インタビュー

山田玲司 マンガ家 「『非属』という価値観」

2008.04.16

バブルで浮かれる世の中で、売れないマンガ家は社会のすべてを恨んだ。すべてをつぎこみ自費出版した本を出版社に送りつけた。序文には、「俺は今、出版されているすべてのマンガをクソだと思っている。」と添えた。それでも彼はチャンスを掴んだ。彼は今もマンガ家を続けて、インタビューマンガという分野を作り出した。そんなマンガ家、山田玲司氏が今年に入り一冊の新書『非属の才能』を出した。マンガ家という範囲にとらわれず活動する氏に話を聞いた。(幸)

―『非属の才能』を執筆した経緯をお聞かせください。

昔から文章でやりたいっていうのはあって、そもそもマンガ自体が俺に取って一つのツールに過ぎないんだよ。『絶望に効くクスリ』(以下『絶薬』)には毎回必ずコラムをつけてるし、文章のほうが伝わりやすいこともあるんでね。

『非属の才能』の内容、迫害を受けるやつは才能があるからだっていうのは昔から思ってたことではあったんだよね。3年ぐらい前にいじめが問題になったときに、『絶薬』の取材にいくと昔いじめられてた人が多かったんだよね。周りに溶け込まないっていうことは一つの才能でね、でもそういう才能の持ち主ほど、結構酷い目にあってくじける羽目になって、いらん努力をさせられることが多いんだよ。それは群れのおきてに従いなさいっていう同調圧力で、最近は特に「空気読めよ」っていう風潮が強い。人間っておんなじような種族になってると楽なんだよね。でも本当は人間みんなおんなじなわけなくて、一人ずつ違う。誰もが周りになじまない素養を持っているんだけど、無理して合わせてるんだよ。長嶋茂雄とか、圧倒的に個が確立しちゃった人っていうのは迫害されてもそのままなんだよ。問題なのは才能を引き出せるか出せないかの中間にいる人でね、こういう人がはじけることができるか、つまらない大人になっちゃうかはほとんど環境で決まっちゃう。つまらない大人って周りをつまんなくしようとするんだよね。つまらない大人に育てられちゃったつまらない子どももそう、本当に周りのことをつまらなくしようとする。家で甘やかされて何してもいいよ、自由にやれっていわれてきた人って、そういう人たちに学校で嫉妬されるんだよ。あいつはすぐ勝手にいなくなるとか、勝手なことばっかりやってるとかいう圧力をかけられる。俺は、そうやってみんなと違うことを始めるやつってのは賞賛されるべきだと思うわけよ。それをみんなと同じように教育してやろうとか、違うよ絶対、つまんないよ。

マンガ家ってのは自分の妄想をマンガにして読者と共有する商売なんだよ。でもそれは現実生活と乖離してる部分があって、問題を解決するときも妄想で終わらせちゃうところがあるんだよ。それじゃまずいんだよね。それなら実際に当事者に会いにいったりとか、現場にいってみたりしたときに、初めて妄想以外のプラスアルファができてその先に進めるんじゃないかと思って始めたのが『絶薬』なんだよね。それで実際にいろんな人会ってみると、いじめられっ子みたいな人の方が才能があるってことがいよいよはっきりしちゃったし、今の教育とか社会の風潮とかっていうのは必ず人を不幸にする。そうじゃなくて真逆のことを世の中にいってかないとだめだなって思って、最初のうちはいじめられっ子ほど才能があるっていう内容で本を出そうと思ってたんだけど、取材をしていくうちに、つまりは何にも属さない人に才能があるんだと気づいたんだよ。じゃあその才能について名前を付けようと思って、非属の才能っていう言葉を思いついたときに、このタイトルで本出せるな、と思って知り合いの編集者に連絡してみたんだよね。

―『非属』の文章では極端な表現が多いですね。「テレビは絶対見てはいけない」など。何か意図があるのでしょうか。

『非属』の編集者は柿内君っていう『さおだけ屋はなぜ潰れないか』を出したひとなんだけど、こいつがすごい切れ者で、彼の話は『非属』のなかでも結構出てきてるんだ。俺は本当はもう少し人に気を遣う文章を書くタイプなんだけど、柿内君がもっと強く言っちゃいましょうよって俺の書いた文章を過激なものに変えて戻してくるんだよ。ここまで言うかとも思ったんだけど、半分本心でもあるんで、じゃあヒンシュク買う方向でやろうと思ってあえて過激に書いたのよ。でも「テレビを見るな」とか「インターネットをするな」とかは引きこもり期をジャンピングチャンスにするための方法なんで、普段から見るなとは言ってないわけ。

