企画

ビートルズが残したもの 初来日から50年

2016.10.16

ビートルズの来日から50年の月日が経った。「ビートルズ」と聞くとどんなイメージが湧くだろうか。あまり音楽に関心が無くても「ビートルズ」のことは知っているという人が多いのではないだろうか。あれから半世紀経った今日でも、テレビ番組のバックミュージックや人気アーティストによるカバー、カフェのBGMなどでビートルズの音楽は否が応でも耳に入る。ビートルズの魅力は時代を超え、今やその音楽を全く聴かずに日常生活を送ることは困難な程である。

数あるロックバンドの中で、なぜビートルズは特別なのだろうか。我々はその答えをビートルズと深く関わりを持つ2人に求めた。1人目は京大に程近い百万遍でビートルズをテーマとしたバー「RINGO」を営むマスターである。マスター自身のビートルズへの想いに迫った。2人目は京都ノートルダム女子大学人間文化学部でビートルズを研究する小林順教授である。小林教授がビートルズを研究対象として扱うことになった経緯や具体的な研究内容、研究の展望について訊いた。(ヰ・遑・竹・化)

History

英国の港町リバプールから生まれたビートルズは1960年から約10年間活動したロックバンドだ。メンバーはギターボーカルのジョン・レノン、ベースボーカルのポール・マッカートニー、リードギターのジョージ・ハリスン、ドラムのリンゴ・スターの4人。数々の偶然によって4人の才能と音楽性が同じ場所で重なり合い、ビートルズが完成した。

62年10月5日のファーストシングル「Love Me Do」発売を皮切りに、8年間で22枚のシングルと12枚のアルバムを世に送り出した。レコードデビューを飾ってからその勢いは瞬く間にイギリス全土に広がり、やがてアメリカ、そして世界中で「ビートルズ旋風」を巻き起こすことになる。

デビューからわずか1年でイギリス全土、およびヨーロッパ各国で人気を博していたビートルズは、64年1月に世界最大の市場であるアメリカでのデビューシングル「I Want To Hold Your Hand」を発売し、アメリカで最も権威のある「ビルボード」紙のシングルチャート1位を獲得した。アメリカで大ヒットしたビートルズの勢いが世界へと広がっていくのはもはや時間の問題であった。

ビートルズが解散するまでに成し遂げたことは、伝説、逸話として現在も語り継がれている。またビートルズ自ら主演を務める映画の制作、プロモーションビデオの作成、ロックミュージックへのシンセサイザーの導入、世界初の球場ライブなど、彼らのしたことはまさに現代の音楽シーンや芸能、文化の先駆けであった。
(紙面に「ビートルズの歴史 早わかり年表」を掲載)


小林順教授に訊く 学問としてのビートルズ

京都ノートルダム女子大学の小林順教授は、ビートルズを学問として研究している。研究内容から面白い小話に至るまで訊き、その深層に迫った。


――ビートルズを研究対象とした経緯を教えてください。
ずっとダニエルデフォーを中心とするイギリスの小説を研究していましたが、僕が60歳になったころに、僕の先輩がクラスの学生に「小林先生のご専門はなんですか」って聞かれて、ビートルズって答えたらしい。「違うよ、冗談じゃない」って言おうと思ったんですが、ずっとビートルズが好きでしたから、じゃあ60代は、定年までビートルズを専門にしようと思いました。色んなことを知っているつもりでしたが、関連する本を読んでると、意外と新しい情報が入ってきます。
――どのような研究をしているのですか?
ビートルズの歴史そのものに文学作品を読むようにアプローチしています。ビートルズは不思議なことがいっぱいありますね。2年前の論文「ビートルズ論」では、デビュー当時の偶然の連鎖について書きました。その後は、デビュー当時のヘアスタイルがどうやってできたかを調べました。ファンクラブ用の雑誌では、「髪の毛を洗って、拭かずに放っておいたらこんな髪型になった」と言ってます。でも本当は違うんですよ。フランスの実存主義者たちのあいだで流行っていたヘアスタイルを真似ているんです。スチュアートサトクリフ(※1)の恋人が写真家で、その人がヒントを与えたんですね。エグジス(※2)の一人でした。

※1ビートルズの元ベーシスト
※2ドイツ実存主義者(エグジステンシャリスト)の略称

ビートルズの歴史を辿れば、イギリスだけでなく世界全体のポップカルチャーを追うことができます。アメリカのロックンロールの歴史も見えてくる。基本はブルースですが、カントリー&ウェスタンやフォークソング、教会音楽といった、ヨーロッパの正統的な音の体系を吸収して自然に表現したのがビートルズの音楽です。例えば、ジョンとポールは小さい頃教会の合唱団で歌っていたから教会音楽が根っこの根っこにあります。

