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西田幾多郎の借家解体 一部は総博で保存・展示

2016.06.16

哲学者・西田幾多郎が住んだ田中下柳町の借家の解体が8日始まった。一部の建材は取り出されて京大総合博物館などに保存される。

京都帝大の教授も務めていた西田は、1912年から22年までこの家に家族とともに住んでいた。この時期は西田の京都学派が形成され、彼が最も学問的に苦闘した時期である。後年哲学の道の散策を好んだことで有名だが、この家に住んでいた時期には、思索に詰まると2階の外廊下を人目も気にせず歩き回っていた。京都学派を研究する文学研究科の林晋教授によると、長男の死や家族の病気など、この時期の体験がその後の哲学に大きな影響を及ぼしたという。

家の中から発見された新聞の日付から、借家は1900年代には建てられていたと見られ、当時創設されたばかりの第三高等学校や京都帝大の学生や教員向けのものだったと思われる。彼が引っ越したあとも教員や学生が入居し、今年1月まで入居者がいた。しかしマンション建設のため解体が決定し、2階の外廊下と隣接する書斎のみが保存されることになった。

取り出された建材は、解体作業チームを率いる福井工業大学の市川秀和教授の倉庫と京大総合博物館に保存される。チームはこれをもとに、今後書斎と廊下の再現・展示を目指すという。林教授は、「西田が苦闘した場所を実際に見ることで、当時の空気を一般の人にも体験してほしい」と語った。