭えない。

これらの点でもう少し「引き算」ができたなら、怖さがより増したかもしれない。それでもこの「全力投球」な演出が本作の良さであると言いたい。したがって本作を心から楽しむためには、細部の不完全さには少々目をつぶって「怖がりにいく」くらいの気概が必要である。

なお視聴にあたっては、伽椰子について予習されたい。本作中では、伽椰子と俊雄が怨念となった経緯は説明されない。編集員はいずれも本シリーズを観たことがなかったため、クライマックスとなる最終盤では「これは誰の霊なんだ」と困惑の声が続出した。特に、白塗りになると判別が難しいので注意。(田)

制作年:2003年
監督:清水崇
制作国:日本
上映時間:92分

目次へ戻る

ホラーで描く差別とトラウマ 『ゲット・アウト』

(【じわじわ怖い】得票1位 )

本作は、『ハロウィン』『ハッピーデスデイ』など数多くの有名ホラーを手がけた制作会社・ブラムハウスが提供するサスペンスホラーである。2018年には第90回アカデミー賞脚本賞にも選ばれた話題作だ。

アフリカ系アメリカ人の主人公クリスは、ガールフレンドであるローズの実家を訪れることになった。白人である一家が自身を受け入れてくれるのか不安を抱くクリスを、両親は暖かく迎え入れる。穏やかで良識ある父母と打ち解けていく一方で、クリスは、黒人の使用人らの態度に不気味さも感じていた。彼らはじろじろとクリスを眺めては、不可解な笑みを浮かべる。徐々に家庭全体の様子も怪しみ始めるクリスだが、その不信感は、ローズの亡き祖父を偲ぶホームパーティーに参加したとき、確信へと変わる。

本作の一つの大きなテーマは、「人種差別」である。クリスがパーティーで出会う白人たちはみな表面的にはクリスを歓迎した態度を取り、黒人への憧れを口にする。でもそれは、黒人を自分たちとは異質な存在と位置付け、モノのように評価する言葉である。本作はあくまでエンタメ性の強いホラー映画であり、物語の本筋が差別への非難を描くわけではない。しかし主人公の立場を追体験する観客は、自己に向けられる差別的言動に、少なからず苛立ちや悲しみを抱くだろう。切迫感を生み出す舞台装置として差別感情を利用しながら、同時に、差別意識自体の醜さも訴えている。

また第二のテーマとして「精神的トラウマ」が挙げられる。クリスは、幼い頃に母親を交通事故で亡くしており、異変を察知しながら助けに行くことができなかった後悔を抱えている。そんなクリスに対して、精神科医であるローズの母が治療を持ちかける。禁煙のためと説明されたその治療は、実は、クリスの心の底にあるトラウマを刺激し、彼を意のままに操るための催眠であった。催眠にかかったクリスは体が硬直し、視界が遠のいて、暗い水底に落ちるような感覚に襲われる。遠くに現実世界が見えていながら意識の沼に沈んでいく演出は、重くるしい閉塞感を産み、観客の心を追い詰めていく。

物語が展開する中で、パーティーの参加者たちが、黒人のみを狙った人身売買に関与していたことが明らかになる。クリスはその商品として呼ばれ、購入予定者たちに品定めされていたのだ。参加者のクリスへの賛辞、ローズの母親による催眠療法などは、そうした真相を導く布石であった。謎が解かれそのまま解決へ向かう、と思いきや、それでも解かれない違和感が随所に残る。クライマックスに全ての真実が暴かれるとき、溜まりに溜まったフラストレーションが一気に解放されるだろう。恐怖を超えた快感に圧倒され、思わず笑みも漏れる。

パーティーの来客たちの応対に居心地の悪さを感じたクリスが、会場で唯一見つけた黒人男性に声を掛ける場面がある。しかし彼は、屋敷の使用人たちと同様に奇妙な笑みを浮かべ、「GetOut!」すなわち「出ていけ!」と彼を怒鳴りつける。タイトルにもなっているこの拒絶の言葉が、真に意味する思いがわかるとき、観客は、強い恐怖と同時にやりきれない切なさで満たされるだろう。精神的な閉塞感と急転直下の展開に満ちた本作は、まさに「じわじわ怖い」一位を飾るに相応しい、秀作である。(桃)

制作年:2017年
監督:ジョーダン・ピール
制作国:アメリカ
上映時間:103分

目次へ戻る

狂気の連続殺人犯に魅せられる 『羊たちの沈黙』


アメリカ各地で、若い女性が殺害され皮膚を剥がされる事件が多発。「バッファロー・ビル」と呼ばれる犯人を探し出すべく、若きFBI訓練生のクラリスが抜擢される。クラリスは元精神科医で猟奇殺人犯のレクターの独房を訪れ、その協力を得ながら事件の真相を解き明かしていく。

