文化

〈吉田寮祭ヒッチレース〉 ドライバー体験記 ~魔都名古屋 死闘篇

2014.06.16

ヒッチレース、それは吉田寮祭においてもっとも過酷なイベントの一つである。ヒッチレースの出走者達は深夜に車に乗せられて寮を出発し、全国の各地へと運ばれる。神戸、鳥取、岡山……それぞれの場所にランダムで捨てられた出走者は無一文、かつ身分証明書なしで、ヒッチハイクのみにより、京都を目指す。

一年に一度のビッグイベントを縁の下で支えるべく、今年も編集員47がドライバーとして参戦した。(47)



噂の街「名古屋」

すでに10年以上の歴史を持つ吉田寮祭ヒッチレース。これまでに参加者が捨てられた場所は様々で、西は神戸、徳島、香川、鳥取、遠い所では山口、東は滋賀、岐阜、静岡、さらには福島にまで行った年もあった(今回ドライバーとして参加する私も、数年前に捨てられる側で参加した際は富山県の国道で降ろされ、北陸地方を無一文でさまようことになった)。

日本全国津々浦々にまでその舞台を拡げつつあるヒッチレースであるが、近年寮内ではある「通説」が急速に広まりつつある。すなわち、「名古屋はヒッチレース参加者の墓場である」というものだ。数年前、静岡県からヒッチハイクをスタートした参加者たちが、名古屋に差し掛かったあたりで急に何時間も足止めを喰らったり、ひどい場合には深夜になっても車に乗せてもらえず、飲まず食わずの夜明かしを強いられたりといった事例が相次いだことをきっかけに噂されるようになったもので、実際、当時の参加者に話を聞くと「声をかけてもみんな無視する」、「ハエを追い払うかのように無言で『シッシッ』と手を払われた」、「名古屋はマジでヤバい。魔都だわ」などの証言にこと欠かない。ただし、これまでにヒッチレースで名古屋を通過した参加者の人数は限られており、現状ではまだ「名古屋魔都説」の実証性に不安が残るのも事実である。

根拠なく名古屋の悪口を言うのは良くないし、逆に名古屋人の冷たさを実証できればこれからは自信を持って名古屋魔都説を唱えることができる。これは一度、本格的に試してみなければなるまい。以上のような考えで、私は行き先を名古屋に決めた。

愛車セレナ、東へ!

「吉田寮祭!吉田寮祭!わーいわーい楽しいな♪」

祭の開幕を告げる名曲「吉田寮祭の歌」が響き渡る真夜中午前1時、銀色のセレナは静かに近衛通りを出発した。目指すは日本第三の都市、名古屋。車に乗り込んだ参加者は5名であった。この後車を夜通し走らせ、朝を迎えたところで参加者を降ろす、というのがヒッチレースのルールであるが、京都~名古屋間を車で走る場合、到着まで数時間しかかからず、夜が明けるずっと前に名古屋に着いてしまうのが厄介なところだ(夜明け前に参加者を捨てることはルール違反である)。時間を潰すために途中のPAで車を止め、仮眠を取るがまだ夜は明けない。寝起きの缶コーヒーを飲みながらふと後ろを振り返ると参加者は皆、一心不乱に寝ている。休めるのは夜明けまでで、朝になれば戦いが始まることを、彼らは十分にわかっているようだった。

さて、そんなわけでちょうど夜が明ける頃に名古屋市に到着し、すぐに名古屋市営空港へと車を走らせる。ここは国内線オンリーのローカル空港で、主に東北地方行きの便が多いようだった。この時点で朝6時過ぎ。いよいよ開戦ということで、まずは最年長のYさんが車を降りた。レーダーがぐるぐると回る中、一人少なくなった我らは再び車に戻り、一路市街地へと向かう。

