文化

〈京都大学未来フォーラム〉「残念さ」を描くには NHKプロデューサー訓覇氏が講演

2015.07.01

6月22日、第63回京都大学未来フォーラムが行われた。未来フォーラムは、各方面で活躍する京大の卒業生が講演を行うもので、年数回開催されている。今回はNHKドラマ番組部のプロデューサー・訓覇(くるべ)圭氏が登壇。「TVドラマの作りかた~プロデューサーの現場から~」と題し、自身が担当したドラマ「あまちゃん」の制作過程を中心にドラマ制作の現場について語った。

「あまちゃん」は、地元アイドルによる田舎の町おこし、という構想から始まった。訓覇氏は舞台の選定にあたり、脚本担当の宮藤官九郎氏とともに岩手県久慈市を訪れた。久慈は他に訪れた平泉などの観光地とは違い、車ばかりで人がほとんど歩いておらず、駅前ビルにもテナントが入っていない。こうした「よくある地方都市」の光景を見た両氏は、当初はモデルとするのにふさわしくない場所だと感じた。そのうえ地元の海女に会いに行っても訛りが強いために話が聞き取れず、郷土料理のまめぶ汁を食べてもあまり美味しくない。しかし、「せっかく愉快な人ばかりなのに話が分からない」「なぜか甘いものを入れて微妙な味にしてしまう」といった町の側面を「残念な町」として表現すれば面白いのではないかと、宮藤氏と話し合い、舞台に選んだという。

この「残念な町」を印象づける上で重要となるのが第1話だ。第1話では人物の紹介とともに使用するセットが映し出され、物語の設定を示す基礎となるからだ。本作では、乗客の少ない駅や寂れた商店街のほか、仕事はせず自分たちの理想をジオラマで作ってばかりいる地元の観光協会が、残念さを表す役割を担っている。町が過疎であることを説明する登場人物に対し、従来の朝ドラの描き方であればその悩みに寄り添うと思われるところ、宮藤氏は「しみったれた」という表現を用いた。この言葉の選択が、同情するでも突き放すでもない愛情と距離感を表していると訓覇氏は説明した。

「あまちゃん」では東日本大震災が起きた瞬間のシーンも描かれている。3月11日を描くに当たり訓覇氏は、「震災は我々が忘れてはならない出来事だが、朝からそうした暗い話を流して良いのか」「あくまで作り話であるドラマで震災を描くにあたり、誰が見ても不快な気持ちにならないためにはどうすればよいのか」など、様々な悩みを抱えたという。

考えた末、震災当日の様子はジオラマで映し、現実とは一段離れたフィクションとしての側面を強調した。一方、翌日の場面では実際に被災地の風景を映し、被災者にエキストラとして当時の自らの行動を再現してもらった。実際に震災を経験した人が間近で演じることで、役者の演技も引き締まったと訓覇氏は述べた。ドラマを見た被災者に「見ていて大丈夫な内容だった」と言われた時はほっとしたという。

講演後には質疑応答が行われた。決断を迫られた際にどんなことを意識しているか、との質問に、訓覇氏は「自分が見たいものを作ることを意識し、選んだ時はなぜそれを選んだのかを覚えるようにしている」と語った。(国)