複眼時評

木田章義 文学研究科教授 「戦艦大和の進路」

2006.08.16

戦艦大和は優秀な三千人の若者とともに沈んだ。第二艦隊司令長官と大和の艦長も、偶然、その時期に司令長官となり艦長となっていたために、船とともに沈まざるを得なかった。大和が沖縄に到達する可能性はほぼゼロであったから、沈むために出撃したのである。

ある回想記によれば、連合艦隊参謀長が、第二艦隊司令長官に海軍総特攻の先駆けとなってくれと説得して出撃を承諾させたという。残る海軍の幕僚たちも出撃すると信じたのであろう。形の上では軍令部からの命令で、連合艦隊司令長官が決定したようだ。連合艦隊司令長官も軍令部総長も後に続くことはなく生き延びた。三千人の人材を無意味に海没させた責任は問われなかった。

航空機による特攻攻撃については、大西滝治郎の発案・主導で行われ、その責任をとって彼は自害したと言われるが、陸海軍全体で行われた特別攻撃が一中将の意志で決定されることはない。陸・海軍の中央の決定が必要である。ところが、どの回想記を見ても、本来の決定を行った軍人はどこにも居ないのである。

そもそも開戦の責任はどこにあったのかさえ曖昧なままである。形の上では御前会議が最後の決定を行っているが、御前会議は儀式に過ぎないので、大本営政府連絡会議が実質的責任を持つと考えて良い。その国策の大綱を決めたのは、陸軍を中心とする幕僚達のようで、多くは四十才前後の軍人官僚らしい。彼らは日本の国力や戦力についての生の情報を握っており、大臣や参謀総長も彼らの数字の適否は分からなくても、それを根拠にせざるを得なかった。軍人官僚の思いどおりの大綱ができあがることになる。数字を積み上げた官僚はほとんどが陸軍大学校出である。陸大を卒業すれば少将までは出世する。彼らは互いに陸大卒業生としての誇りを持っており、自らを別格と思っていた。特別な存在の彼らは責任を負わないで良いとも錯覚していたようである。

ノモンハン事件のおりにも、一個師団くらいは師団長の自由にさせてやれという意見があったし、京都の兵隊も大量に戦死したインパール作戦でも、上級機関は、軍司令官がうるさく要求するからと作戦を認めた。仲間意識によるなれ合いである。

この構造は現在も同じで、各省の方針は課長級が作るらしいが、その方針が間違っていても、責任を取らされることは希である。最近「ゆとり教育」の責任を取らせたのは珍しい例である。これは文部科学大臣が中学生に謝罪したというおまけまでついている。

しかし、この「ゆとり教育」は初めから失敗が見えていた。それを「一個師団くらいは」と同じ感覚で、「ゆとり教育」も一度やらせてやれという感じであったようにみえる。二千円札発行なども、無意味な浪費をしただけで大きな影響はなかったが、失策である。

小中学校の週五日制も失敗であったが、これはまだ修正するつもりはないらしい。初等教育では土曜日を休日にすると教育の内容が薄められる。どこの国でも、国の活力の基盤は教育にあると知っている。わざわざ国力を弱める政策を放置しているのは奇妙であるが、これを軍人官僚と対比して見直してみると、理解できるところが多い。

官僚制度は人材を登用する優れた制度であるが、その制度が定着して出世ルートが決まると、大きな欠点が表に出てくる、個人の功名心にとらわれて、全体や背景を見落としがちになるのである。その政策がどのような結果をもたらすかという視点が無くても、一つの政策を実行できれば有能な官僚と評価される。個人の功名心によって無意味な政策が乱立しがちになる。自分の子や孫もその影響を受けるという発想があれば、そのやり方は変わってくるだろう。

小学生から英語教育を行うというのも愚かなことであるが、かなり大きな力で進められているようである。小学校の低学年から英語を勉強させるのは、将来、米国の一州になるつもりなら有効な方法であるが、そういう遠大な目的がなければ時間の浪費である。言語能力は全ての能力の根元である。母語の力がなければ思考力も付かない。外国語も母語の能力以上には習得できないので、外国語能力を高めたければ、まず母語の能力を高める必要がある。一定の言語能力が付いてから外国語を学ぶ方が、はるかに効率的であるし、子供の精神的混乱も少ない。もし日本人の英会話力を高めたいだけなら、英語教員の採用時、TOEFLやTOEICで一定の点数以上が必要とすれば良い。

結果に対して責任を負わないというのは官僚の習性であるが、小学校教育への英語の導入はどういう意図があり、どういう結果を想像しているのであろう。
 
私たちは、例えてみれば、戦艦大和の機関部で働いているようなものである。大和の進路は高級官僚や政治家が決定する。私たちは大和の進路を知らされることなく、出撃命令を出した者がどこに居るのかも知らないまま、黙々とボイラーを炊き続け、大和が沈むとき、一緒に沈んでゆくしかないのである。

八月十五日が近づくと、新聞は戦争でどんな目にあったかという記事で賑わうが、どうして戦争が起こったのかは突き詰められたことがない。いつまでも大和の進路は見えない。これまで新聞が使命を果たした時代は、一度もなかったのではないか。


きだ・あきよし 京都大学大学院文学研究科教授。
専門は国文学・国語学。国語学では日本語と諸言語の比較などを研究。著作に「濁音史摘要」(『論集日本文学日本語1上代』,角川書店,1978),『注解 千字文』(共著,岩波書店,1984)など。