複眼時評

藤原辰史 人文科学研究所准教授「数学者のノート」

2017.02.16

一九三八年生まれの数学者のノートを先日見させていただいた。京都大学でも教鞭をとっていた整数論の専門家は、もっぱらペンとノートを使って難問に挑み、世界中の数学者たちを驚かせる論文を発表した人物である。「世界的な」という形容詞を使っても全く違和感のない数学者と一昨年に出会い、穏やかな笑顔と風貌にわたしはすっかり魅せられた。いろいろなご縁があって、先日、ご自宅にお邪魔したとき、ノートを見せてください、とおねだりしたのである。
 
とはいっても、わたしは歴史の研究者の端くれにすぎない。書いてある数式を理解したいという希望も能力も全くない。そうではなく、数学者のノートはどういうものかを純粋に知りたかったからである。ちょっと擦り切れた大学ノートには、タイトルと名前と番号が書いてあり、ページをめくるとそこには数字と記号の大海原が広がっていた。数字と記号の海を、静かな家の部屋のなかで、わたしはずっと眺めていた。なだらかなに波打つ岸辺の光景、ときに激しく波が踊る荒海の光景。アイディアが渾々と湧く泉のようなページ、それを整理してつぎの段階にもっていこうとする陳列棚のようなページ。勢いよく筆が進んでいる日、なんども同じ字をなぞる日、筆がとまって動かない日。どのページも美しく、どのページにも緊張が走る。
 
読み進めているうちに、驚いたことがあった。「もっと攻めろ!」とか「まだまだじっくり考える余地がある」というような、およそ数学のノートにふさわしからぬ、自分に言い聞かせるような言葉までも記されていたことである。口調の優しい温和な数学者とコーヒーを飲んでいるとその瞳の奥に、たまにわたしは鋭い眼光を感じることがあったが、その迫力をノートからも感じることができた。部屋にこもり、全身の精力を脳に集中させて、数式と格闘するのに必要な道具は、繰り返すがペンとノート、そして一つの小さな肉体である。ペンとノートだけの研究がもたらす苦痛と快楽に、わたしは酔い、懐かしさを覚えた。史料をひたすら鉛筆でノートに写していた時代、そのときの腕の鈍痛と、鉛筆で黒くなった右手の小指の側面を思い出した。
 
いつから、研究者は、その小さな弱い肉体だけでは物足りなくなったのだろうか。いつから、科学は、これほどまでに重装備になったのだろうか。自分の蔵書から切り離された獄中で記憶を頼りに後世に残る理論を作り上げた哲学者もいるというのに。膨大な資金と人材と時間を投じて、巨大な科学を生み出すような流行が生まれたのは、少なくとも日本では第一次世界大戦の最中からである。国が設立したものでは、たとえば、一九一七年三月に理化学研究所、一九一八年四月に海軍航空機試験所、一九一九年四月に陸軍技術本部・陸軍科学研究所、一九二〇年九月には栄養研究所のほか、園芸試験場、林業試験場、陶磁器試験場などがつぎつぎに誕生しているし、一九三三年からは、日本学術振興会による補助金の交付などが始まっている。いうまでもなく、第一次世界大戦は、兵隊の数だけではなく、物量と科学と農業の力が勝敗を決することが明らかになった戦争なのだが、その現状分析から日本もまた、国が主体となって科学を養うことになった事実についてはよく知られていよう。
 
巨大な科学を生んだのは、巨大な戦争であった。では、いまは巨大な戦争の時代であろうか。わたしは違うと思う。人間の肉体を侵す力は、銃器や爆弾によるものだけでなく、原子力発電所の爆発や化学薬品の汚染のように、よりきめ細やかに、また、見えづらくなり、人間の言葉の世界や暮らしに交わるかたちでわたしたちの肉体に浸透している。そんな小さくともしつこくて強力な暴力に対抗するには、もはや巨大な科学だけでは時代遅れであり、端的に言って、そんなものにばかり資金を費やす国は危険であるといわざるをえない。何十時間も推敲した洗練された言葉の力と、何十時間も耐えうる交渉の力がなければそんな暴力には立ち向かえないのにもかかわらず、暴力装置に暴力装置を対置することでしか安全保障を考えられないのは、時代錯誤以外のなにものでもない。あの数学者のノートのような思考の深化による突破力と工夫を生み出せない自分を、わたしたちは巨大な設備と労働力の購入によってごまかしてきたのではないだろうか。そしてその暴力の担い手からさえ、資金を貰うことを厭わなかった研究者たちは、大所帯の研究室を運営するよりもまえに、おのれの肉体で考えることを忘れてはいなかっただろうか――。
 
数学者のノートには、実は続きがある。最後のページには、数学者の子どもたちそれぞれの成長予定表があった。何年に中学校や高校に入学するか、何年にはそれぞれ何歳になるか、数式にも負けない美しい図表が描かれてあった。おのれの肉体の延長として整数の世界に挑んだ数学者の痩せた体躯が、わたしにはとても大きく見えた。
(ふじはら・たつし 人文科学研究所准教授。専門は農業史・ドイツ現代史)