日本の場合の伝統を考えてみると、我々の内部に流れているのは民謡や演歌的な音だと思います。東アジア、つまり中国の音階に影響を受けています。ジョンはそういうものを強烈に求めていて、日本にはどういう音階があるのかに興味を持ちました。ジョンが日本に来た時に買ったレコードはJポップ(当時のグループ・サウンド)ではなく民謡だったと思います。そういうことをもう少し詳しく研究して、ビートルズの伝記と絡めると非常に大きいビートルズ研究になると思いますね。

今持っている腹案は、ビートルズというグループは、実は最初から分裂していた、というものです。最終的にあの4人になるのに、2人の仲間を切り捨てているんですよ。そういうこと考えると、ちょっと暗い気分になりますね。そのことに関してはジョンもジョージもポールもリンゴだっていっさい口を開いていません。ビートルズの歴史の中では一番えげつないところです。

ちょうど今、大学の先生を中心に「ビートルズ学」という本を作ってるんですよ。ギターやピアノなどの楽器、そういう音楽的な側面からのビートルズの研究、これは欧米では進んでいるのに、まだ日本では十分にされていません。媒体とビートルズの歴史を考えるのも研究のターゲットになると考えています。ビートルズはレコード時代のチャンピオンです。シングルレコードに換算するとビートルズは10億枚以上売っています。アルバムだけでも2億3000万枚になります。そういうバンドですので、レコードという録音技術の進歩とビートルズの関係は研究の余地があります。しかもそのあとカセット、CD、オンラインで、ビートルズは一貫して売れています。

他にも別のアプローチで、「ビートルズ京都学」というものがあります。要するに、京都という日本の伝統的な町でビートルズがどのようにとらえられてきたかということです。世界に向けて日本がビートルズを発信するのは東京ではなく、京都ではないかと考えています。

――先生はビートルズ研究会を主宰しています。
初回は、60歳になったときゼミでやろうと持ちかけました。一人しか来なかったんですが、3時間レコードを聴きました。

次からは京都新聞に告知を乗せたので、ちょっと人が増えました。今は500人くらいで、近畿の団塊の世代が多いです。レコードを聴いて語り合うんですが、詳しい人がいて感心します。最初の活動は2010年の6月で、2012年にはレコードデビュー50周年という名目で10月5日にシンポジウムを開いて、湯川れい子さんとウルフルズのさんこんさんに参加してもらって、6日にはコンサートをやりました。900人くらい来ましたね。この前の第50回は少し小さい会場で、ビートルズ来日50周年記念コンサートを開いて、義援金活動をやって、熊本県に送りました。今回(第51回)から、ビートルズの詞を訳してみんなに紹介しています。意訳でもなく、忠実な訳でもなく日本語として音に乗りやすいように、あるいは口ずさんだ時メロディが浮かぶようなビートルズの翻訳をやろうと思っています。今度是非覗きに来てください。京大の学生さんも一人来ています。

――教授のビートルズの思い出を教えてください。
僕がビートルズのファンの第一世代です。日本で一番最初にビートルズのレコードを聴いたうちの一人ですよ、多分。ビートルズが日本でデビューしたのは1964年の2月です。“I wanna hold your hand”。その前年、アメリカでも日本でもまだほとんど無名だったビートルズを日本の米軍の基地の放送で聴きました。