その後は名古屋城でIさん、名古屋駅前でKさんを立て続けに降ろし、いよいよ「名古屋魔都説」の実証作業が本格的にスタートする。名古屋市営空港、名古屋城、名古屋駅……これらはいずれもレッキとした名古屋市の公共施設ないしは観光名所であり、名古屋の文化がモロに現われる場所であるはずだ。これらの場所からスタートした彼らがどのような運命を辿るかを観察すれば、自ずと名古屋という都市の本質が見えてくるはずだ。

私は計画が順調に進みつつあることに満足しながら、残る二人の参加者を降ろすため、名古屋港へと向かったのだがそこで事件は起こった。

これぞ魔都!恐るべき名古屋の深淵

それは、名古屋港を目前に控えた路上、何でもない信号待ちだった。シフトレバーを「パーキング」に戻して停車していた私は、青信号と共にレバーを「ドライブ」に入れ、発進を試みた。これまで何百回となくやってきた、当たり前の動作だ。しかしこの時、AT車であるはずの我がセレナはブレーキを離してもクリープせず、アクセルを踏み込んでも一向に前進せず、ついにはエンストを起こして停車してしまった。AT車でエンスト!言うまでもなく異常事態である。後部座席の二人は青ざめる。後続車はけたたましくクラクションを鳴らす。私は慌ててエンジンをかけ直し、すぐさま最寄りのガソリンスタンドに避難した。

「まず、レバーをドライブに戻してもクリープしなくて……」。私が必死に症状を訴えると、店員さんは自らセレナの運転席に乗車して車の異常を確かめてくれたが、不思議なことに店員さんが運転した途端、セレナは異常なく発進し始めたのである。バッテリーもオイルも問題ない。少なくともうちで直せるような箇所の故障はない。そう言われてガソリンスタンドを後にした我々だったが、出発後1分も経たないうちに症状は再発し、とうとう名古屋港で一切車を動かせない状態に陥ってしまった。

こうなってはもうヒッチレースどころではない。参加者の二人はその場で下車してヒッチハイクをスタートさせ、残る私は電話でJAFに救助を要請した。

JAFのスタッフが現れるまでの間、私はコンビニで買ったおにぎりを食べながら一人、海を眺めた。「おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」と言ったのは、たしかニーチェだっただろうか。ドライバーである自分がこんな事態に見舞われるとは想像すらしていなかった。このまま車が動かなければ、ヒッチレーサーを苦しめようと企んでいた私自身が流浪のヒッチレース出走者と成り果てるかもしれない。

このセレナを使っての遠出は何も初めてではない。今までにも大阪、兵庫、香川、福井など様々な場所を旅してきたがこのようなアクシデントは一切なかった。やはりヒッチレースにおいて、名古屋は「魔都」なのだ。人が不親切とかヒッチハイクしにくいとかそんな甘っちょろい話ではない。この土地の持つ「何か」が、ヒッチレースを狂わせるのである。

やがてJAFが到着し、会員でなかった私は金一万五千円也を支払わされるが、車の故障原因は依然としてはっきりせず、後味の悪さだけが残った。その後車は少し調子を戻し、下道を長時間かけて京都に帰還することはできたものの、後日市内の自動車販売店で詳しくみてもらったところ、エンジンやギアのトラブルが予想以上に深刻で、廃車にせざるを得なくなってしまった。

「ヒッチレースで名古屋に行ったら車が廃車に追い込まれた」。こんな事態に見舞われては名古屋という街に恐怖感を抱かざるをえない(実証性云々の話はこの際措こう)が、さりとてこのまま引き下がったのでは自称ベテランヒッチレースドライバーとしてあまりにも悔しい。また機会があれば「魔都」名古屋へのリターンマッチを果たしたいと思う。

……ところで、早朝に名古屋市営空港で降ろされたYさんは、あの後夕方になっても夜になっても名古屋市内から脱出できず、結局京都への帰還に40時間もかかったという(もちろんこれは今年のヒッチレース全参加者中、最遅記録である)。

やっぱり名古屋は、危険な都市だ。