企画

現代日本における贈与文化と その実用的可能性について ―京都土産を中心に―

2013.05.01

マルセル・モースが1924年に上梓した『贈与論』を挙げるまでも無く、「贈与」なる概念は人類史を語る上で常に不可欠なものであった。日本史研究においてもその意義は鮮明で、中世史学者・網野善彦も著書『中世的社会とは何だろうか』の中で贈り物について触れている。例えば、私たちが結婚式や葬式などで用いる熨斗(のし)袋。現金をそのまま手渡せば大変な失礼にあたるが、熨斗袋に入れて渡せば問題なくなるという風習は「きわめて日本的な習俗」なのだそうだ。なお熨斗袋の「のし」は、古く『延喜式』にある、「長鰒」として諸国から寄進された「のし鰒」に語源を持つらしい。

この世の多くのものが「商品化」された後も、贈与の文化は、それが「賄賂」と呼ばれるものから、ささやかな贈り物にいたるまで、さまざまな場所で根強く見られる。それは、人と人、相互の心の結びつきを保ち、新たにしていくうえで、重要な役割を果たしているに相違ない。以下は古都・京都の「贈与の文化」をめぐる、3人の論者たちの思考の軌跡である。(編集部)

「哲学のふせん」を如何に活用すべきか

本稿では「哲学のふせん」の実用性と今後の付箋業界における展望を論ずる。

まず、どのようなシチュエーションでこの付箋は使用されるべきかを考える。その付箋には「と、私も前々から考えていた。」と書かれている。食堂に掲示されたアンケートに3枚ほど貼れば、その意見にあたかも沢山の賛同者がいるかのような虚構を演出することができ、食堂のおばちゃん達に無言のプレッシャーを与えることが可能である。「あなたのことが……前からずっと好きでした!」というセリフで女の子から告白された時、すぐにこの付箋を相手に貼って逃げれば、「私も前々から考えていた。」という言葉から大学生としての青春を紡ぎだすことが、恐らく出来ない。

私は他にも様々なアイデアを思い付いたが、それを書くには紙面が足りない。しかしどれも取るに足らない、下らないものである。ネタ商品として非常に面白いこの付箋だが、残念ながら筆者には上手く活用することが出来ない。そしてこの事実は筆者にだけ当てはまる訳ではなく、この商品を使用しようと試みた人全員に同じような感情が芽生えることが予想される。

次に私たちがこの付箋を活用し得ない理由を述べる。問題は、一見面白く見えるこの「私も前々から考えていた」という文面にある。私達は「前々から考えていた」事柄に再度遭遇することに対して喜びを感じ得ることが出来ない。人が求めるのは「前々から考えていた」ことに出会った瞬間では無く考えたこともないようなアイデアに出会う時である。書籍に目を通し、喜びを感じるのは、未知の事柄に出会った時である。そして勿論、普段私達はその類の瞬間を求めて読書に勤しむ。そういった意味で残念ながら大学生活において使いどころのない商品である。しかしこの付箋の将来性は本当に断たれたままであろうか。

この付箋の別方向からのアプローチとして最後に今後の付箋業界における発展を論ずる。ここで話題性のある商品には類似品が生まれやすいことに着目したい。つまり、知っていることに出会ったときについて述べる付箋ではなく、初めて知ったことに対して反応する付箋を製作するのである。例えば「ということを私は考えたこともなかった」と書いてあるような付箋はまさに前述した私たちのニーズに合っていると言える。他にも「という考え方を求めていた」「というアイデアを私は求めていた」などの文言はこれに準ずる物だ。「と、私があの時思いついていれば…!!」「という考えが今まで思いつかなかったからって悔しくなんかないんだからね///」等の言葉は読み手の後悔を端的に表してくれる。「と、言いますと?(笑)」は書き手にケンカを売れる。「という考えを得た私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」という付箋に関しては、付箋のサイズそのものが余白を気にしない設計になりそうである。

以上で「哲学のふせん」を如何に活用すべきかという論を終える。京都みやげとして私達が求めるような商品が全国に普及することを願い、締めくくりたいと思う。 (草)

美についての一節 ―京大飴におけるシンメトリーを題材として―

美――それは、人類が感情というものを持って以来、彼らを惹きつけ続けてきた存在である。本稿では、京大飴におけるシンメトリーを題材にすることでその美の核心に迫りたい。

あらかじめ説明を付しておくが、京大飴とは、京大生協などで販売されている税込210円、一袋10粒入りの飴菓子のことを指す。他の京大土産よりも比較的安価なため、京大を訪ねてきた受験生などにも買い求めやすい。またその特徴として、「金太郎飴」となっており、飴の表裏に大きく「京大」と記されていることが挙げられる。

ここで、袋に詰められている京大飴のうち、任意の飴玉αを取り出した。そして(図1)を表面、(図2)を裏面とし、コイントスを行った。実験者のミスにより、32回目のコイントスの直後に飴が欠損してしまったが、この限りにおいて裏面が出た回数の方が多かった。この結果から、京大飴にはかなりの重量、体積の偏りがあると推測される。つまり、京大飴はシンメトリーではないと考えられる。