――当時の社会的な反応はどうだったんですか?
当初はそうでもありませんでした。むしろ、ビートルズは不良の音楽というイメージでした。日本だけじゃなくて、どこもそうでした。でも、あまりにも売れるから、レコード会社がだんだんビートルズを認めていくわけです。64年のアメリカの5月のある時点では、ビルボードの1位から5位が全部ビートルズでした。60年代当時のロックンロールという音楽の完成形だと思います。ミュージックビデオの制作や球場でのライブなど、どんどん新しいことをやりました。でも結局、ポップス定番の自分と恋人のこととかではなく、もっと生活に即した悩みを歌い始めました。それもボブディランを除けばビートルズが初めてです。現在の若い人が歌ってる曲の基盤を作ってしまいました。我々の生活自体もビートルズの影響が大きいです。
――日本では音楽が研究対象になることに違和感を覚える人が多いと思いますが。
ケンブリッジ大学が出してる入門シリーズという本に、ビートルズが出てます。要するに一流の研究対象だということです。日本はまだ井の中の蛙です。次の世代に伝えるためには、読むべき本は挙げておきたいですし、音楽をやっている人との連携が必要だと思います。
――今はビートルズを直接知る方にこうやってお話をお伺いすることができますが、僕たちが先生くらいの年齢になった時にすべきことは?
やっぱりレコードを聴かせることです。果たしてビートルズが未来の若者たちに訴える力があるかどうかはビートルズにとっての試金石です。例えばアメリカのブルースは初期のものが今でも聴かれていますし、何回聴いても良いです。そういう形で残る可能性はあります。後はイギリスとアメリカでどの程度残るかですね。ロンドンのウエストエンドにあるミュージカルの本場でビートルズのコピーバンドの演奏を聴きにいった時、最後にスタンディングオベーションが起きて一緒に歌うんですが、数千人の観客全員が曲を知っているんですね。そのときに「ビートルズってこの人たちのものだ」と思いました。あれは感激しました。
――最後に、先生が一番好きなビートルズの曲はなんですか?
その質問は本当に困ってしまいますが、挙げるとすれば“Yes it is”です。でも「今日は」“Yes it is”が好きという感じですね。昨日好きだったのは“Yesterday”かな(笑)。
(こばやし・じゅん)
ノートルダム女子大学教授。同志社大学文学部英文学科卒業。同大学院博士課程中退。京都ノートルダム女子大学教授。主な研究内容は英国小説、創作法、英国ポップカルチャーとビートルズ。ゼミのテーマにビートルズのレコード・デビューの裏面史を取り上げている。主な論文に、「ダニエルデフォーの死因に関する一考察」「ビートルズ論」がある。

ビートルズバー「RINGO」マスターに訊く

「ビートルズは永遠に不滅や」

百万遍にある、自称「現存する日本最古のビートルズバー」をご存じだろうか。「RINGO」だ。入口に飾られたメンバーの写真が客を迎える。足を踏み入れると、スクリーンにはビートルズの映像、スピーカーからはビートルズの曲。ビートルズのポスターが壁を彩り、カウンター上にはビートルズのレコードがずらりと並ぶ。ビートルズまみれの店内で、マスターに話を訊いた。
――どうして百万遍でお店を始めようと?
学生街っていうのもあるし、昔の百万遍は(京大の)西部講堂があったりして、ロックの拠点みたいでしたからね。
――客層は?
お客さんの7、8割は京大生ですね。長年ここで店やってるけど京大の学生は昔と変わらない、全員いいやつ。あとは、造形大の子や精華の子も多い、芸術系の学部があるからかな、うちは芸術系のお客さんも多いですね。同志社はほとんど来ないなあ。
――コアなビートルズファンのお客さんばかりだと思っていました。
常連さんでもビートルズのことはあんまり話さないな、そのことは置いといて、音とか雰囲気を楽しむって感じですね。来たらビートルズの話をしなきゃいけないとか、ビートルズのことばかりしゃべっているとかは全くない、ビートルズのビの字もでないし。気軽に来てくれれば嬉しいですね。
――バイトの方は、ビートルズが好きで入ってくるんですか?
全然そんなことはないよ。そんなこと言ったら一人雇うのに5年くらいかかる。ここにきてからビートルズを好きになっていく。
――ホームページに載っていた日本公演のチケットを見せてもらっていいですか?
未使用のチケットね、あれはレアだけど、もっと貴重なビートルズがデビューしたときのLOVE ME DOのシングル盤もありますよ。盗られないように裏に隠してある(笑)。ビートルズマニアの常連さんが、東京に帰るときに「僕の宝物やけどRINGOに」って寄贈してくれました。
――小林教授は、ビートルズを学問として研究していました。マスターはビートルズの曲を純粋に楽しんでらっしゃるように感じます。
私のとこは店あけてわいわい騒いでるだけで、研究なんてね。小さい頃から聞いてて、楽しむっていうよりしみこんでるから。どんだけ聞いてもビートルズは飽きませんしね。ビートルズ聞く?
――ベスト盤は借りて聞きました。
そりゃあかんな(笑)。
――オススメのアルバムはありますか?
そりゃ全部聞かな、ベストは聞いたうちに入ってないよ(笑)。
――一番好きな曲とかありますか?
全部好きやなあ。
――ビートルズ以外には、どんなアーティストの曲を聞かれるんですか?
昔のバンドはもちろん、今のも聞くけど、今はおもしろくないね。でもな、いつの時代のバンドも、基本的には全部ビートルズから影響受けてると思う。
――小林教授は「ビートルズが音楽シーンのレールを作って、今の音楽をやってる人たちはそのレールの上でやっているに過ぎない」とおっしゃってました。
基本的にはビートルズ知らなかったら音楽できないですよ。ビートルズ知らない、てそんなばかな。知らなかったら話にならないってことですね、ビートルズはそれだけの存在なわけで、これほどのバンドはしばらくでないだろうなあ。
――これから先、ビートルズを直接は知らない世代が増えてくると思います。
ビートルズは何があっても消えないと思う。ビートルズって、時代をこえてますからね。いろんな音楽を知ってて実際に演奏する人が、これから先でもビートルズを知らないっていうことはないはず。ビートルズ知らないで音楽なんて出来ませんよ、だから知らないっていうことはないと思う。ビートルズは今後も絶対聞かれて行くし、絶対語り継がれていく。

