複眼時評

大川 勇 人間・環境学研究科教授「サルトルの机」

2020.03.16

フランスには「サルトルの机」なるものがあったという。神童だったサルトルは学校で授業への参加を免除され、自分の机でなにをしていてもよかった。先生がサルトルを特別扱いして放っておいたらしい。その話を聞いたとき、これは京大方式だなあと、内心つぶやいていた。

かつて京大は自由な大学として知られていた。自由には放任が伴う。教授は学生をほったらかし、そのかわり単位は空から降ってくる。だから一人でテーマを見つけて勉強できるタイプの子はいいが、そうでない子は京大には行かないほうがいい……そんな進路指導をする高校もあった。

教授の側にも理屈めいたものはあったにちがいない。ただの秀才(教授)が天才(学生)を指導したら伸びるものも伸びなくなる、天才は放っておくに如くはなし……。より正確にいうと、京大の学生は(本来)みんなサルトルで、しかしサルトルでなかった学生は落ちこぼれていくしかない。それはそれで仕方がない、という理屈である。京大は一人の天才を生むために九九人の学生を廃人にすると、かつては言われたものだった。

憤ってはいけない。廃人になる自由のある大学がどれほど貴重なものか、それはそういう大学がなくなって初めてわかる。

学生時代の私は京大の自由を満喫した。夜は明け方まで本を読んでいたので、昼間の授業に出られなかった。その結果、気がつくと六回生になっていた。六回生になった春、初めて教授に声をかけられた。どうするのかと問われ、大学院を受けますと答えた。教授は一言「そうか」と言い、私はその日から院入試のためのドイツ語の勉強を始めた。

他にすることはなかった。学部の六年間、大学が無制限の自由を与えてくれたおかげで、やりたいことはすべてやり尽くしていた。人生でやり残していたのは学問をすることだけだった。

それから十年の時が過ぎ、今度は私が京大の先生になっていた。研究室に院生を迎えるようになってからも、大川研はかつての京大のままだった。院生たちはみな優秀なサルトルで、私が口出ししなくても、かってに学振の特別研究員になり、論文を書き、書いた論文は学会賞を受賞した(全員ではないにせよ)。

十年くらい前からだろうか、学生の気質が変わってきた。院生が学振の書類の相談に来るようになった。相談されたらアドヴァイスをする。そうすると見違えるようなレベルの書類に仕上がった。それまで六割ほどだった学振採択率が八割に上がった。

学部生が意味不明のレポートを出すようになった。研究室に呼びコメントすると、レポートの講評をしてもらうのは初めてだという。その学生は翌年、卒論に匹敵する見事なレポートを提出した。

そういう経験を繰り返すうちに、学生を見る私の目が変わってきた。今の京大にはサルトルとは違うタイプの学生がいるのかもしれない。初めから天才というのではなく、教授との対話を通して天才になる、そういうタイプの学生が……。

ある年、一人の学生がドイツ語中級のクラスにやってきた。聞くと、フランス語を履修していたがナチズムに興味があってドイツ語の勉強を始めたという。ナチズム期の国内亡命に関する論文を読むクラスだった。見ていると、熱心にやっているのはわかるが、独学で修めたという文法があやしい。本気でやるつもりならこれで初級文法をやり直しなさいと言って、弟子二人と作った教科書『読むためのドイツ語文法』を与えた。数ヶ月後に試験をすると満点、中級クラスの試験も満点だった。以後学生は卒業するまで私の中級・上級クラスに出席し、満点を取りつづけた。

ある日、その学生から質問を受けた。先生の著書『可能性感覚』を読んだのですが、わからないところがあります……。ムージルの『愛の完成』を論じた一節だった。愛する夫がいながら行きずりの男に身を委ねる女の内面の論理を「可能性感覚」というムージルの概念を使って説明したが、学生は納得しない。説明しながら自分でも観念を弄んでいるだけのような気がしてきた。「可能性感覚」の視点から読んだムージルがムージルのすべてではなかった。

それとは別の「愛の詩人」ムージルを見なければ私のムージル研究は完結しない——そう思った私は、前著で終わったはずのムージル研究を再開した。

それから学生との共同研究が始まった。私より先にテーマを「愛」に変更し、研究室の院生となっていた学生に、私は共訳と共著論文の提案をした。共訳の過程で学生は、ムージルの文献学的研究の欠落を埋める世界的発見をした。その成果は国際ムージル学会の機関誌に投稿すべく準備中である。もうひとつの共訳を踏み台にリルケの〈所有なき愛〉を論じた修論も、このテーマにおける世界最高水準の研究となった。これも速やかに独訳して国際リルケ協会の機関誌に投稿することになるだろう。二回生で出会ったときには一見してサルトルに見えなかった学生は、いま確実に天才への道を歩みつつある。

大川勇(おおかわ・いさむ 人間・環境学研究科教授。専門はドイツ・オーストリア文学、中欧精神史)