あの京大が技術の粋を使って作った(?)京大飴でさえ、シンメトリーの壁をこえることが出来なかったのだ。

シンメトリーが美しい理由は、混沌(カオス)に対する一種の勝利にある。そこに偶然なものはなく、すべてがあるべき場所にある。シンメトリーとは古代ギリシャ語である。古代ギリシャ人はその言葉で、部分と全体の均整を、つまり釣合いを表現した。目的にかなっていて、規則正しく、正しい割合になっていて、釣り合っている。そんな状態のことを、古代ギリシャ人はシンメトリーと呼び、そこに美しさを見出したのだろう。

ただ、そのような釣合いのとれた美しさは、四六時中私たちを楽しませてくれるものではない。均整の連続が私たちをひどく退屈にさせることも少なくない。美しさとは、確たるものではなく、常に動き続けるのだ。

それでも、美の法則性を求めて、科学者たちは美の分析を続ける。数学者が詩を分析し、電子計算機が音楽を作曲する。〈私は思い出す そのすばらしい瞬間 私の前に君が現れたときの、さながらつかの間の幻か、さながら化身か けがれのない美しさの〉。プーシキンが書いたこの詩を、いつか機械が再現することをめざして。(穣)

「『部局長』カレー」の可能性をさぐる

尾池前総長時代の2005年に商品化された「総長カレー」は、総長が代わった後も京大の「名物」の一つとして高い人気を誇っている。クスノキ前のカフェレストラン「カンフォーラ」では、ビーフ、シーフード、ステーキなど、バリエーション豊かな「総長カレー」が提供されてきた。市場開拓の努力もあり、随分と手に入りやすい品となった。「総長をもっと身近に感じたい」。そんなコンセプトのもとで開発された「総長カレー」のもくろみは達成されたわけである。

しかし論者としては、そのバリエーションの開拓の方向性に疑問を呈さざるを得ない。総長以外の『役員』や『部局長』だって、身近な存在とは言い難いのである。そのような問題意識から、本稿では多種多様な「『部局長』カレー」の可能性について考察した。

(第1章)「副学長カレー」
「学生担当風」、「教育担当風」など、種々のバリエーションが考えられる。ただし任期の関係上、味の移り変わりも激しくなることが予測される。

(第2章)「文学研究科長カレー」
「心理学風」、「スラブ文学風」など、種々のバリエーションが考えられる。ただし任期の関係上、味の移り変わりも激しくなることが予測される。

(第3章)「医学研究科長カレー」
身体に良さそう。ただし任期の関係上、味の移り変わりも激しくなることが予測される。

(第4章)「元総長カレー」
現在の「総長カレー」は本来この名称であるべきなのだが、ここでは争点としない。「元総長」というネーミングがパンクな世代にもてはやされる可能性がある。

俗に “Variety is the spice of life.”(「多様性は人生のスパイス」)という。「二匹目のドジョウ」などと言わず、是非商品化を試みてもらいたい。 (薮)

『複素数ものさし』が呼んだ騒動 ヒット商品の影で…

不便益システム研究所と京都大学サマーデザインスクールが2013年度に商品開発した「素数ものさし」(577円)は、斬新なアイディアがうけ、その不便性にもかかわらず発売とともに大いに好評を博し、入荷するや即完売という状況が続いている。新たな「京大土産」として、定番と化す日も近いと言えよう。

そんな「素数ものさし」をめぐって、ちょっとした「事件」が起きている。

3月某日。アメリカから届いたたった一枚のファックスが、報道各社を激震させた。そこには「私は『複素数ものさし』の開発に成功した」と書かれていたのだ。

周知の通り、「複素数」(complex number)とはa + bi(a, bは実数、iは虚数単位)で表される数のことである。私たちが生きているこの次元において実体化できないものがこの「複素数」という言葉には措定されている。そんな概念が「ものさし」として具現化されるなど、直感に反するというほかない。この素人感覚を裏付けるように、『複素数ものさし』に対する異議が専門家から噴出した。

『複素数ものさし』なるものが実現しえたのか、どうか。我々は「オックスフォード大学客員講師」だというこのM氏なる人物が、自らの成果を発表する「学会」の時を待つことにした。

しかし、4月中旬にニューヨークで行われるはずだった学会発表の場に、M氏が現れることはなかった。学会は「内容に疑義がある」として、当該のスケジュールからM氏の発表を取り消したことを説明した。

当然、後日M氏は釈明に追われた。以下は、M氏と報道陣の一問一答のやりとりである。

―『複素数ものさし』の実物を見せてほしい。 今は見せられない。自宅にある。

―『複素数』の概念をどう実体化させたのか。 とにかく、見たら分かる。お見せできないのが残念だ。

―……。学会に姿を見せなかったのはなぜか。 報道対応に時間をとられていた。私のせいにしてほしくない。

―本当に『複素数』を表したといえるのか。 少し、誇張した部分はあるかもしれない。しかし、嘘と決め付けるのもどうか。

―今後、学会で発表する予定はあるのか。 学会が許容する姿勢を見せれば、発表しないわけでもない。

ああ、哀れなるかな。分野に限らず、よその名声にかこつけ、便乗する輩はどの時代にもいるものである――。
(この記事の内容はフィクションです)