レクターは殺害した人間の臓器を食べるほどの残虐な殺人鬼でありながら、その振る舞いはなんとも紳士的である。不自然なほどに冷静なだけでなく、初対面のクラリスの訛りから出身を見破るなど高い知能を見せる。その凶暴さに似つかわしくない人物像こそが、レクターのとらえどころのない狂気性を観客に感じさせる。

このようなレクターの巧みな人心掌握術によって、クラリスは取り込まれていく。それぞれの利益のために協力する、一見対等な二人の関係は、実は非対称なものだ。クラリスに対しレクターは、幼少期のトラウマを話すことを要求し、クラリスは応えてしまう。この出来事は、レクターとクラリスの支配︱服従の構図を決定づけるのである。クラリスはレクターの心理的接近を警戒すべきなのにも拘わらず、レクターの知性に全幅の信頼を寄せはじめるのが不可解である。両者の心理を考察するのも興味深い。

レクターが大勢の警官を軽々と欺く脱獄シーンでは、その手口の鮮やかさから思わず彼に肩入れしてしまう。突然何かが現れたり、大きな音が出たりして驚かせる演出はなく、ホラー映画に免疫のない編集員も気軽に楽しめた。本作は、アカデミー賞で史上3作目となる主要5部門全受賞を達成し、いまなお「サイコスリラーの金字塔」として語り継がれている。(爽)

制作年:1991年
監督:ジョナサン・デミ
制作国:アメリカ
上映時間:118分

目次へ戻る

「少女」の皮を被った魔物 『エスター』


3人目の子供を流産したケイトは、不安定な心を埋めるため、孤児院から9歳の少女・エスターを引き取ることを決める。エスターは、古めかしい服と絵を描くことを好む、どこかミステリアスな子供であった。初めのうちは愛嬌のある振る舞いで家族に受け入れられるエスターだったが、徐々に異様な言動が際立ち始める。

エスターが観客に与える恐怖には、ふたつの種類がある。第一に、効果音に合わせて唐突に画面に現れる視覚的な怖さだ。神出鬼没のエスターから逃げ惑う、ハラハラした臨場感がある。二つ目に、エスターの冷徹な立ち振る舞いが産む、不気味さである。エスターは頑なに手首と首元を隠し、入浴時は浴室に鍵をかける。さらに、自分の悪口を言った同級生を遊具の上から突き落とすなど暴力的な振る舞いも見せる。しかし、何が彼女をそのような狂気に駆り立てるのか、真相が明かされない観客にはもどかしさが募るばかりだ。

エスターは、家族それぞれに違った手段で取り入り、相互のコミュニケーションを奪って繋がりを分断する。主人公のケイトは、早くからエスターの異常性に気がつき、夫やカウンセラーに相談するが、周囲の人間はエスターを純粋な子供だと信じきりケイトの言葉を否定した。のみならず、アルコール依存症であったケイトの過去に触れ、ケイト自身の過失をエスターに転嫁しているのではと疑い出す。家族が身体的に危害を加えられ、家庭が崩壊に近づくのを感じながら、ケイトが抱く不安は誰にも理解されない。その恐怖と孤独を共有した観客は、ますますエスターの動向から目が離せなくなっていく。

作品終盤、エスターの正体が明かされるとき、全てのピースが一つにはまる。謎が解けていく快感と、得体の知れないものを受け入れてしまったおぞましさが癖になる作品である。(桃)

制作年:2009年
監督:​​ジャウム・コレット=セラ
制作国:アメリカ
上映時間:123分

目次へ戻る

ジャパニーズホラーの古典 『リング』


「テレビ画面から貞子が出てくる」「呪いのビデオ」などのイメージで、映画を見たことがない人にも知られる今回の映画『リング』は、1998年に公開されジャパニーズホラーブームの火付け役となった中田秀夫監督の作品である。

テレビ局ディレクターの浅川玲子(松嶋菜々子)は、見ると1週間後に死ぬという都市伝説「呪いのビデオ」について取材するうちに、自らもその呪いに触れてしまう。1週間という残された時間の中、元夫の高山竜司(真田広之)と共にビデオの秘密や謎の長髪の女・貞子について調べていく。数々の不可解な体験をしながら、ついに貞子の呪縛を解くための驚愕の真実にたどり着く。