―非属でいながら周りとうまくやる方法を書いた最後の章「和をもって属さず」はそれまでの章と食い違いがありますね。

他の章が編集者とのやり取りの中でやや過激に作り直されてるのと違って、「和をもって属さず」は完璧に俺の文章。非属を現実論に落とし込んで読者を救いたいという思いがあって、他の章と論理的に矛盾してもいいから言い切っちゃってるところがあるね。

―学問という論理の世界で生きる大学生には受け入れがたいところだと思うのですが。

おかしいと思っていいと思う。俺の本に限らず、矛盾に気づけること自体はすごくいいことなんだよ。活字になってるからって信じちゃダメだよ。あんまり人の脳みそあてにしない方がいいと思うし。でも『非属』では読者をあおってるところもあって、すぐ答えを求めようとしてると「あんたの言うこと矛盾してるじゃないか」って言いがちだけど、そこでじゃあ自分はどう思うのかっていうのが重要なんだ。なぜ引っかかったのかを考えたとき、何か見つかると思うんだよ。

そもそも整合性だけを図っていくとすごくつまらないものになっちゃうよね。だって太宰治とか無茶苦茶だよ。でもそれがよかったりするし、躁鬱的なところがある人のもののほうが面白いんじゃない?

―社会全体が非属になるということに問題はないのでしょうか。

昔からいろんな人に、お前の考え方だと全員がアーティストにならざるを得ない、それじゃ社会が成立しないって言われてきたんだ。『非属』を出してからも、いろんな批評が出たらしいんだけど、おそらくそういう指摘はあったんじゃないかな。でも、井上陽水の言葉に、クリエイティブじゃない人っているんだろうか、相撲みたいな伝統的で型にはまったスポーツであったとしても、独創的でクリエイティブな人はいるんじゃないのか、っていうのがあってね。もっといえば非属的なものってどこにでもあるんだよ。タクシーの運転手してても、子育てしてても、塾の先生してたって、そういった非属な部分があって、それがすごく重要なんだ。

結局、非属になるっていうのは何なのかっていうと、映画監督になることでもないし、岡本太郎になることでもなくて、要するにあなた自身になるっていうことなんだよ。あなた自身ってなにかっていったら、確かに、人間であるとか、日本人であるとか、男であるとか、いろいろな属性を持ってはいるけど、単体で考えたとき、唯一無二の存在であり、どこにも属していないあなた、っていうことなんだよ。これはそういう人がいっぱいいて困ることはないと思うんだよね。むしろそのほうが民主主義が機能するんじゃないかと思うわけ。号令で一斉に動くんではなくて、一人一人がちゃんと考えて動けば、今どの政党を支持するべきなのか、今道路を作るべきなのかどうか、わかるんじゃないかって思う。非属の才能は安易なマインドコントロールに陥らないためのものでもあるということになるんだ。全員がブルースリーや長嶋茂雄になればいいといっているわけではないし、なれないよ。でも彼らの魅力が何かっていうと、人に合わせていないところ、私は私的なところなんだよね。そういう魅力って誰もが内に秘めているし、それを発見して活用することはジャンピングチャンスになる。その魅力をつぶさないでほしいという思いで『非属』は書いたんだよね。

黒柳徹子は黒柳徹子であろうとするから学校を追い出されちゃう。エジソンみたいな化け物が学校にいてなじめるわけがない。でもそこであわせる努力をして魅力をつぶしてしまうのではなくて、別の選択肢があってもいいはずでしょ。別にエジソンに限った話じゃない。エジソンは天才だから違う、そういう話をしないでほしい。だってあなたも天才かもよ、っていうところがいいわけ。才能なき凡人が空気だけ読んで協調性だけを大事にして生きていく。そうやって作られた社会は、自民党は楽かもしれないけど、いい社会にはならないよ。一部の人が得するゆがんだ社会になっちゃうよね。現実に今はそういう社会だし、それを変えたくて書いてるところもあるんだよ。

