複眼時評

アントニオス・カライスコス 法学研究科准教授「大学での学びから世界へ」

2016.06.01

先日、私が参加している研究班の懇親会で、ふと、大学生であった頃のことが話題に挙った。大学で教鞭をとっていると、毎日が「大学時代」となり、自分が学生だった頃のことを忘れてしまいがちになる。久しぶりに、その時の様子を思い出してみた。

私が卒業したのは、ギリシャのアテネ大学である。日本と違って、入学式などない。また、入学手続きや初回の講義に関する掲示もほとんどない。ひたすら知り合いを含む他の学生を頼りに、自主的に情報を集めるしかない。悪く言えば大学の組織に不足している部分があり、良く言えば初めからコミュニケーション能力や情報収集能力の成長を余儀なくされる。

日本の大学で見るようなサークルやクラブもない。代わりに政党の大学組織がある。それらは、各学部の学生で構成され、政党の資金援助を受けながら、学生生活全般に関する情報をまとめた資料等を配付したり、クラブでのダンスパーティーや旅行等の種々のイベントを開催したりするものである。大学から提供される情報が少ない中、「救世主」のような存在である。政治に関心がない学生でも、これらの組織から情報を入手して、自然と関わり合いをもつようになる。政党にとっては、将来有望な学生に若いうちからアプローチすることができるというメリットがあり、学生にとっても将来活かせるネットワークが構築できるというメリットがある。私が所属していた法学部では、ギリシャの国会議員300名の過半数を弁護士が占めることも珍しくないからか、強い政治的関心を示す学生が多かった。

学期末試験の成績発表は、紙媒体で行われていた。各科目の受講生全員の成績が記されたバインダーのようなものが学部の建物の入り口付近に置かれ、誰でもそれを見ることができた。個人情報の保護の観点などなかったが、思い出せば、悪い成績を他の学生に見られたくないというインセンティブが働き、一生懸命勉強する刺激となった。試験は筆記試験がメインだったが、口述試験のみの科目あるいは口述試験を選択できる科目もあった。口述試験の場合はその場で口頭で成績を告げられる。成績の良くない学生にとっては、色々な意味で「旅の恥はかき捨て」にできない出来事となる。そして、標準の4年間で卒業できる学生は半分に満たず、必死で勉強するのは当然であった。

日本とはかなり学習状況の違う環境であったが、学生に対する待遇は充実していた。ギリシャでは憲法上「大学」は国立のものしか認められておらず、授業料は無料で、教科書は無料で配布される。学生は公共の交通機関や娯楽施設でかなりの割引を受け、世帯収入がかなり高額でも規定の水準以下であれば大学の食堂で1日3食を無料で食べることができた。ギリシャ経済が破たんした一因がここにもあるのではないのかと指摘されそうだが、その反面、いかに国が大学教育に重きを置いているのかが分かる。大学教育は、国の将来を支えることになるであろう学生を育てる場として認識され、学生に対する待遇もそれに相当するものとなっていた。

もっとも「名門」と呼ばれる大学を卒業しても就職の保証はない。現在、若年層の失業率が50%を超えていると言われるギリシャだが、この状況は私が学生だった頃もそれほど変わらなかった。「就職活動」という概念はなく、とりあえずは大学を卒業し、それから就職先を探し始める。良い職を確保するために、修士課程、そして博士課程へ進む学生も少なくはない。ただし学部の数自体が限られている中(私が所属していた法学部は、全国で3つしかない)、大学時代の成績が重要となってくる。語学もできなければならない。ほとんどの場合、ギリシャ語の他に英語ができるのは当然で、それ以外の言語の数と能力で勝負がつく。就職できるかどうかは、本人の努力次第である。

こうした状況から、外国で就職する学生も少なくなかった。私の同級生を見ると、かなりの数が現在外国で働いている。思えば、日本のような「就職活動」の概念はないが大学生活の4年間全体が将来の就職やキャリアに向けた準備の毎日だったのかもしれない。幅広い人脈を作り、良い成績を収め、語学を習得し、時として政治的なつながりも活かしながら、不安定な社会的・経済的環境の中で自分の価値を高めていく毎日。いつでも、どこでも活躍できるように。

来日して大学教育に関わるようになって最も感銘を受けたのは、日本の大学の教育環境が非常に充実したものであること、そして、社会・経済が厳しい環境にありながらも、外国と比べてやはり安定したものであることである。だからこそ学生の皆には、全力で頑張って欲しい。大学での学びの期間が自分の価値を高める期間であることを最大限に認識し、日本に限らず、世界中のどこでも羽ばたける人材になることを目指して、毎日をしっかりと歩んでもらいたい。