ジョージマーティンっていうビートルズのマネージャーがNHKのインタビューで、「ビートルズは一体どういうバンドでしたか」って聞かれて「彼らは音楽という地平線のむこうを見てた」って答えてた。つまりもう超えられないんだね、他のバンドには見えないんだから。けどビートルズは、地平線の先に何があるか分かっていた。んで、地平線のむこうがみえたぞーって叫んでくれた。それこそが、ビートルズの音楽なんやろな。

これまでビートルズを除いて誰もその地平線を見ていない。そういう意味では、ビートルズを知っている人が減っていくことは無いと思う。ビートルズが音楽の先駆けなんだから。ずっとこれから先も聞かれていくし、愛されて行くと思うなあ。ビートルズは永遠に不滅や、永遠に可能性を持っているバンドなんやなあ。

いやあ、ええこと言うたなあ(笑)。よう言わすわあほんまに(笑)。
――ありがとうございました。

RINGO基本情報

【営業時間】

PM7:00ぐらい~AM3:00ぐらい

【定休日】

月曜日

【住所】

京都市左京区田中門前町23 地下1階

【TEL】

075・721・3195

【Webサイト】

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hiroring/

〈映画評〉ビートルズに「前例」などない

『Eight days a week~The Touring Years~』

当時マイアミにあるラジオ局に勤務していたジャーナリストのラリー・ケインはビートルズの全米ツアーに同行することに乗り気ではなかった。ベトナム戦争やケネディ大統領暗殺など、激動の時代において取材すべきことは他にたくさんあったからだ。その後2年間に及ぶツアー同行を通して、ビートルズを取り囲む誰も見たことも無いような熱狂ぶりを一番近くで目の当たりにする。気づけばラリー自身も4人の魅力に取り憑かれ、ビートルズマニア(熱狂的なビートルズファン)になっていた。本作はビートルズがデビューするまでの道のりとそこから瞬く間に世界的バンドへと登り詰める過程を追ったドキュメンタリー映画である。とは言っても、ビートルズが活動した10年間全てを2時間の映像に詰め込むのは到底無理なことである。この映画が扱うのはビートルズの~Touring years~、つまりビートルズがライブ活動をしていた時期までである。ビートルズは1963年のヨーロッパツアーからライブ活動をスタートし、66年8月のサンフランシスコのキャンドル・スティックパークでのライブを最期にライブ活動を停止した。それから解散間際の69年にアップルビル屋上で最期のライブを行うまで、ビートルズは一度もライブを行わなかったのである。63年に初のヨーロッパツアーを成功させたビートルズは、64年に次のターゲットであるアメリカへと飛んだ。そこで当時アメリカで最も人気のテレビ番組であったエド・サリヴァン・ショーに出演し72%の視聴率を記録したことをきっかけに、ビートルズは一気に世界中に広がった。その年の6月からビートルズは世界ツアーを始める。66年8月にライブ活動を終えるまで、ビートルズは15カ国90都市で合計166回のライブをした。

まるでビートルズとともに世界中をツアーで回っているような感覚である。観終えた頃には4人の魅力にはまり、ビートルズの音楽をもっと知りたくなるに違いない。本編終了後には劇場限定特典として65年に行われたニューヨークのシェイスタジアムでのライブ映像と音源に4Kリマスターの編集を施した31分の映像が流れる。生々しく伝わってくる熱狂ぶりや臨場感は圧巻である。

監督は『ビューティフル・マインド』でアカデミー賞最優秀監督賞を受賞したロン・ハワードが務め、存命のメンバーであるポール・マッカートニー、リンゴ・スターやオノ・ヨーコの全面協力のもと作成されている。(ヰ)