複眼時評

加藤立久 高等教育研究開発推進機構教授「私の慈石論」

2012.07.16

今年の春、筑波大学院集中講義「分子磁性論」(分子が示す磁石の性質)を依頼され、同時に化学類1年生(学部生)対象「化学セミナー」もお願いするということになった。大学院生への講義は良いとして、高校を卒業したばかりの大学一年生に「磁性」(磁石の性質)を語ることに大きな躊躇があった。私は大学院時代から分子が示す磁性を研究してきたが、専門外の人々に磁性を説明するたびに歯がゆい思いをしてきた。少し真面目に専門的説明をしようとするとチンプンカンプンで解らないという反応を頂くし、磁性流体などによるデモンストレーションをすれば喜んでもらえるが教育的なものにはならない。そこで筑波大学の学部1年生対象「化学セミナー」にむけて、「私の慈石論」を再考することにした。

紀元前239年の中国の『呂氏春秋』という書物に『慈石』(磁石)に関して「石鉄之母也以有慈石故能引其子」という記述があるそうだ。慈石は鉄の母であり、慈石は母がその子を引き寄せるように鉄を呼び寄せる、という意味で『慈石』と漢字を当てているのが心和むネーミングである。また、100年頃の『論衡』という書物に『司南之杓』なる北斗七星をかたどった方位磁石が紹介されていて、その後『指南魚』という水に浮かべて用いる方位磁石が使われていた。このように古来より中国は他の世界に比べて磁石先進国であった。北方民族に苦しめられてきた中国では、「南を指し示す」であって「北を指し示す」とは言わないのが面白い。1100年頃に西洋に『指南魚』が伝わり羅針盤となり、大航海時代・新世界発見へとつながるわけだ。

方位磁石が北を示す(古代中国では南を示す)原因が地磁気(地球)であることをウィリアム・ギルバートという英国の医者が実験的に証明したのが、1600年であった。それまで北の星座大熊座が磁石を引き付けていると人々は考えていたし、磁石にニンニクを塗りつけたりダイヤモンドを近づけるとその磁力が弱まると信じていたというのだから驚きである。

1500年代に西洋で『武器軟膏論』という「刀や槍で傷を負ったとき、傷つけた刀や槍に傷薬を塗って治す方が良い」という考え方が真面目に議論されたと聞く。この『武器軟膏論』が「作用者と被作用者は接しているべきであり、距離を隔てて作用することはない」として非科学的・魔術的だと批判されたそうだが、当然のことだろう。しかし、同じ時代に磁力・電気力・万有引力など距離を隔てて作用する力を認めることが同様な理由で批判を受けたと聞くと、現代でもなお人々にとって、磁力は何処か魔術的な部分を残しているのではなかろうかと思える。 グラフェンの研究で2010年ノーベル物理学賞に輝いたアンドレ・ガイム(マンチェスター大学教授)は、その10年前2000年に蛙を磁力で空中浮揚させてイグ・ノーベル賞を獲得した。(個人でノーベル賞(コンスタンチン・ノボセロフとの共同受賞)とイグ・ノーベル賞(マイケル・ベリー卿との共同受賞)両方を獲得た初めての人物として話題になった。 蛙を磁力で空中に浮揚させるというパフォーマンスは、人々を驚かせ多いに好奇心をかきたてただろうが、それ以上のものではない。だからイグ・ノーベル賞の受賞対象になったのだろうが。このように磁石は古くから科学オモチャの代表格の一つであったが、「磁石の原理」の話はオモチャほどには一般受けしない。下手をすれば「磁力が◯◯に効く」的マユツバ噺になりかねない。現象は分かりやすいが、原理の説明が少々難しいという事情が、磁石の一般的な印象を決めているようだ。

磁石が磁石を引き付けたり、宙に浮かしたりするので、其処に磁力が働いていることは解るが磁力自身は目に見えない。同じく目に見えない空気は、風として肌で感じることができるし、アルコールはその臭いを感じることができる。だから磁力は、実感として認めにくい上、困惑させることに、磁石でない鉄釘を強い磁石で擦ると磁石になるし、磁石を赤熱したり、激しく叩くと磁石でなくなったりする。まるで磁力が人の魂のように乗り移ったり、抜け出したりする。もはや占星術か魔術の世界である。

磁石について「電気的性質における素電荷に対応する素磁荷はない」という説明が教科書にあるが、この性質が人々を困惑させる。磁性は、あくまで電子固有の性質の一つだが、方向(上下)がある。だから1個の電子は必ずマイナス1の電気を帯びているのに対して、磁性の方向(上下)は一意的に決まらず状況によって上下が反転する。電子を一万個集めれば素電荷の一万倍の電気量が得られるが、磁性は状況によって得られる磁力の強さが変わる。例えて言うならば、人を一万人集めれば人口一万になるが、消費税について一万人に問えば社会情勢によって賛成と反対の意見が異なるようなものだろうか。一万人の意見の平均(統計)として世論が形作られるように、一万個の電子の示す磁力も統計的平均の結果である。状況によっては、オセロゲームで白石2個に挟まれた黒石が一斉に反転するようなことも起こる。そのため磁力が乗り移ったり、抜け出したり、人の魂のように見えることがある。

例え話は、一般学生に専門的過ぎる説明を避ける目的で用いられる。しかし、実はその分野を専門とする学生にこそ、難解な専門概念・数式を理解する手助けとして有効なのである。逆に数式を理解する必要のない一般学生には時として誤解を招く“ただの嘘”になりかねない。そんなことを承知の上で、例え話と磁石のデモンストレーションで筑波大学での学部1年生対象「化学セミナー」を終えた。単なるパフォーマンスに終わらぬように心掛けたつもりだが、筑波大学の学部1年生にとって好奇心をかきたてワクワクする『慈石』の講義であったことを願う。