どの家庭にもあるテレビを恐怖の仕掛けに用いるのは、恐怖を身近に感じさせる効果があるだろう。だが筆者にとって作中の一連の設定は恐怖と結びつかず、面白さすら感じてしまった。思うに、ビデオテープやブラウン管テレビといった当時のメディアは、CDやタブレットとは異なり箱型である分、中に奇妙なものが隠されている得体の知れなさを含めることができた。映画自体の画質の低さが輪をかけて不気味さを引き出したことだろう。だが薄型テレビでDVDの綺麗な映像を見るのが日常となった現代では、身近さゆえにゾッとさせる効果が見込めない。むしろ、山場一つ一つが力技で怖がらせようと迫るようで、一歩引いた視点から芝居がかった演出が滑稽に感じられてしまった。ひとえにアナログとデジタルの違いである。

本作は、映像技術やストーリー含め、怖さという点では期待外れである。今回のホラー鑑賞企画においても、時間帯の悪さもあって私以外の全員が本編の大半を寝過ごしてしまった。この作品の価値は、後に続く「呪怨」シリーズや「着信アリ」シリーズなどを生む原点になった古典作品としてのものだろう。(怜)

制作年:1998年
監督:中田秀夫
制作国:日本
上映時間:95分

目次へ戻る

家族愛と悲しみに満ちた異色ホラー 『マローボーン家の掟』


1960年代、アメリカの田舎町。母と4人の子供たちが、連続殺人犯である父親から逃れるため、古い空き家へと引っ越してくる。一家は一切の忌まわしい過去を捨て、新天地で平安を謳歌する。やがて母が他界すると、子供たちは、長男ジャックが成人するまで世間から隠れて暮らすことを決める。すべては家族が永遠に一緒にいられるように。しかし、ある日銃声を聞いた彼らが見たのは、脱獄した父の姿だった。

半年後、きょうだいたちは平穏な暮らしを送っている。しかし、彼らの雰囲気は不気味に張りつめ、言動の端々にはどこか違和感が。末っ子サムが「見るとおばけが出る」と嫌う鏡は何を意味するのか。屋根裏部屋に閉じ込めて殺したという父親は、本当に死んだのか。彼らは慎ましくも愛おしい暮らしを必死に守ろうとするが、ふとした瞬間に日常の隙間から、恐ろしい何者かの気配が漂う。

感傷を排したストイックな「ホラー」が観たいなら、この作品は求めるものではないだろう。主眼が置かれるのは、恐さよりむしろ、過酷な現実に抗い家族を守ろうとするジャックの痛ましい愛情と悲しみだ。導入部はインパクトに欠けるため、編集員のうち3人は夢の中へ。しかし、終盤では予想しえない真実が明らかになる。まさに「点と点が繋がる」結末で、睡魔に打ち勝った編集員に感動をもたらした。愛する者を失うことが人を底知れぬ悲しみに向かわせる反面、愛​は悲しみを打ち破る可能性を持つものでもあると、本作は力強く語る。

『1917命をかけた伝令』で主演したジョージ・マッケイや、人気沸騰中のアニャ・テイラー・ジョイなどの俳優陣による演技も良い。怖さ控えめ、総合点高めで、満足度は十分。細部にも注目して鑑賞してほしい。(田)

制作年:2017年
監督:セルヒオ・G・サンチェス
制作国:スペイン
上映時間:110分

目次へ戻る

名作か駄作か、それはあなたしだい 『悪魔のいけにえ』


本作は1974年に米国で、その翌年に日本で公開されたホラー映画。原題は「The Texas Chain Saw Massacre」で、文字通り、真夏のテキサスの片田舎でチェーンソーをもった大男が若い男女を追いかけまわす映画である。

本作の魅力の一つは、そのリアリティにある。序盤から伏線かと思われる意味深な場面が複数挿入されているが、その多くは回収されない。あからさまな伏線の放置は意図的とも感じられる。「伏線は回収すべきもの」という私たちの映画における前提を完全に無視し、映画のようにはうまく事の運ばない現実を的確に表す効果があるように思われる。

さらに、低予算ゆえの独特な撮影方法もリアリティを高めている。恐怖感を煽る効果音や編集を極力排し、起こった出来事をありのまま描写する方法は、フィクションではなくまるでドキュメンタリー映画を見ているかのような錯覚を視聴者に与える。

加えて、役に完全に憑依する俳優陣の演技もみどころのひとつだ。演技力のないアイドルや歌手が映画に出演する際、スタッフが音響や撮影技法を駆使してその演技力の稚拙さを補うことがよくあるが、本作の役者にはそれが全く不要なようだ。しかも彼らが当時無名な役者であるというのだから驚きだ。