―『絶薬』をはじめてから仕事の幅がすごく広がっていますね。

インタビューでマンガを作ろうとするとき、2時間ぐらい会って話す中で、その人のどれだけ深いところまで入っていけるかっていう勝負になるわけだ。そんな中で何をしているかというと、日常では喋らないような事を喋ってもらってんだよね。例えば、神様になにか一つ願いを叶えてもらえるとしたら、っていう質問をよくするんだけど、そういう普段しない話って相手の日常生活の中でないがしろにされている引き出しを開けることになるわけだよね。俺はそれと対峙するわけだから、仲良くならないわけがないんだよね。

そうやってあーだこーだ言いながら、インタビューの最後に希望のライムっていうのを書いてもらうころには、すっかり心を開いてくれてて、向こうも余裕があるから、じゃあ山田さんはっていう話になるわけだよ。それで相手と関連する自分の話をしていくと、じゃあ今度これやりませんかっていって広がっていくし。それなら山田さんこの人に会いに行ったらいいよって話になって、どんどんつながっていく。

―『絶薬』はライフワークのようなものですか。

最初のうちは本当に嬉々として描いてた。大変だけどこんなに面白い仕事ないなと思って、インタビューするたびにこの仕事向いてるなって思ったよ。でも『絶薬』って相手が言った自分の共感できることを並べることで自分の意見をいってるので、自分が言いたいことは直接は言えない。自分の考えにブレーキをかけないといけない。それこそ小林よしのりさんみたいなコラム型の「わしゃこう思うんじゃ」的なマンガを描いてるんだったらストレス溜まらないんだろうけど、俺は他者の意見を拾って描いてるんで、息苦しいところがあるんだよね。でもそうやって苦しんで鬱みたいになっているときでも、取材で誰かに会ってるわけ。それでやっぱり救われちゃう。ちょうど本当にやめようと思ってたときに、阿闍梨(酒井雄哉)さんに希望のライムでとにかく続けることって言われちゃって、千日回峰行を2回もやってる人にそれを言われちゃったもんだから、やめろっていわれるまでやるしかないかなとは思ってる。そういう意味でライフワークなのかもしれないかな。

―『絶薬』は読者に対して親切とはいえないところがありますよね。普通ならついていそうな注釈がなかったり、これは当然知ってるよねといった風なところがあったり。

あれは実は確信犯的にやってて、編集者は注釈をつけようとしてしまうんだけど、俺は自分で調べてついていこうっていう意識が湧くほうがいいと思ってあんまりそういうことはしないようにしてるわけ。例えば、内ゲバのようなことが起こった、なんて書いてあったとき、内ゲバってなんだって思ってわかんないから読むのやめてしまおうではなくて、内ゲバについて調べてみようと思って当時の学生運動について勉強することになれば、それは読者にはプラスになると思う。逆に親切にして注を細かくつけるっていうのはそういう機会もなくしてしまうし、読者をバカにすることになると思う。あのマンガは、自分はバカだけど、でも読んでるあなたたちはそれよりましでしょ、ってスタンスで描いてるんだよね。だから言葉は選別しないでそのまま出してるんだ。

―読んでいく中で成長してほしいということですね。

そういうのがなかったら意味ないんじゃない。すべての作品に麻酔的な要素と覚醒的な要素があると思ってて、麻酔になるようなマンガが必要な場合もあるとは思うんだ。例えば失恋して死にたくなったとき、こんな風な女の子が現れてくれるだろうとか思える恋愛マンガとか、いろいろあるとは思う。でも世の中の多くのマンガがそっちになってしまってる。読者に現実逃避させて、マンガ喫茶に閉じ込めてしまうようなのはいけないよ。健康な体で酸素を吸って、貧困と戦争がない時間にいられることが奇跡だって気付けないでしょ。マンガ読んで閉じこもってる人って本当に何してんだって思うんだ。死ぬんだぜ、必ずあなたは死ぬんだよ。今生きている一年が33歳の一年でも18歳の一年でも、同じ一年で絶対返ってこないんだよ。俺もなんであのときあれを描かなかったんだ、とか思いたくないから描いてるわけで、後悔してほしくないし、だらだらしてほしくない。人をマンガに閉じ込めてしまうのって犯罪なんじゃねえのって思っちゃうよ。俺はそういうのじゃなくて、マンガ喫茶になんか居てられないって出て行けるような覚醒マンガを描きたい。現実逃避ではなくて、現実にいくためのマンガを作りたい。『Bバージン』でもマニュアルじゃない本当の恋愛をしなさいって話からエコロジーにいくし、ゼブラーマンでは大人よ目を覚ませって必死で訴えてた。そのへんは全部の作品に一貫してるんだよね。

