文化

吉田寮祭ヒッチレース体験記 この海を泳げどつかぬ我が家かな

2017.06.16

ヒッチレース、それは吉田寮祭のなかで最も過酷なイベントの1つである。参加者は深夜に車に乗せられて寮を出発し、全国各地へと運ばれる。福井、島根、徳島……様々な場所に無作為に捨てられ、無一文かつ身分証明書なし、ヒッチハイクだけで京都を目指す。京都大学新聞社では2008年から毎年編集員が参加しており、今年も参加した。(哥)

旅立ち

23時30分、吉田寮到着。手続きを済ませ、出発を待っていると、昨年ヒッチレースに参加したという人に会うことができた。「最高に楽しかった!」という感想を期待して、「去年どうでした?」と聞いたところ、「俺全然乗せてもらえなかったんだよね、もう参加したくないわあ」という返答が。頭の中で、「ドナドナ」の歌がエンドレス再生され始めた。

「吉田寮祭の歌」と連絡事項を聞いたところで、乗車する車を決めるためにくじを引く。指定された場所へ行ってみると、すでにドライバーが待っていた。スポンジボブを彷彿とさせる黄色いTシャツを着た人と新興宗教の教祖のような雰囲気の長髪の人の二人組である。ここでは、この2人をスポンジボブ氏と教祖様と呼ぼう。同じ車に乗るヒッチレース参加者は私を含め6人だった。簡単に自己紹介を済ませる。同乗者全員がヒッチレース初参加ということが少し驚きだった。スポンジボブ氏の「俺たちは近場にしか連れていかないから安心して」という発言を素直に受け取れないほど荒んだ私の心を乗せて、0時30分頃車は吉田寮を出発した。

放置

午前4時、スポンジボブ氏に起こされる。外は薄明るくなり始めていたが、夜の気配がまだ強かった。あまりの寒さに体の震えが止まらなかった。

全員一度車を降ろされる。移動中はずっと車のカーテンが閉められていたため、自分がどこにいるのか全く分からない。スポンジボブ氏が手にしていたのは、懐かしのおやつ「たべっ子どうぶつ」だった。「今からたべっ子どうぶつを引いてもらって、書いてある動物の頭文字が一番Zに近い人にここで降りてもらいます」。みんなで見せ合った結果うさぎ(RABITT)を引いた方が降ろされることになった。RABITT氏が非常に薄着だったことに同情したのか、教祖様が車に積んであった薄汚れた布団を贈呈する。布団を抱え、寂しげに車を見送るRABITT氏を残し、我々は次の放置ポイントへ向かった。

次の場所は、鬼ケ獄と言われる山の麓だった。スポンジボブ氏曰く、かつて女の鬼を僧侶が退治したことからこのような名前がついたという。私にはそれを嬉しげに物語るスポンジボブ氏こそが、現世に存在する鬼に見えた。

そこから、やや人里の多い場所に出たため、同乗者一同、今度は街で下ろしてもらえるのではないかと希望を抱く。「オタイコ通り」「オタイコヒルズ」といった標識を発見し、こんなにポップな名付けセンスを持ち合わせる町の住民ならば、きっとヒッチハイカーにも優しいだろう、という根拠のない自信を抱いた。しかし、車は再び山奥へ向かい始める。寂れたお寺の前で車は止まった。バックドロップと書かれたTシャツを着ている寮生さんが降ろされる。私はたまたま最後に通ったコンビニからの道順を覚えており、「コンビニ結構近いですよ」と行き方を説明した。

残り3人となった参加者の面持ちは、借金まみれのギャンブラーさながらである。寮生さんを下ろしたポイントからさらに山を越えると、そこに開けていたのは日本海だった。しかし、ここが何県なのか未だに把握せず、かつ絶望的にひどい地理感覚を持ち合わせていた私は「あ、琵琶湖だ」などという呑気な発言をし、車内にいた全員を絶句させる結果となる。私にとって初めての日本海だった。

しばらく車を走らせると、道路わきに小休止出来るような場所があった。皆で海を眺めていると、突然「じゃあ、ここで一句ずつ俳句を読んで!」とスポンジボブ氏。一番心に響かない俳句を詠んだ人をここで降ろすという。3人の俳句をスポンジボブ氏が読み上げ、教祖様が判定する。最終的に、「潮騒も 心に響かぬ 旅の始まり」がワーストワンとして選出され、1人の俳人(廃人?)が海岸に取り残された。ちなみに、自暴自棄な気持ちに火のついた私は、「この海を 泳げどつかぬ 我が家かな」という句を詠んだ。帰寮した際、スポンジボブ氏に「自分の心情も織り込んであり、かつ海を泳いで帰るというクレイジーな発想が良かった」というお褒めの言葉をいただいた。

そこからさらに車を走らせる中で、私は友人が貸してくれた方位磁針をじっと見ていた。どんどん北へ向かっている気がする。そう、日本海沿いを北上しているのだ。危機感を覚えた私は、とりあえず次の地点で何が何でもゲームに負けて車を降りようと決心した。次に車が止まった場所は海水浴場の駐車場だった。

