複眼時評

藤井光 同志社大学准教授 「国際線ターミナルにて」

2013.07.16

Q:次の作家たちを特定し、彼らに共通する特徴は何かを答えなさい。
1)一九六八年、アメリカ生まれ(『燃えるスカートの少女』)
2)一九七〇年、アメリカ生まれ(『失踪者たちの画家』)
3)一九七二年、アメリカ生まれ(『終わりの街の終わり』)
4)一九七三年、アメリカ生まれ(『メモリー・ウォール』)

A:
1)エイミー・ベンダー
2)ポール・ラファージ
3)ケヴィン・ブロックマイヤー
4)アンソニー・ドーア
共通点:小説において、国籍にとらわれない寓話的設定を駆使すること。

国際空港のターミナルに足を踏み入れるたびに、僕たちは強い既視感と混乱に襲われる。まず正面にゲート案内のスクリーンがあり、右手にはブランドの免税店、左手にはブランドの免税店。少し行けばコーヒーショップ。成田であろうとパリであろうと、サンフランシスコであろうと上海であろうと、その風景は基本的に変わらない。

もっとも、それは空港ターミナルに留まらない。大都市の中心地区にある大型デパートに行けば、そのなかでは世界共通の店と品揃えが見られるはずだ。国際性を謳う大学を訪れてみれば、そこでは「世界標準の」授業が英語で提供されており……。世界のどこでも同じサービスが提供されることは、現代の生活にとって当たり前の条件になりつつある(もっとも、その「世界」とは、きわめて限定された空間なのだが)。僕たちの日常は、次第に無国籍化し、つまりは国際線ターミナル化しつつあるのかもしれない。

無国籍化というこの条件は、アメリカの若手作家たちにもかなりの程度共有されている。「アメリカとは何か」と問い続けるなかで進行してきたアメリカ文学は、急速に「アメリカ」という枠そのものを離れつつある。若手作家たちにとっての先駆者は、カズオ・イシグロであり、またハルキ・ムラカミであり、特定の国家や共同体に縛られることのない、無国籍な寓話がスタイルとして好まれる。

ただし、それはアメリカ作家がおしなべて「同じ作風になった」ことを意味しない。先に挙げた四人の作家たちを見れば、それは一目瞭然だろう。単に創作の条件が変化しているのだ、という方が正確かもしれない。アメリカが自己完結することなどもはやできず、僕たちは国際線ターミナルに生きているという現実から出発するほかない、という条件を引き受けながら、作家たちはその内部に新しい物語空間を発見し、切り拓いている。

Q:次の作家たちを特定し、彼らに共通する特徴は何かを答えなさい。
1)一九七六年、メキシコ・グアダラハラ生まれ(『紙の民』)
2)一九七七年、ペルー・リマ生まれ(『ロスト・シティ・レディオ』)
3)一九八二年、ブルガリア・ソフィア生まれ(「西洋の東」)
4)一九八五年、旧ユーゴスラヴィア・ベオグラード生まれ(『タイガーズ・ワイフ』)

A:
1)サルバドール・プラセンシア
2)ダニエル・アラルコン
3)ミロスラヴ・ペンコヴ
4)テア・オブレヒト
共通点:アメリカ作家であること

同時に、国際線ターミナルとは、人々が国外から到着する空間でもある。外からアメリカに「到着した」作家たち、という目で眺めるなら、十五年ほど前から、非英語圏生まれの作家たちの存在感は急速に強まりつつある。

右に挙げた四人の作家たち以外にも、そうした作家たちは枚挙に暇がない。ドミニカ生まれのジュノ・ディアス(『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』)、中国生まれのイーユン・リー(『黄金の少年。エメラルドの少女』)、ボスニア生まれのアレクサンダル・ヘモン(『ノーホエア・マン』)、ベトナム生まれのリン・ディン(『血液と石鹸』)……。

移民労働者一家の一員として国境を越えたディアスやプラセンシア、戦争を逃れてアメリカにたどり着いたオブレヒト、合衆国の大学に留学してそのまま残ったペンコヴやリー。彼らがアメリカ作家となるに至った経緯は、当然ながら千差万別である。しかし、こうした作家たちの登場により、アメリカ文学は一気に多様化しつつある。なにしろ、彼らの多くはアメリカを題材とはせず、また母国にも帰着しない、「あいだ」にあるとしか言えない物語を提示しているのだから。

それはまた、英語そのものの多様化をも導くだろう。彼らにとって第二言語である英語での創作は、必然的に、「自然な」言語運用とは別の次元での活動になる。ディアスのように、ドミニカのスペイン語をこれでもかと投入するスタイルもあれば、プラセンシアやオブレヒトのように、どこか不自然な反復を英語に持ち込むことで、「ノイズ」を発生させる作風もある。ターミナルの場内アナウンスがどれほどマニュアル化され画一化されようと、到着ロビーでは今日も、思いもつかないほど変形された言葉が生まれている。

そう、国際線ターミナルとは、画一化と多様化が「国家」の枠を離れた次元でせめぎ合い、新たな可能性を生み出す場所でもある。だから、僕たちはそこを忌避する必要はないはずだ。作家たちとともにターミナルに入り、思わぬ出会いを見出せばいい。僕たちの手元にある搭乗券を見てみよう。そこにはきっと、誰もが知っている目的地など記載されておらず、ただ「未来の物語」とだけ書いてあるはずだ。