文化

〈企画〉アニメ評 輪るピングドラム

2012.02.21

突然だが1995年3月20日という日付に見覚え、聞き覚えはないだろうか。

現在ハタチの人までなら当時の騒然とした雰囲気をかろうじて記憶しているかもしれない。そう、1995年3月20日はオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した日である。

数多くの人間の命が奪われたこの惨劇の日に、都内で二人の子供が生まれた。
『輪るピングドラム』の主人公、冠馬と晶馬である。

Ⅰ 「95年問題」というモチーフ

~きっと何者にもなれない日本人に告げる~



幼い頃に「運命の果実」を分け合った三人の子供たち、冠馬(かんば)、晶馬(しょうま)、陽毬(ひまり)は「両親」の剣山、千江美と共に東京都杉並区の荻窪で慎ましく暮らしていた。

だが、ある日剣山と千江美は警察に指名手配され、子供たちのもとから姿を消す。実は二人は秘密組織「企鵝の会」の幹部であり、1995年に東京で起こった地下鉄爆破事件の首謀者だったのだ。多くの人を惨殺したその事件が発生した日は、奇しくも冠馬と晶馬がこの世に生を受けた日と一致していた。しかして「親」の罰を理不尽に引き受けさせられた冠馬、晶馬、陽毬の三人は犯罪者の子としての汚名や陽毬の重病など、自分たちを支配する過酷な運命に翻弄され続けることになる。

晶馬は言う。「僕は運命っていう言葉が嫌いだ」、「あの時から僕達に未来なんて無く、ただ、きっと何者にもなれないってことだけがはっきりしてた」。

そう。彼らの運命はすでに決まっていた。彼らが生まれたあの年、「95年」に……

なぜ「95年」が問題なのか?



これはアニメの評論記事であるが、本作に関する理解をより深めるための助走として、少しだけ社会学の議論を参照することをお許し願いたい。

東浩紀や大澤真幸、宮台真司や宇野常寛などの著名な評論家、社会学者は日本社会について語る際、揃って1995年という年を大きな節目の年として言及する。彼らによれば、「1995年」が日本にもたらした最も決定的なものの一つは、日本社会の完全なるポストモダン化、分かりやすく言えばそれ以前の「頑張れば生きる意味が見つかる」社会から「頑張るだけでは生きる意味がみつからない」社会への完全な移行であるという。

彼らがことさらに1995年を特別視する理由は、主にこの年起こった阪神・淡路大震災とそれに伴う平成不況長期化の確定、そして何より冒頭でも取り上げた地下鉄サリン事件の発生にある。

確認しておくと、「地下鉄サリン事件」とは1995年3月20日に麻原彰晃を長とする宗教団体、オウム真理教によって引き起こされたテロ事件で、死者13人、負傷者約6300人を数えた大惨事である。

この事件によってオウム真理教は世間から大きな注目を浴びるようになったが、事件後に多くの人の知るところとなったのが、教団幹部の多くが高学歴かつ医者、弁護士などの高ステータス職についていたことであった。社会的な成功者であるはずの彼らがなぜオウム真理教に洗脳されるに至ったのか。社会学者の宮台真司は自著『終わりなき日常を生きろ』の中でこの現象を、かつての経済成長期(「先進国に追いつけ追い越せ」の時代)のように社会が生きる意味(=大きな物語)を与えてくれないという状況に耐えられなかったエリートの青年達が、オウム真理教の与えてくれる教義でもって自らの人生を意味づけてくれる「大きな物語」を代替しようとした結果であると説明した。

これら二つの事件が戦後経済成長時代の「頑張れば生きる意味(物語)が見つかる」社会からバブル崩壊後の「頑張っても意味(物語)が見つからない」社会への完全なる移行を表わす象徴的出来事であるという歴史的解釈は、近年有力なものになりつつある。