―今後の展望などお聞かせください。

『絶薬』は続けていくけど、自分の考えを制限する部分がどうしてもしんどいところなので、自分の考えを直接出せる作品も作りたいんだよね。それで今度スピリッツで環境の話を書くんだよ。温暖化を止めるウサギの科学者の話。誰もやってないでしょ。そんなことやってどうすんだっていうことをやりたいんだよね。

非属の高校、大学時代

―どのような学生生活を過ごしましたか。

ほんとにひどいバカ高校にいたんだよ。生きることに対する意識が低くてね、自分はマンガのこと、社会や文化のこと、真剣に考えていたんだけど、そんなことを真剣に考えることをバカにする空気が流れてたね。

ひどい環境だったよ。授業中、机が前の2列しかちゃんと並んでないんだ。あとはぐっちゃぐちゃ、後ろでラジカセ鳴ってるし、スケボーしてるやつもいた。先生もそれを何とかしようって気力もなく、前2列相手にぼそぼそと授業やってるんだ。マラソン大会のとき、一部のヤンキーが教師に小突かれたって言って怒って、それで何したかっていうと、置いてあった角材持って帰ってきて、教師に殴りかかったんだよ。それでガラス割って回って、車ひっくり返して、大変なことになったんだ。俺はマラソン大会なんか行ってなかったんだけど、次の日行ったら、取材のヘリとか来て「荒れる学校」なんて報道されちゃってたんだよ。

そんなとこにいたんだけど、俺は親父がまともだったんだよね。2年の中頃のある日、親父が「マンガ家になるっていってるけど、どうすんだ」って聞いてきてね、それで俺は専門学校行って絵の勉強するとか、適当なこといったんだよ。そしたらなんで美大行かないんだって言って、多摩美大の赤本持ってきたんだ。美大って選択肢はそれまで考えたことなかった。バカ高校にいて大学受験なんてできるわけないって思ってたから。でも赤本見たら、英・国と実技だけで入れるってことがわかって、あと1年半英・国に絞って勉強して、予備校で実技勉強したら入れるかもしれない、と思って予備校に通い始めたんだ。

予備校に行ってみると、真剣に絵を学びたい浪人生がいっぱいいて盛り上がってるんだ。そんな環境に入れたんで、実は学校にはほとんどいてなくて、昼過ぎに途中で帰っちゃって予備校に通ってたんだ。学校にいてても英語の勉強か小論文のための読書、そうじゃないときは寝てたね。でも予備校いってると5浪の人とかいて、すごくいい絵を描いてるんだけど、それでもその人が5浪してるのかとおもうと、俺なんか受かるのか?って焦っちゃうんだ。それで必死になって勉強して、現役合格できたんだよね。

今考えると大変だったけど、親父のおかげでまさに非属をやれてたんだよね。みんなが空気に流されて何もしていないときに、自分の行きたいルートが見えてたんだ。それで大学に入れた時は、ほんとにチベットの空を思い出すような、すべてが快晴になったような気分だったね。濃い青がバーッって広がって障害物が何にもないようなそんな気分。

大学に入ってみると、10倍ぐらいの倍率で入ってきてるもんだからみんな絵もうまいし知的なんだ。ユリイカ普通に読んでたりとか、京大の浅田彰さんの『構造と力』とかで哲学が流行ってたりとか、アヴァンギャルドで知的な空気があって、いい時代だったよ。ヤンキー高校で得られなかったものが大学にはあって、うれしくてしょうがなかった。でも次の目標は、卒業までにマンガ家として食っていけるようになること。卒業までには4年間しかないし、10人に1人受かるどころの世界じゃない。それで食えるところまでというと、最終的に連載獲得が目標になるんだよね。ほんとどうしようかと思って、家から八王子まで2時間ぐらいかかって学校に行ってたんだけど、その間スケッチブック持って電車でお客さんを片っ端からデッサンしていったんだ。初めてギャラもらったのもそのときだよ。帰りに1人ずつ描いてたら、酔っ払いの親父が俺を描けっていうから、描いて渡したら千円くれたんだよ。それがたぶん俺の人生初のギャラ。

