複眼時評

吉川一義 文学研究科教授「プルースト『失われた時を求めて』の全訳」

2011.12.01

プルーストの『失われた時を求めて』は二十世紀フランス文学の最高傑作として評価が高まる一方である。ところが全巻読了した人は少なく、かなりの読書家でも途中で挫折するという。私が、長い逡巡をへて、この大長篇の新訳を引き受けたのは、『失われた時を求めて』の原文がもつ独特の詩情や論理やニュアンスを損なうことなく、できるだけ読みやすい翻訳を読者に届けるために尽きる。

たしかに本作は、今回の岩波文庫版では十四巻になる大長篇であるうえ、ひとつひとつの文も長く、密度も高い。一般には、マドレーヌの味覚から田舎町がよみがえる挿話で有名な無意識的記憶を基礎にすえ、時間と記憶を主題とする芸術小説とみなされ、敬して遠ざけられているのではないか。

しかしプルーストの小説に描かれているのは難解な哲学ではなく、あくまで人生の諸相である。しかも『失われた時を求めて』の本領は、その人生と世の中をめぐる常識を根底から覆すところにある。あの息の長い、比喩を駆使した独特の文章は、プルースト独自のものの見方の反映にほかならない。

とはいえプルースト文学は、波瀾万丈の物語ではない。作中で提示される人生模様の重点は、登場人物の行動それ自体ではなく、それを描いて分析する語り手の精神のドラマにある。筋の展開をたえず中断して介入する詩的断章にこそ、あるいは脱線というか、注釈というか、長ったらしい省察に込められた精神のドラマにこそ、プルースト読書の醍醐味はある(とくに後者は、多くの読者が『失われた時を求めて』の完読をめざしながら挫折する要因にもなる)。

たとえば雨の降りはじめの描写を読むと、それに気づくまでの認識の全過程がスローモーションのように聞こえてくる。「小さな音が窓ガラスにして、なにか当たった気配がしたが、つづいて、ばらばらと軽く、まるで砂粒が上の窓から落ちてきたかと思うと、やがて落下は広がり、ならされ、一定のリズムを帯びて、流れだし、よく響く音楽となり、数えきれない粒があたり一面をおおうと、それは雨だった。」

このような鋭敏な感受性は、人間心理にも適用される。「ある人物が、肉体関係のある相手の親族から、つねにその精神的価値を称賛されるというのは、実際、注目すべきことである。性愛は、不当にも評判の悪いものだが、あらゆる人に手持ちのどんなに小さな善意や自己放棄まで出し尽くすよう強いるので、それがすぐそばにいる人の目に輝いて見えるのだ。」

恋愛は、相手の容貌や人格を対象とするものと信じられ、現在も量産される恋物語の多くもこのパターンを踏襲する。『失われた時を求めて』におけるプルーストの恋愛観は、この常識をも根本から覆す。恋愛の主体にせよ対象にせよ、ふだんの自我とはべつの存在だというのである。「恋愛という現象が純粋に主観的な性質のものであることを理解している人はたしかにほとんどいない。恋愛をつくり出すのは、世間では同じ名で通用していて大部分の構成要素が本人から抽出される人物であるとはいえ、その本人に新たにつけ加わったべつの人物だということが理解できないからである。それゆえ目の前に見えている相手とはまるで異なる存在がわれわれのなかで最終的に途轍もなく大きな比重を占めることになるのは当然と考える人もほとんどいない。」

『失われた時を求めて』を読む楽しみは、このような逆説的でありながら深く納得せざるをえない感じかたや考えかたを味わうところにある。プルーストの小説には、ラ・ロシュフーコー『箴言集』などのモラリスト文学や、モンテーニュの『エセー』のように接するのが、読破のコツかもしれない。

翻訳にあたっては、そのような味読に耐えられるよう、プルースト特有のリズム、微妙なニュアンスを最大限に反映したうえで、読みやすく、すっと頭にはいる訳文たらんとした。詩的断章ではできるかぎり原文の語順を尊重し、滑稽で愚かしい社交場面の会話では登場人物の話しことばの癖を日本語としての訳文に反映するよう努めた。

また本訳の特徴のひとつは、小説本文で言及される絵画や彫刻や歴史的建造物などについて、プルーストが目にした図版をできるだけ網羅的に収録して解説をつけたことであろう。この図版の選定と解説には、筆者が著した『プルースト美術館』(筑摩書房)、『プルーストと絵画』(岩波書店)、Proust et l’art pictural (Paris, Champion)をはじめ、最新の研究成果を採り入れた。

『失われた時を求めて』には、当時の政治や外交、社交マナーからファッションにいたる風俗、文学・美術・音楽などの文化事象へのおびただしい言及が出てくる。これらの理解には訳注が必要不可欠であるが、本訳ではこれを見開き左ページの端に配置して、容易に参照できるようにした。また巻頭には当時の地図をつけ、本文に出てきた地名やレストランや有名店を確認できるようにした。訳者としては、プルースト小説の理解を助けるために最大限の工夫を凝らしたつもりである。

既刊の二巻(第一篇『スワン家のほうへ』の前半と後半)はおおむね好評のようで、予想もしない多くの読者に迎えられた。この十一月十六日には第三巻(第二篇『花咲く乙女たちのかげに』の前半)が出る。プルースト文学の魅力がすこしでも多くの読者に伝わり、完読に挑戦してくださることを願うばかりである。