文化

〈寄稿〉北海道大学新聞編集長・北島知明さん 北海道大学新聞休刊に当たって

2012.01.17

北海道大学の学生新聞「北海道大学新聞」が11月発行の通算1032号目をもって休刊した。北大新聞について、私は恥ずかしながらこの度入ってきた休刊の報で初めてその存在を知った。なのでこの寄稿はこれまで特に交流関係もないのに、依頼したものである。ずうずうしいと思われても仕方がないが、同じ学生新聞の編集に携わる者として、北大新聞の編集員がどのような思いでこの間新聞づくりを行なってきたのかどうしても聞いてみたくなったのだ。

ありがたい事に編集員の北島さんはこの失礼な寄稿依頼を快諾してくれた。そして彼から送られてきた文章は私自身も共感する所が多々あるものだった。京大新聞自身もいつまで現行の発行形態が続くのかは分からないが、媒体の如何に関わらず「何を伝えたいのか」は常に問い続けねばならない命題であろう。

いつの日か、北海道大学新聞という情報発信体が復活することを願っています。その時まで京大新聞が生き残っていたら、ぜひ何か共同企画をやりましょう。(編集部)

《本紙に写真掲載》

北海道大学新聞 休刊に当たって

京都大学新聞から寄稿を依頼された。しれっと2000字後半から3000字の原稿を一週間足らずで書くように要求する点、京大新聞の編集員たちはきっと相当なサディストであるに違いない。この依頼を受けたときに「夏休み終わりに書く読書感想文かよ」と思ったことはここだけの話ある。それはさておき、何を書くべきか。いや、テーマまで自分で考えろと言われたわけではない。だけど、きっと読者はほかの学生新聞の活動を知りたいとはあまり思わないだろう。(…というか、そんなことで2000字も私は書けない。)むしろどんなことを考えたりするのかを書いた方がおもしろいんじゃないだろうかと思うのである。

北大新聞には書いてないのだが、私自身は映画が好きでよく観る。多い時には日に5本くらいぶっ続けで観るので最後のほうは気持ち悪くなったりする。そんな私であるが、今でも忘れられない映画がある。そういったとき、ふつうは黒澤明監督の『七人の侍』であるとか、『ローマの休日』とかいうべきところであるのは分かっている。ここで『市民ケーン』なんていえば、それこそ定番ネタである。それはともかく、私にとってはその忘れられない映画とは、『劇場版ポケットモンスターミュウツーの逆襲』という1998年公開の劇場版ポケモンの第一作目のことである。これを読む人はきっと世代的にもあまり変わらない人たちだと思うから、小学生の時に家族や友達と映画館に行った記憶がある人も多いのではないだろうか。(実はこの映画、アメリカにおける日本映画の興行収入1位の映画でもある。いまだにこの記録は破られていない。)当時、まだまだピュアな心をもっていた私(今でもピュアだが)は、毎週テレビで観ていたものと違い、なんとなくダークで、子どもたちを遠くの方に置き去りにするこの子供向け映画に圧倒された。きっとこの映画のテーマもなにも理解できていなかったに違いない私に強烈なインパクトを与えたのである。それから10年以上が立ち、それはたぶん思い出補正によって美化された記憶に過ぎないだろうと思っていた。一昨年、一人暮らしを始めた私は、ちょっと思い出にでも浸ろうではないか!と思いたち、近くのツ○ヤ(旧作全品100円セール中)でこの作品を手に取ったのである。

脚本を書いた首藤剛志(2010年逝去)は、この作品のテーマを『自己存在への問いかけ』であると語っている。当時、哺乳類のクローンとして羊のドリーが誕生し、その延長線上に人クローンの誕生が現実味を帯びてきた時代であった。その中で、子供向けであるが故の残酷さにも似た直接的な表現は、小学生の私にはあまりに難しすぎたのだろう。しかし、それが与えたインパクトは大学生になって観なおしてもなお、決して思い出補正ではなかったのだと思えるものである。

