複眼時評

弓庭育子 アジア・アフリカ地域研究研究科講師 「大学内でのタイ語学習」

2016.07.16

タイ語を学内で学ぶ方法としては、留学生交流会や開講授業への参加が手軽な方法だろう。まずタイ語を使っている人に会ってみる、音声を聞いてみる、自分の声にタイ語を乗せてみる、続けられそうな感触を掴んだら教本を手にとって見る、このような順番でタイ語学習を始められれば理想的だ。学内でタイ語を話す人々の中には、タイからの留学生のほかに、タイ研究者や留学・研修プログラム経験者がいるだろう。食堂など、人の集まる場所で耳をそばだてていればタイ語が聞こえてくることがあるだろうし、琵琶湖大花火大会や五山の送り火など華やかな行事に行けば、やはり人いきれの中から、仲間と声を掛け合う楽しそうなタイ語が聞こえてくるかもしれない。人と人をつなぐ媒体である言語を学ぶには、中でも、音の高低を聞き分ける力を重視するタイ語を学ぶならば、他人の声を聞き、また自分の声を聞いてもらえる環境が整った少人数での学習から始めてみてはどうだろうか。

タイ語は東南アジアにあるタイ国の言語で、タイ国内では4つの地域方言、北部方言、東北部方言、中部方言、南部方言が話されている。方言間の違いは主に音韻と語彙に生じ、文法面ではあまり見られない。マスメディアや公共交通機関では中部方言を基盤とした標準タイ語が用いられることが多いので、北部、東北部、南部方言話者にとっても中部方言は親しみのある方言だと考えられる。学生はタイへ渡航した際に中部だけでなく、北部や東北部の研究機関に所属して活動することがあり、必ずしも標準タイ語が現地の主要方言であるとは限らないが、標準タイ語を架け橋にして意思疎通を図ることは十分可能だ。私が担当している授業では中部方言を紹介しているので、学生には教室内で声調と単語、文法の基本を身につけ、教室の外で留学生や研究室の先輩、指導教官などから各方言の特徴について情報収集し、現地到着後は臨機応変に対応することを勧めている。
 
タイ語は難しいか、易しいか、それに一言で答えることは私にはできない。難しい面もあれば易しい面もあるので、まず易しいところから取り組み始め、慣れ親しんだところで難しい学習課題に挑戦すると、ストレスを少なく抑えられるのではないだろうか。タイ語の易しい点は、語形変化がなく、活用を暗記しなくてもいいことだろう。動詞に現在形や過去形がなく、動詞と名詞で形が変わらない。例えば「学習する」「学習した」「学習」を統一して「学習」と表現するようなものである。外国語学習でぶつかる壁の一つに複雑な活用形が挙げられるだろうが、タイ語では活用暗記に時間を費やす必要がないので、その浮いた時間を別の学習課題に当てることができる。一方で難しい点は、文字である。タイ文字は南インド系表音文字から派生した文字で、子音字、母音字、声調記号を用いて綴る。インド系文字は漢字ともラテン文字とも異なる外見をしており、文字に音声情報と声調情報が含まれている。例えば「楽しい」という文字に、「た・の・し・い」という発音と一緒に音符がついているようなもので、タイ語を音読する様子は、楽譜を目で追いながら歌を口ずさむ姿に似ていなくもない。発音と声調の情報を同時に処理しなければならないので、私の担当する授業では文字学習は原則として扱わず、変わりに発音記号を用いて会話練習をしている。会話練習で音声に慣れ親しみ、語彙と文法知識をある程度身につけた後のほうが文字の規則を受け入れやすいからであり、また、会話学習でさまざまな人の声を記憶に残しているほうが、タイ文字を読んでいるときに比較的楽に音声を頭から引き出しやすいからである。

大学での専門的な学びを進めるためには、言語学習に割ける時間は限られており、短期間に集中的に身につけなければ後の研究活動に差し支えかねない。タイ語のような希少言語の場合、学習者人口も少なく、孤独な作業になりがちである。追い詰められて息苦しい、と感じたときには一旦休憩し、仲間と声を掛け合い、お茶を飲み、祭りを見に行ってはどうだろうか。学内でタイ語を学ぶ利点は、学部や研究科、地域との人間関係を維持しながらタイ語学習を続けられることである。誰かと一緒に時間を過ごし、人の声を聞き自分の声を発する、その中にタイ語が混ざっていればタイ語学習にも効果的、そのような大らかな気持ちで構えることも時には必要だろう。大学での学びの期間にさまざまな言語と文化に触れて視野を広げてほしい。その充実した学びの中にタイ語学習が含まれていればこれ以上の喜びはない。