そんなこんなやってるうちに、一人暮らしがしたくなってね、でもマンガの原稿料で食ってかないといけないからデビューしないといけない。そしたらエヴァンゲリオンの貞本義行さんと今その奥さんのたかはまこさんの2人に、山田はモーニングにいくといいよ、って言われたんだよね。それでモーニングに持ち込んで担当がついて、俺デビューできるんだわ、って思ったら全然だめで、延々デビューできないんだ。だけどそうしてるうちに非属になっていってね、大学ではみんなアートについて偉そうなことを言ってるんだ。例えばゴッホなんか見てるようじゃだめだとか。でも割とみんな夢がないというか、漠然としてるんだよ。アートも確かに面白いけど、俺がやりたかったのはマンガなんで、大学からは離れていって、編集者との付き合いとかができると、2年生ぐらいから漫研のサークルにもいかなくなっちゃったんだ。

それで一人暮らしを始めて、これで入賞するだろう、入賞したら食っていけると思った作品を出したんだけど、落ちたんだよ。そのとき持ち金が3万ぐらいで、どうしようこれ暮らせないぞ、ってなっちゃってね。そんでそのときのスピリッツの担当の人が江川達也さんを口説きにいってたんだよね。それで江川さんがアシスタントがいないっていうから、ちょうど俺がそこに入ることになってなんとか助かったんだ。

それで19歳から大学生をしながらアシスタントをやって、自分のマンガも描いてっていうハードな生活を始めたわけ。入った当時、『ああっ女神さまっ』の藤島康介と江川さんが2人で『BE FREE!』を書いててね、その2人から漫画のスキルみたいなものを叩き込まれて、20歳の終わりにデビューできるまでの一年間にアマチュアからプロに一気に引き上げられたようにうまくなったね。

でも、多摩美もなかなか非属な大学でね、あるとき峰村教授っていう結構今もメジャーな人に課題を出せって言われてね、当然忙しくて出せないんで、今週モーニングに載ったショート作品を見てくださいっていったら、それを嬉々として採点してくれて単位をくれたんだ。しかも俺の作品を見て、ある個展に行きなさいって勧めてくれたりまでしてね。多摩美は本当にいい大学だったよ。俺のゼミの先生で『絶薬』にもでてもらった李禹煥さんも、授業はすごくゆるくて休んでも平気だったんだけど、作家対作家として扱ってくれて、本質しか言わない人だったんだ。

大学に入るまでの教育は学校しか知らない人が教育をしてて埒があかないところがあるんだけど、大学は研究者が研究教えたり、アーティストがアート教えたりしてるんだよね。俺はアシスタントになってからマンガ家にマンガ教わったんでそれもまたよかったね。

それで21歳で連載とれると、周りが今月の面白かったねとか言ってくれたりするようになったんだけど、勝手なもんで卒業するころになると、お前は俺らの夢だからなんて言うやつがいるんだよ。絵うまかったのに何してたんだよ、と思うんだけど、むこうはもうお前はがんばれって言って自分のことはあきらめてるんだ。気がついたら多摩美代表みたいになってたね。でも本当に無駄のない駆け抜けるようないい時代だったよ。就職とか関係なく、環境のいい大学だったら是非行くべきだと思う。但し、大学っていう安全装置の副作用には気をつけた方がいいよ。大学入っちゃうと大丈夫とか思っちゃうでしょ。でも実は大丈夫じゃない。それを感じないとね。

―『絶薬』では森毅さんなど京大関係の人もインタビューされていますが、京大生におもうことはありますか。

自由な大学で破天荒な先輩たちがいて、変わり者ほどヒーローになれるっていうイメージは、実際中に入って関わったことがないからわからないけれど、それが本当なら、その伝統を守ってほしいとは勝手な気持ちだけどあるよね。そのほうが学生も幸せになれると思うし、学問も発展すると思う。空気の読めない人たちばかりの学校っていう空気はすごくいいと思う。多摩美も本当に空気の読めない人ばかりだったんで、居心地がよかった。京都大学もそういうのがあるのなら大事にしてほしいよね。

《本紙に写真掲載》


やまだ・れいじ 1966年生、東京都出身。1986年『17番街の情景』でデビュー。代表作は恋愛のマニュアル化を風刺した『Bバージン』、宮藤官九郎・映画原作の『ゼブラーマン』(4面に書評)など。現在ヤングサンデーにてノンフィクションインタビューマンガ『絶望に効くクスリ』を連載中。2008年には初の新書『非属の才能』(光文社新書)を執筆。