企画

これが京大生の夏休みだ!

2011.09.15

高校生の時は部活、受験勉強に追われていた。無事入学試験に合格し大学生活がスタートしたが、一回生の前期は連日の新歓に始まり大量のレポートと試験に終わった。そして、待望の夏休みである。後期ももうすぐ始まるが、この休暇期間をどう過ごすべきであったのか、あるいは大学生の夏休みとはどのようなものであるのか、まったくもってわからない。まさに混迷の極みだ。

1人で考えていても仕方がない。ここは京大内の諸氏に話しを聞いてみよう。(編集部)

研究にいそしむ…    とある学徒の一日

私は現在、文学研究科の博士課程の1回生です。高校生のみなさんにはあまり想像できないかもしれませんが、学部と大学院では、生活そのものがガラッと変わってしまいます。なので長期休暇の過ごし方も、おのずと大きく異なって来ます。

まず、学部では授業に出たりレポートを書いたり、あるいは試験を受けたりして単位を取るのが生活の中心になっていきます。一方の大学院では基本的に、それぞれが修士論文、博士論文を書くために自分で勉強、研究を進めていくことになります。そのため学部生のように、授業が全くなくなる「長期休暇」というものはありません。

ところが実際には自分1人だけで研究を進めるのは非常に難しいので、授業に出ることにはなります。これは私の方法論ですが、論文を書くにはまずテーマを設定し、それに関する論文をなるべくたくさん読む。そして、研究者の間で主張が異なる場合は、一方が正しいのか、それともどちらも間違っているのかを考えます。その中から自分のオリジナルの主張が生まれるわけです。しかし、自分1人でこれを最初から最後まで行うのはとても難しいことです。先生や他の院生、学部生と授業を受けて吸収できることは、たくさんあるのです。また、講読の授業などでは、学部生だけでは手が回らない部分を院生がフォローするのが伝統になっている研究室もあります。

そういったわけで、院生にとっての長期休暇は、授業がないので自分の研究に集中できるところ以外は、いつもと変わらない勉強の日々になります。
しかし、間違った印象を持ってほしくないのが、「勉強」のところです。高校生の時の、ひたすら英単語を覚えたり、数学の問題の出題形式を覚えたりするような、自分自身とはある意味で無関係な勉強ではなく(もちろんそれも大事なことですが)、半ば自分の趣味も兼ねた、興味と関心に基づいた勉強です。具体的には論文を読んだりするのですが、要は好きなものを読んでばかりで生活しているので、そんなに苦痛ではないわけです。

長期休暇の過ごし方というより、院での生活の紹介のようですが、最後に、一番大切なのは自分の研究していることをどれだけ好きか、ということです。もし研究者になりたい人がいたら、自分の好きなことをもっと好きになってください。経済的に厳しい面も多々ありますが、そういう人にとって、大学院はとても魅力的だと思います。

政治家のもとにとびこんでみる    議員インターンシップ体験記

政治家あるいは政治家の秘書が、どのように働いているのか不思議に思ったことはないだろうか。こういう場へ入り込めるのは学生のうちくらいのものなので、とある国会議員の事務所でインターン生となってみた。大学を卒業する直前の、最後の春休みのことである。もちろん海外旅行に行ってみるのも悪くないが、旅行じたいは社会に出た後も休みをとれば行けるのであり、どちらが「今しかできないこと」かというと自明だろう。

もともとその議員についてはある程度知っていたので、事務所へ直接頼んで働かせてもらおうかとも思ったのだが、ドットジェイピーの議員インターンシッププログラムでその議員の受け入れ枠があったので、ドットジェイピー経由で入りこんだ。時期は、2011年2月から3月まで2ヶ月弱。

たった2ヶ月弱だが、今年は4年に1度の統一地方選挙があるので、国会議員本人だけでなく、府会議員・市会議員の活動にも触れることができた。議員がいない平日は、事務所で秘書と一緒に事務作業(名簿打ち込み、会報封入、お茶だし、など)をしたり会合に代理出席するなどし、議員がいる土曜日曜は、本人に随行していた。選挙の事務所開きや決起集会はたいてい土曜日曜に行われるため、議員本人の応援演説に随行しては、応援される側の「地方議員」も観察していた。

そんななか3月11日。国会事務所で働いてみる機会も得、準備していたのだが、東北・関東が揺れた。議員は東京に待機し、一寸先すら見えない政治の動きに備えた。地元でのスケジュールはふっとび、地方議員は地方議員で選挙に向けた決起集会を自粛するなどして、政治のevent的な側面には多大な影響を与えた。

ドットジェイピーのインターンとしては3月末で終わりなのだが、4年に1度の統一地方選挙が4月にせまっていたため、個人的に事務所とかけあい延長してもらった。平日は会社で働きつつも、土曜日曜は地元に戻った議員に随行するなどして、統一地方選挙の運びを実感した。投開票日は、某政党京都府連で速報番組を視聴しつつ、当選議員名の横に花をつけていた。

かくして政治家のもとでのインターンは終わったわけだが、期間限定であるにせよ、集中することで濃密な体験を得ることができたし、実際満足している。だってこんなこと、社会人となった今からやろうと思ってもできない。学生最後の夏休み、冬休み、春休み。旅行に行くのもいいけれど、長期でなく1週間程度のものなら、社会に出てからでも(休日のとりかたを工夫すれば)行けてしまうのだから、より貴重なことに費やしたいものである。「社会人になる前、組織の制約下にない自由な今でしか経験できないことってなんだろう?」そういう問いをひとつ頭の片隅に置いてみることで、後悔しない「学生時間」の使い方になるのでは、と思う。

