インタビュー

インタビュー 髙田真理さん(『世界一の紙芝居屋 ヤッサンの教え』著者)

2014.11.01

勇気づける一言に出会ってほしい

高田さん
たかた・まり
京都大学農学部食品生物科学科卒業後、大学院在学中の2010年にヤッサンのもとに弟子入り。広告代理店に勤める現在でも、紙芝居屋の「始毬」(はじまり)として清水寺などで口演している
今年9月、『世界一の紙芝居屋 ヤッサンの教え』という本が出版された。ヤッサンとは安野侑志さんの愛称。40年以上にわたり京都を中心に紙芝居を続けてきた人物だ。本書の著者で、自身もヤッサンの弟子として紙芝居をしている髙田真理さんに話を聞いた。

2010年、私は農学研究科に進学して「美味しさ」の研究をしていました。ある日研究室で新聞を読んでいると、紙芝居屋のヤッサンを紹介する記事が目に入ったんです。

山形県生まれのヤッサンは25歳の時、後に奥さんになる人と駆け落ちして大阪へ。万博公園の工事などで生計を立てていた中、大阪府が交付していた「紙芝居業者免許証」の存在を知り取得します。それ以来、商店街や小学校、海外でも紙芝居をしてきました。2006年からは京都国際マンガミュージアムで毎日口演に立っていました。

記事を読んで、「まだ紙芝居をしている人がいるんだ」と驚きました。その当時、私は外国人観光客を英語で案内するサークルに入っていて、「海外の人にも紙芝居を紹介したい」と思い立ち、すぐヤッサンに電話しました。約束した日に三条の稽古場を訪ねると、私が即興で紙芝居に挑戦することになったんです。終わると、ヤッサンから「声もよく出ているし、紙芝居やってみない?」と言われ、私の弟子入りが決まりました(笑)。それからは、月から金までは大学院で実験、休日は紙芝居という日々を過ごしました。

ヤッサンのもとで紙芝居をする生活が一年ほど続いた2011年のある日、髙田さんは「出版甲子園」の存在を知る。全国の学生から寄せられた企画のうち、10企画が決勝大会に進出し編集者の前でプレゼンするチャンスを与えられる。そこで編集者の目にとまれば書籍化が実現する。

私の友人が出版甲子園で本を出していて、話を聞いた時、「私もヤッサンの言葉を本にしたい」と思いました。稽古の合間にヤッサンが聞かせてくれる痺れる言葉や面白い昔話が好きで、これを本に出来たら良いなと。ヤッサン本人の反応が心配でしたが、やりたいと伝えると「良いね、やろうよ」とオーケーしてくれました。出版甲子園では決勝大会に進出してグランプリを獲得、8社から出版のオファーを頂きました。

出版元をダイヤモンド社に決めて執筆作業に入りました。ヤッサンが20年間毎日つけている日記と、親交のある京都造形芸術大学の牧野圭一さんに毎日送っていた1000枚以上のハガキを何回も読んで、良いなと感じた言葉をリストアップしていきました。ヤッサンにも昔のことをインタビューしたり、本の中身について夜遅くまでスカイプで相談したりと色々協力してもらいました。

インタビューを一通り終えてしばらくした2012年6月、腹痛を訴えて病院に行ったヤッサンはガンと診断され、その2カ月後に亡くなりました。突然の訃報にすごくショックで、その時は本を完成させられるかとても不安でした。それでも、完成を楽しみにしていたヤッサンの姿を思い出し、仕事の合間を縫って執筆に励みました。

出版甲子園でのグランプリから3年がたった今年、『世界一の紙芝居屋ヤッサンの教え』が刊行された。紙芝居屋として40年のキャリアを積んできた自身の経験を交えながら、「自分らしい生き方がしたい」という人に向けてヤッサンがエールを送る。

ヤッサンが語る形式ですが、実際に書いているのは私です。ヤッサンの言葉をまとめる私の色が出すぎて、ヤッサンを知る人から「伝わってくるものが違う」と言われないよう、注意して執筆しました。実際に家族や弟子に読んでもらうと、「ヤッサンの声が聞こえてくるみたい」と言って頂いて安心しました。

40年にわたるヤッサンの日々の積み重ねが、この言葉の力強さにつながっているのだと感じます。社会人となって3年目になる私も、ヤッサンが言ったことに勇気づけられながら日々頑張っています。この本には色々な言葉が詰まっていますが、読む人が置かれている状況によって、響いてくる言葉は違うと思います。読んだ人が何かに挑戦しようとする時、それを後押ししてくれる言葉に一つでも巡り合ってくれたら嬉しいです。
(聞き手は 築・奥)

『ヤッサンの教え』

『世界一の紙芝居屋 ヤッサンの教え』
安野侑志、髙田真理著
ダイヤモンド社・1300円(税抜)