ここまで、本作のよい面ばかりを述べてきたが、実は大方の編集員の評価は今ひとつだ。というのも、伏線が回収されないうえにテンポもかなり悪い。おまけに、チェーンソーで追いかけるシーンには恐怖を超え、一周回って滑稽さを覚える。しかし本作の持つひどく粗削りな点には、論理や秩序、常識を無視してひたすら突き進むある種の力強さも感じた。計算しつくされ、漬け込む余地のほとんどない近年のヒット作に胃もたれしている人にはなんだか新鮮に思えてくるかもしれない。(順)

制作年:1974年
監督:トビー・フ―パー
制作国:アメリカ
上映時間:83分

目次へ戻る

密室で迎える絶望のラスト 『SAW』


本作は2004年に公開され、120万ドルという圧倒的低予算で作成されたにも関わらず、全世界で1億ドルを超える興行収入を記録した大ヒットホラー映画だ。反響の大きさから以後9本の続編が制作された。

主人公は二人の男性。彼らは、目覚めると猟奇的な殺人鬼「ジグソウ」によって小汚いバスルームに閉じ込められていた。写真家アダムは脱出しなければその場で死に、医師のゴードンはアダムを殺さなければ妻子が殺されることになる。二人はそれぞれ部屋の隅に足かせで繋がれ身動きが取れない。対照的な彼らが互いを知っていくにつれて、ゲームの主導権が行き来する。

実は、一方の人物は脱出ができないことが最初から決まっている。六時間近く脱出のためにもがき、ゴードンに至っては足まで切断したのに。自身や愛する人の生死をかけ、あらゆる手段を試みたことを考えると、やるせない気持ちに襲われつつも、壮大な伏線回収に一種の爽快感すら覚えてしまう。

一方で、「ジグソウ」が二人をゲームに巻き込むきっかけについてはやや消化不良である。「命を粗末にしている」というのがその口実なのだが、写真家がスクープを狙うことや医師が日常的に余命宣告を行うことは、命を軽視した行為と言えるのだろうか?殺人鬼のほうが命を粗末にしている気もするのだが。

殺人シーンでは、視覚的なグロテスクさに加えて、不条理な殺され方も観客の不快感を増幅させる。絶望に次ぐ絶望を味わってほしい。(爽)

制作年:2004年
監督:ジェームズ・ワン
制作国:アメリカ
上映時間:111分

目次へ戻る

霧の向こうに救いはあるか 『ミスト』


本作はスティーブン・キングの中編小説『霧』を原作としたアメリカのSFホラー映画である。シンプルなストーリーと飽きない展開で、恐怖と不安がいかに人を狂わせていくかを細やかに描く。

デヴィッド(トーマス・ジェーン)が8歳の息子ビリーと買い物をしていると、店外がサイレンや悲鳴で騒がしくなる。人々が騒然となる中、外にあっという間に濃い霧が立ち込め、一面真っ白な世界と化してしまう。霧の向こうには怪物が潜み、外へ出た人は次々に死んでいく。店内で怯える人々も、夜にはガラス窓を割って入り込んだ怪物に襲われ殺される。2、3日の間に次々と降りかかる災難に店内の人々は疲弊し、スーパーという閉鎖空間に絶望と狂気が満ちていった。やや感情的ながら良識を忘れない主人公デヴィッドも、霧の中の怪物や混乱する周囲に翻弄されるのであった。

この作品はしばしば後味の悪い映画と評される。トーマス・ジェーンの鬼気迫る演技に引き込まれ、最後、半狂乱になったデヴィッドの悲痛の叫び声には思わず顔を歪めてしまう。一方、序盤に怪物の恐怖を執拗に煽り人々の分断を加速させたところや、振り切れた宗教集団から逃げるように店を出る際、スーパーに代わる新たな避難所を探さなかったことなど、彼の動揺や思考放棄が生んだ軽はずみな行動も同時に描写されている。この意味で、最悪の結末を導いたのは彼自身の無自覚な弱さだと言えよう。だがそれらも、緻密なプロットや無駄のないカット、迫真の演技により、免れられない悲劇的結末だったと納得させられてしまう。

怪物のCGのクオリティが残念であることは否めないが、極限状態の心理を丁寧に表現した脚本や俳優の演技は圧巻である。また救いのない結末は、原作を改変した部分であり、主人公にとって何が最善策だったのかを観る人に考えさせる。(怜)

制作年:2007年
監督:フランク・ダラボン
制作国:アメリカ
上映時間:125分

目次へ戻る

トップページお問い合わせサイトポリシー著作権について個人情報の取り扱いについて
京都大学新聞社 〒606-8317 京都市左京区吉田本町 京都大学構内 TEL:075-761-2054(直通) 075-753-7531(内線2571) FAX:075-761-6095