文化

研究ノート 第4回 生物物理学

2007.12.01

「生命とは何か」という究極の問いに対し、物理学的観点から答えを見出そうとする学問分野がある。生命物理学と呼ばれる、まだ誕生して間もない分野だ。今回は、そんな生命物理学の中でも、特にエネルギー変換系に着目しながら研究をしている住野豊さんに話を聞いた。(侍)

われわれ人間は普段何気なく歩いたり自転車を漕いだりしている。これらは端的に言えば筋肉の伸縮による運動と位置づけられるわけだが、この筋肉を動かすエネルギーは、ATPという化学物質を分解する過程で取り出される。同じく動くものの代表として車を例に考えると、常に化石燃料を燃やすことでエンジンを動かすためのエネルギーを得ている。この二つのエネルギー変換系を見比べて、注目すべき点は、生物は化学エネルギーを熱に変換することなく直接運動エネルギーに変換しているという点である。このような働きは代謝と呼ばれ、生物を特徴付ける重要な要素のひとつに数えられている。熱を介さないエネルギー変化のメカニズムを知ることは、生物学的にはもちろん工学的にも非常に有意義だ。

住野さんは代謝のモデルとして、界面活性剤による油滴の自発運動を解析している。石鹸に代表されるように、界面活性剤とは水とも油とも親和することのできる物質で、水と油の境界面に吸着する特徴を持っている。水中のガラスに、この界面活性剤を不均一に配置しヨウ素を含む油滴を垂らすと、油滴はまるで生きているかのようにランダムな動きをするのである。界面活性剤を配置する方法さえ調節すれば、油滴は宙返りをしたり階段を上ったりすることだってできる。このような動きを熱力学や統計力学をベースに解析していくのだ。

「生物の現象的な部分を探っていきたい」と住野さんは話す。「生物学のようにダイレクトに生物を見るのではなく、生物を支える物理的側面を理解したい。生物は自分の活動を何から何まで制御しているのではなくて、油滴の自発運動のような物理現象を、ちょっとつついているだけのように思うんです」取材中たびたび聞かれた、生物は高度な機械であるという表現が非常に印象的だった。

生命現象の最小限の要素を考えていき、いずれ生命起源の解明へと繋げるのが住野さんの最終的な目標である。しかしながら、要素を積み上げて生物へと結びつけるには、まだまだ多数の段階を経なければならないという。その理由として、油滴の自発運動のようなモデルが、従来の物理学でほとんど扱ってことなかった非平衡開放系であることが挙げられる。非平衡状態は、平衡状態へと向かって反応が起こり続けている、途中の段階であると言っていい。その途中の段階で生まれるパターン、例えば船が通った後の水面に生じる渦であったり、極端に言えば地球の誕生であったりといった、時間的・空間的な秩序を記述する物理的な概念がまだはっきりしていないのである。

よって生命物理学は、数式のみではなく実験も重要な要素となる。数学によって仮定を記述し、その仮定を実験によって確かめる。その実験の結果によってまた仮定を練り直す。机上の空論で終わらない、まさに伝統的とも言える研究方法だ。「僕が生きている間に、生命現象のすべてが物理で説明されることは恐らく無いでしょう。でも、机上の空論で終わらないこの分野の研究室に来られたことは、幸運だったなと思っています」爽やかな笑顔が、研究の楽しさを何より物語っていた。

〈本紙に写真掲載〉