今までは、降ろされる人を決定するために下車する際、必ずカバンを車の中に残していた私だったが、今回は絶対に降りるのだという堅い意志を表明するため、あえて持ち物を全て持って車を降りた。今回のゲームは、砂山に立てた棒をいかに倒さずに山を崩すかというものである。私はもはや棒を倒すことしか考えておらず、思い切り山の砂を削った。棒はあっけなく倒れた。

闘い

私を置いて走り去る車を見送りながら、ふと近くにある民家に目をやると、おばあさんが1人立っていた。明らかに、1台の車が朝5時に女子1人を海水浴場に残し去って行くという光景に興味を持っている。「すいません」と声をかけると、やや食い気味に「あなたどうしちゃったの?」と質問された。ヒッチレースの概要を説明し、ここから京都までヒッチハイクで帰らなくてはいけないことを話すと、おばあさんは完全に言葉を失っていた。彼女によれば、私は福井市にいるという。とりあえず、ここから越前町→敦賀というルートを取れば、そこから京都へ向かう車は必ずあると聞かされた。敦賀までは車で1時間半だというから、最悪歩くという私の発言に「ちゃんとヒッチハイクしなさい!」と諭してくれた。

おばあさんに別れを告げ、国道を歩き始める。途中で、「ヒッチハイクしなさい!」という言葉を思い出し、行き先を示す看板を作ろうと思った。とりあえず、先ほどの「つるが」という地名だけは覚えていたので、画用紙に大きく「鶴賀」と書く。まず「つるが」は正しくは、「敦賀」であるし、朝の5時から56㌔も離れたインターチェンジへ行く人が都合良く通りかかるはずもない。通りかかる車にはことごとく無視されたが、何も知らなかった私は「福井県民って冷たいな」と呑気なことを考えていた。

いくつか集落を超えたところで、犬の散歩をしているおじいさんに出会う。声をかけ、ここからヒッチハイクで京都へ行きたいことを説明すると、おじいさんも先ほどのおばあさん同様、言葉を失った様子だった。「今の時間やったらヒッチハイクに乗せてくれる人はおらんの」と言われ、「じゃあ歩きます」という私の言葉に「そりゃあ、敦賀に行くのに1日がかりだ」と呆れ返っていた。しばらく、一緒に歩きながら世間話をしていると、この近くで1番大きい集落まで送ってもらえることになった。なぜか車の中に大量の干しわかめが置いてあり、勧められるままに食べてみるととても美味しい。狂ったように食べ続けると、「敦賀まで歩くのにぽりぽり食っときゃ着くだろう」とたくさん持たせてくれた。

近くの集落、梅浦に着く。とりあえずおじいさんに言われた通り国道沿いを再び歩き始める。すると、向こうから散歩中のおじいさんが現れた。声をかけ、ヒッチレースの概要や敦賀まで行きたいことを話すと、武生という町まで行ってそこからバスに乗る方が良いと言われる。自分がお金を持っていないことを伝えると「ええっ、無一文なんか!?」と驚かれた。しばらくすると、自転車を押したおばさんがやって来た。2人は知り合いだったようで、おじいさんがおばさんに私の状況を説明するが、この段階で私は2つのことに気づいた。1つ目は、私が気安く声をかけたこのおじいさんはこの村ではなかなかの権力者であるということ(周囲の人からは「局長さん」と呼ばれていた)、2つ目は、この局長さんは私が〈先輩と一緒に車で福井市へ行こうとしていたが、途中で先輩の気が変わり海水浴場に置き去りにされてしまった不憫な大学生〉だと勘違いしている、ということである。この勘違いはおばさんへも伝達された。おばさんは「それはその先輩が悪いわ! 今すぐ電話して、迎えに来てもらいなさい」「あなたお家の人はどこにいるの!? あなたがここで帰れなくなってること知ってるの!?」と詰問してくる。さらに局長さんが「この子は無一文だ」というと、「へ!? あんた何してんの!? この世の中はお金がないと何にもできないのよ、お金がないと回っていかないんだから!」と怒り心頭であった。私は心の中で「お金では買えないものだってあるんだ」と反駁していたが、これを言っては、一生この村から出られなくなると思い、「私敦賀まで歩くので大丈夫です」と2人から離れようとした。この時点で、ようやく局長さんは少しヒッチレースの概要を理解し始めたらしく、「これは大学が主催するイベントなのか」「何人くらい参加しているのか」と少し的を射た質問を始めた。私が「吉田寮という寮が主催するイベントで大学は関与していません。30人くらい参加してます」というと、「こんなことをするのは人に迷惑をかけるだけで全く無意味だし、その寮のイベントを放置している大学は無責任だ」と言った。私はぐうの音も出なかった。おばさんは「あなた局長さんからお金借りなさい」と諭すが、局長さんは「この子は身分証を持っとらんのだから、お金は貸せん」と言う。さすが村の権力者だけあり、考えがしっかりしている。しばらくすると、たまたま通った1台の車に局長さんが声をかけた。女性が1人乗っており、これから武生駅へ向かうという。局長さんは「この子を乗せてってくれ」とその方の返事も聞かずに私を助手席に押し込んだ。女性は、明らかに困った様子だったが、やはり村の権力者の力は強く、武生駅まで送ってもらえることになった。