本作、『輪るピングドラム』では、この「95年問題」への意識が作品の随所に散りばめられている。物語の序盤で陽毬が図書館でしきりに探していた小説『カエルくん東京を救う』は阪神大震災をモチーフにした村上春樹による短編小説であり、また本作のカギとなる「1995年に東京で起こった地下鉄爆破事件」が、地下鉄サリン事件を指していることも疑いようがない。

第1話冒頭で晶馬によって語られ、本作の序盤でしきりに繰り返されるモノローグが興味深い。「あの時から僕達に未来なんて無く、ただ、きっと何者にもなれないってことだけがはっきりしてた」。ここでの「あの時」が、晶馬と冠馬の人生が始まった1995年を指しているとするならば、「きっと何者にもなれない」という言葉は単に彼らのみならず、社会が個人の生きる意味を供給してくれなくなった「95年以後」の社会を生きる我々日本人に投げつけられた厳しい宣告であるのかもしれない。

日本はもうこれ以上豊かにはならない。国家や社会という物語による生の意味付けを失った世界を、私たちはどう生きればいいのか。その問いに対して『ピングドラム』が一貫して主張し続けるソリューションは「家族」である。

本作のキャラクター全員に共通するのは、幼少時に親の愛に恵まれなかったこと(これは後でも触れる)、そして失われた親の愛を「家族」の再構築によって代替しようとする意識だ。国家や社会という大きな枠組みでの物語を完全に失った今、日本で生きる我々のアイデンティティを保証するのは身近な人間や共同体からの承認以外にありえない。にもかかわらず、生きていく上で必要な承認の、最も根幹の部分である親の愛すら得られないという絶望にさらされた人間たちが、己を取り巻く過酷な運命と対峙しながら「生存戦略」としての自分の居場所、すなわち「家族」を求めてもがく姿を描いた作品。それが『輪るピングドラム』なのである。

Ⅱ 「家族の呪い」(=運命)とどう向き合うか

~ゼロとイチの世界線の果てから愛を叫ぶ~



「愛は大切だ」、「家族は素晴らしい」。これらの主張はなにも「95年以後」に限らず、いつの時代のどの媒体における物語においても常に多くの人々の共感を呼び続けてきた。だが「愛や家族の大切さ」というテーマはその普遍性ゆえに、時には「古き良き」地域共同体社会への底の浅いノスタルジアや陳腐な恋愛至上主義へと回収されてしまいかねない危うさもまた孕んでいるといえる。

『輪るピングドラム』の鋭敏な作り手たちは、しかしこの危険性に決して鈍感ではなく、徹底的に「家族」という共同体の持つ負の側面をえぐりだしている。「親」の罪を一方的に引き受けさせられ、不治の病という理不尽な罰に苦しむ陽毬を見れば、家族と愛の尊さを謳う『輪るピングドラム』に隠されたもう一つのテーマが、実は「家族の呪い」(=運命)との闘いであることはすぐにわかるだろう。

「家族の呪い」という名の運命にとらわれて苦しむのはむろん高倉兄弟だけではない。先程も少し述べたが、本作のキャラクターは皆、幼少期に親の愛を得ることができなかった人間である。自分の創造主たる両親に自己を承認してもらえなかった苦しみはその後の彼らの人生に大きな傷跡となって残り続けているだけでなく、さらに彼らの運命をも縛り続けている。

例えば女優の時籠ゆり。かつて父親に「醜い」と否定され、肉体的にも激しい虐待を受けていた彼女はそのトラウマゆえ、自分の中にある根源的な承認欲求の飢えを満たすために女優になった。彼女に対して夏芽真砂子が言い放ったセリフは強烈だ。「幼い頃に『あなたは必要です』って言われたことがないんです。だから大人になって自分の生い立ちに復讐しようと躍起になる」、「あなたはどんなにちやほやされていても、毎朝誰もいなくなった悪夢で目を覚ますのよ。常に誰かに必要とされていないと不安で仕方がない、かわいそうな人!」。

