文化

〈連載企画〉台湾逗留記~最終回~你是誰?我是誰?

2013.07.01

台湾東部の小都市、花蓮へ一路向かった。台北市内を抜けると車窓は冬(2月中旬)でも原色そのままの緑を繁らせている木々に包まれる。同じ台湾島でも西と東ではどことなく雰囲気が違うように感じられる。東部は「剥き出しの自然」が残っているというか、「未開拓」とでもいおうか。

それは単なる印象論ではなくて、大陸に面し平野部が広がる西部に比べて断崖が海のすぐそばまで迫る東部は、漢民族の入植もずっと後になってからのことだった。目的地の花蓮も漢民族が初めて入植したのは実に1852年、つまり「中国」の影響が及んでから日本の植民地統治下に切り替わるまでのタイムラグはわずか40年しかなかった土地だ。 比較的規模の大きい田園地帯を片側二車線の直線道路がどこまでも延びる光景はどことなく北海道を思わせる。

陽が沈み景色も見えなくなってしまったので車中で、ベネディクト・アンダーソン『Taiwan Studies : Between Imperialisms and Nationalisms』のコピーを読む。国民国家論で有名なアンダーソンは、この稿で台湾の「特殊性」を指摘する。台湾はナショナリズム運動が萌芽状態にあるうちに、前近代的帝国的秩序(中華王朝)から切り離され、他方でその時点ですでに近代国民国家体制を形成していた「日本帝国」に編入された、つまり世界史的な前近代―近代のちょうど移行期に現われた存在が「台湾」なのだと。

走馬灯のようにこの間の経験を思い出す。木々のむき出しの緑のように、外因的な力によって半ば暴力的に区切られた歴史の断面が鮮明に姿を現すのを幾度となく見せられた。そのたびに「この土地/国/共同体」はいったい何なのだ?という気に襲われた。そして、その疑問は翻って自分の側=日本にも向けられるものだった。市内の大型ビジョンに日本産果物のPRが放映されるときアイコンとして「日の丸」がデカデカと照らし出される、大創(ダイソー)のような小売店が「日本物産」であることを大々的に強調する、日本とは関係ない地元メーカのお菓子の包装にあえて「ひらがな」表記や「北海道甘」「沖縄黒糖」のようなキャッチフレーズが使われる……こうした表層的なところを切り取ってわたしたちは「台湾は親日」などという言説を構築してしまいがちなのだ。その実台湾の重層性についてどれほど「理解」しているのだろうか。

花蓮についたのは夜も遅くのことだった。安宿に泊まり翌朝、海岸へ。なんとなくの方向感覚にしたがって街中を流れる小川に沿ってしばらく歩く。この川沿いにも老朽化した平屋の日本式家屋が保存されていた。どこまでも「過去をなかったことにはしない」強固な意志を感じる。

東シナ海の大海原を望む海岸線に出る。あいにくの曇り空で灰色の空と海の境界線はぼやけていた。与那国島までわずか200キロ。たったそれだけの間に引かれた「国境線」が両岸を「他者」にしてしまう。「ずいぶん遠くまで来てしまったものだな」と感傷に浸ろうとしていると、大音響のラジカセが。そう早朝から釣りに勤しむおじさまがただ。やれやれと思いながら再び小川沿いを歩くとここでもラジオ体操が始まっていた。そして朝食を出す店からは揚げ物の匂いが……。どういった方向かは分からないが、恐らくこの土地の人びとは持ち前のパワーをもって困難も乗り越えて行くのだろう。さて、わたしはこの先どこへ行けばよいのやら。 〈了〉(魚)