再会

無事集落を脱出した私は、武生駅から武生ICまで歩き、敦賀へ向かう車を捕まえようと思った。武生駅で下ろしてもらい、とりあえず構内に入ると、私の目に飛び込んで来たのは、薄汚れた布団を持って立つ女性の姿だった。そう、同乗者の中でたべっ子どうぶつ対決に敗れ、最初に降ろされたRABITT氏である。私たちは、数時間ぶりの再会を喜ぶとともに、仲間を得た安堵感でもはや京都に着いたも同然な気持ちになった。彼女は県道を歩いていたところを親切な男性に拾われ、ここへたどり着いたのだと言う。男性が8時30分にもう一度駅へ戻って来て、武生ICまで送ってくれると言うので、私も同乗させてもらうことになった。

8時30分、約束通り駅で男性と落ち合った。RABITT氏の布団を縛るための紐、行き先を書くための古いカレンダーとマジックペンを持って来てくれた。さあ車へ行こうと、私たちが立ち上がると、その人は「じゃあ、頑張って!」と駅のホームへ歩き去ってしまった。どうやら、こちら側が思い違いをしていたようだ。武生ICまでの交通手段を失った私たちは、とりあえず歩いて武生ICを目指すことにした。しばらく歩いたところで日野川という川に出た。景色は全く似ていないが、川というだけで鴨川が思い出され、早く帰りたいという思いに駆られた。その思いが通じたのか、少し歩いた先で「武生ICまで乗せて下さい」と書いた紙を掲げると、すぐに車が止まった。母娘の二人組で、娘さんは関西外国語大学の卒業生だった。最終的に、武生ICどころか、南条SAまで乗せてくれる。降り際にクッキーを持たせてもらった。

南条SAを降りた私たちの元へ、バックドロップと書かれたTシャツを着た1人の男性が駆け寄って来た。なんと、3番目に降ろされた寮生さんである。奇しくも、6人の同乗者のうち3人がここ南条SAに大集合したのだった。

彼は私の「コンビニが近くにある」という発言を信じ、歩き出したそうなのだが、私の言葉を信じたことが運の尽きと言おうか、コンビニは全く近くなく、かなり長い時間歩いたようである。なんとかたどり着いたコンビニでたまたま買い物をしていたトラックの運転手さんに拾われた。トラック運転手さんがパンを配達する仕事をしていたらしく、寮生さんは、配送途中で潰れてしまったパンを大量にもらっていた。そのパンと先ほど私たちがもらったクッキー、私のもらったわかめでとりあえず腹を満たす。「賤ヶ岳SAまで乗せて行ってください」という看板を掲げると、5分もしないうちに、1台のワゴン車が止まった。出張帰りの社長さんで、これから舞鶴へ向かうが、私たちのために草津PAまで迂回してくれるという。

草津PAに到着したものの、社長さんは、迂回したせいで奥さんとの約束へ遅れてしまい、証拠写真と言って私たち3人の写真を撮っていった。申し訳なさと同時にその親切心が本当にありがたかった。頂き物のクッキーをお礼に渡し、別れを告げる。

後は、京都東ICか京都南ICへ向かう人を探すだけである。ベンチで看板を書いていると、名古屋から来た家族連れが声をかけてくれた。奥さんがこれまた関西外国語大学の出身であることがわかり、私の中で関西外国語大学は「ヒッチハイカーに優しい大学」というイメージに染められた。イオンモールKYOTOまで乗せてもらった。

帰寮

さあ、ついに京都だ。ここから京大までは短距離であるがゆえにヒッチハイクが難しい。京都駅から河原町通に出て、看板を掲げるが、車は全く止まらない。途中でヒッチハイクを諦め、吉田寮に向けて歩き出す。15時30分、無事帰寮した。

私は、新聞社の取材という大義名分を掲げつつ、内心では「世の中ニコニコしていればなんとかなる」という自己の信条がどれ程通用するのか確かめたくて参加した。実際に参加してみると、ニコニコしているどころか、疲労のあまり無言の私を車に乗せ、手を差し伸べてくれる人に多く出会った。ヒッチレースでは、車による移動という、物理的に目に見えるものを、乗せてくれた人から与えられている。日常に目を移してみても、一緒に笑ってくれる、話を聞いてくれる、そういったたくさんの幸せを私は他人からもらっていた。私は人に生かされているのに、振り返ればいつも不満ばかり述べている自分の姿が思い出された。私は「ニコニコしていれば世の中どうにかなる」と思っていたが、実際の私はニコニコすらせず、文句を言い続け、支えてくれる人たちから目を背けていた。

と、自己批判に陥る部分はありつつも、ヒッチハイク自体はすこぶる順調で楽しいものだった。皆さんにもぜひ参加をお勧めしたい。私個人としては、今回折角スポンジボブ氏に俳句を褒めていただいたので、いつかヒッチハイクしながら松尾芭蕉のように旅先で句を詠む「ヒッチ俳句」に挑戦してみたい。