所属劇団の男役と肉体関係を持つなど、ゆりにレズビアンとしての性的嗜好があることも注目に値する。父親がベッドの上で全裸のゆりに虐待を加えていた際に度々画面に映し出された鋭利なノミは彼女を抑圧する父性の象徴(≒ペニス)の暗喩にも見える。その時の体験が彼女の中に拭いがたい父性への嫌悪を植え付けたとするならば、彼女が女と肌を重ねるのはそれ自体、自分を縛る「父性の呪い」への一種の抵抗、ないしは逃走なのだという仮説も成り立ちうるだろう。

また運命日記を巡って度々ゆりと衝突した真砂子も、その実ゆりと非常に似通った仕方で「父性」の重力に閉じ込められているキャラクターである。父と兄のいない家で育った彼女は、自分と弟を延々と抑圧し続けた祖父を心から憎んでいたが、それにも関わらず成長した後の彼女は祖父の会社を継いで祖父と同じ仕事をしており、さらに仕事中の口癖や、自分の前にたちふさがる敵は容赦なく「擦り潰」さなければならないという人生観に至るまで祖父の特徴をそっくりそのまま受け継いで、いや受け継がされているのだ。これが「呪い」でなくて何だろうか。真砂子は苦々しげに言う。「私達は今もあの男に支配されている」と。

呪いさえも愛に変えて-少年少女の生存戦略-



子供たちをどこまでも殻の中に閉じ込め続ける「家族の呪い」(=運命)。未来永劫断ち切ることのできないこの悪夢とどう対峙すればよいのかという課題は、絶対に回答不能な難問中の難問に見えた。しかし『輪るピングドラム』は、なんとその「呪い」(=運命)を愛する者と分け合うという発想に至ったのだ。

「君と僕はあらかじめ失われた子供だった。でも、世界中のほとんどの子供達は僕達と一緒だよ。だからたった一度でもいい。誰かの『愛している』って言葉が必要だった」。最終話で多蕗(たぶき)が語ったこのセリフこそ、運命という名の呪いを受け止めて生きていくための答えではないだろうか。

そう、人は多かれ少なかれ、逃れられない運命を背負ってこの世に生を受ける。陽毬も言っていたではないか。「生きるってことは罰なんだね」と。だが、いやだからこそ、生きることの罪や罰や呪いでたわわに実った「運命の果実」を、愛する者と分け合って「家族」になることが必要だったのだ。

「たとえ運命が全てを奪っても、愛された子供はきっと幸せを見つけられる」。そうゆりは言う。「お願い、言って。私はあなた(冠馬)の大切な妹だと。一度だけ昔みたいに言って。そうしたら私、あなたと一緒に未来永劫呪われてもいい」真砂子もそう言った。

生きることが罪であっても罰であっても、たとえ「呪い」という名の運命に虐げられようと、愛でもってその罪や罰や呪いを分け合い、共に生きていく相手がたった一人でもいれば人はその相手と「家族」になって幸せをつかめる。だからこそ血縁関係でもセックスパートナーでもない冠馬と晶馬は「運命の果実」を分け合うことで「家族」になれたし、最終回で苹果が叫んだ「運命の果実を一緒に食べよう」という言葉も、「家族」を生みだし「呪い」に打ち勝つための最強の呪文(=生存戦略)たりえたのだ。

「家族の呪い」(=運命)に打ち勝つために「家族」を再構築する。まさに毒をもって毒を制するこのやり方で、『輪るピングドラム』の魅力的なキャラクターたちは彼らの「生存戦略」を完遂した。特に本作が発表された昨年2011年は、東日本大震災やそれに伴って発生した大津波の被害など、我々をとりまく理不尽な運命というものの存在を嫌というほど考えさせられた年であったが、そんな厳しい状況は皮肉にも『輪るピングドラム』という作品にさらなる輝きを与えていたように思う。阪神と東日本、1995年と2011年。二つの震災、二つの年を繋いでみせた本作は、これからもさらなる評価を受け続けるはずだ。(47)