この『自己存在の問いかけ』というテーマは、現在に向かって衰退するばかりか、むしろ深刻化したように感じる。一昔前に流行った「自分探し」も、今の就活のトレンドともいえる「自己分析」も、結局のところ『自己存在への問いかけ』へと収斂されるだろう。さて、ポケモンの話はこれくらいにして、この『自己存在への問いかけ』というテーマを学生新聞にあてはめてみると、今回、北大新聞に起こったこととも無視できない関係が浮かび上がってくるのではないだろうか。

1926年に創刊した北海道大学新聞は、今年、1032号をもって休刊することが決定した。東京大学、京都大学に続く、旧帝大系では三番目に古い学生新聞であり、札幌農学校創基50周年の式典に合わせて発行されたことが第1号に記されている。しかし、その北大新聞も、最近4年ほどは事実上の休刊に陥っていた。昨年、私はその会の状況を知り、入会を決め、今年、なんとか発行にこぎつけた。そして、4月から4回、一人で編集作業を行ってきたわけであるが、もはや存続は困難と考えOBとの話し合いの上、廃会を決定したのである。4回程度しか発行していないため、決断が性急すぎると言うこともできなくはないが、現実的に考えた結果であるため、そのこと自体に悔いはない。

ところで、先の『自己存在への問いかけ』というテーマは、私がこの会に入り、また企画、執筆、編集のすべての段階において、常に念頭にあったテーマでもある。最後の号で「学生メディアに未来はあったか」という対談を昔の会長と行ったものを掲載しているが、その中で、大学に入りたての一年生に対して「新聞をつくりましょう」といったところで、もうだれも入らないだろう、ということが話題になった。つまり、「新聞をつくりましょう」ではなく、「新聞を通じて何々を伝えていきましょう」でなくてはならないんだ、ということである。または、「伝えたいことを伝える場を提供する」とか、「取材活動を通じて人脈を広げていきましょう」といった具合である。新聞会は新聞を作るところであることは間違いない。しかし、本当に新聞を作ることは新聞会にとって不可欠な要素なのだろうか、ということを考えた時に、それは違うと私は思っている。新聞とはあくまでツール、道具であり、自分の伝えたいことを人に伝えるための手段にすぎない。だから、もし新聞という道具よりも、よりよく自分の伝えたいことを表現し、発信する手段があれば、それのほうがいいのである。

また私は、新聞ができるということは、自分がやっている取材活動の総括をする上で発生する副産物であり、その副産物は自分の活動の目的ではないとも考えていた。学生にとって(少なくとも私にとって)取材は、自分が興味を持ったものに対するアプローチの一手段であった。だからこそ、新聞会という名前の持つ力を利用し、また隠れ蓑にして、一学生では断られるようなこともしてきた。そして、新聞会という名前を使っている責任でもあり、その取材したことをまとめる手段として新聞ができたのである。確かに、この意見には異論が多く出ることは承知しているつもりである。それに、私はその異論を否定するつもりもない。しかし、だからこそ、私は私の考えというものを貫く必要があるのではないかと思うのである。

学生新聞にとって『自己存在の問いかけ』というテーマは、そのまま『なぜ新聞か』という問いにつながる。なぜ雑誌ではだめなのか、なぜインターネットではだめなのか。この問題は不断に問われ続けなければならない問いである。今思えば、北大新聞会が廃会したことにしても、結局のところ、その問いに対して、明確でないがしかし、答えを出そう、考えていこうとする動きがあったなら、すこしは話が変わっていたのかもしれないと思う部分があることは否定できない。学生新聞を取り巻く環境は昨今非常に厳しくなってきている。人員面、費用面は特に深刻である。しかし、だからこそここで踏ん張るべき時なのかもしれない。今回、私が所属する北海道大学新聞会は廃会し、85年の歴史に幕を引いたわけであるが、京大新聞をはじめ、存続している学生新聞には、ぜひこれからも発行をつづけ、この難所を乗り切ってもらいたいというのが私の思いである。


きたじま・ともあき
1989年、札幌生まれ。2008年、神奈川県立湘南高校卒。北海道大学法学部在籍。北海道大学新聞会代表。