分けゐっても青い海    極限の中の楽しみとは

目が覚めた。知っている天井だった。もうこれで何日目になるのだろうか。3月半ばに私は日本を去り、シンガポールとヨハネスブルクを経由して南アフリカ・ケープタウンに足を踏み入れた。そこから十数日かけて、私は船に揺られて海の上へ繰り出した。労働のためである。財布に余裕がない訳ではなかった。ただ好奇心―それだけが私を動かしていた。布団から身を出す。船は昨日と同じように揺れていた。移動時のあの爆発のような衝撃に比べれば、これくらいはどうということもない。さて、これから、またあの労働が始まる。

労働内容はいたって単純だった。船の先まで行って、揚がってくる魚の数と種類をチェックする作業。そして船の尻で網を入れる時に群がる海鳥の数と種類をチェックする作業。そしてそれらのデータをパソコンに打ち込む作業。他にも魚の耳石をとって小封筒に入れる作業等もあるのだが、些末なものなのでここでは触れないことにする。作業は決して辛いものではなかった。むしろヒマであった。だがここは船の上、普段我々の生活を「豊かに」するような代物はほとんど存在しない。「ヒマ」とはすなわち「虚」であった。幸い船長が日本語母語話者であったため、とりとめもない話をしたり、機関場というエンジンがある場所でコーヒーを飲んだり昼寝したり、食堂でインドネシア出身のコックが作るインドネシア料理をつまみ食いしたりした。

船員にはいい人が多かった。インドネシア出身の人が大半を占め、彼らは様々な夢を持っていた。小学校にも行かず働く人、将来バイクの修理屋をやるためにお金を貯めている人、結婚している人…。彼らにうっかりカメラや時計を見せると、しきりに「ほしい、ほしい」と言われた。「豊かさ」って何なんだろうか。私は経済格差の現状を実感するとともに、物質的なものの豊かさに我々は騙されてはいまいかと思い、なんだかもの悲しくなった。ただ船のトップの船頭はとても短気な人で、誰彼構わず怒鳴り散らしていた。特に下っ端であるところのアフリカ・インドネシアの人達には一層厳しかった。

飯はそこまで美味くなかった。おでんや味噌汁などの日本料理がテーブルに並ぶこともあったが、どこかインドネシア風にアレンジされていた。船長が言うには「食べるだけが楽しみ」とのことだった。まさにその通りだと思った。船上、立ち寄るところと言えば食堂くらいしか無いのである。「船」という世界から隔絶された場で、切り縮められる人間の「生」。ひどく滑稽だと思った。

ちなみに食堂にはDVDが置いてあり、持っていたパソコンで見ることが出来た。丁度良い暇つぶしが出来たと思った。「アートスクールコンフィデンシャル」「パルプフィクション」「アイスタイム」「クイーン」を見た。二倍速の早回しで見たので、余り時間はかからなかった。

この労働で得られたもの?何て傲慢な質問なんだ。あなたの気の持ち方次第で、世界は何通りにも見えるのだ。給料は残念ながら非公表としたい。知りたいなら、あなたの目で、耳で、しかと真実を捉えることを強くお勧めする。船員から暴言を吐かれることもあるだろう。決してこの労働は楽なものではない。せめて、なす術のない空虚を少しでも実りあるものとするために、本を何冊か持って行っておいた方がよい。それだけは言っておきたい。

わたしは旅に出たい    To France

私は今年の春休み、フランスに旅行に行ってきました。2月10日から19日の約10日間の日程で、パリ、モン・サン・ミッシェル、ルアーヴと回り、最後にまたパリにもどるというコースです。私は第2外国語でフランス語を履修していますが、語学力は何とか日常会話がこなせるレベルです。

それぞれの土地の印象ですが、モン・サン・ミッシェルは、日本人がイメージする「ヨーロッパのお城」そのままの雰囲気です。しかし、一歩中に足を踏み入れるとそこには日本人の観光客ばかり。それだけでなく、売店のおじさんたちまで日本語を話します。誰もが一度は行きたい土地ということなのでしょうが、当然フランス語の勉強にはなりません。

一方、次に訪れたルアーヴは、映画「男と女」の舞台となった土地で、モーリス・ルブランの出身地でもあります。海岸沿いの別荘地で、ビーチを始めとした景色がとても美しく、2月だというのにまったく寒くありませんでした。やはり日本人はあまりいないようで、必然的にたどたどしいながらもフランス語を使うことになりました。地方に行くとフランス語しか話せない人も多いので、ある意味勉強になります。

最後にパリですが、やはり印象に残ったのはルーブル美術館です。市民なら無料で観覧できるのですが、私は外国人ということで、10ユーロを払って中に入ります。日本の博物館・美術館と決定的に違うのは、建物自体に歴史があり、作品と作品の間、通路にも見る価値があるということでしょうか。建造物全体で1つの芸術作品を構成しているように思われました。さらに、多くの作品がそのまま壁に飾ってあるので、世界的な名画と2人掛けのテーブルを挟んだような距離で向かい合うことになります。市民の生活の中に芸術が溶け込んでいる。そんな印象でした。一方のパリの市街は、東京よりもむしろ京都に近いと思います。ヨーロッパの風情あふれる統一された街並みと、その中にあふれる生活の香り。パン屋さんでは、外はカリカリ、中はふわふわの焼き立てのフランスパンが食べられます。エッフェル塔のあるシャン・ド・マルス公園では、お土産を売っている露店があったり、のんびり休憩している人がいました。

取り留めのない話しになってしまいましたが、私の初めてのフランス旅行は非常に楽しい経験でした。その上で改めて思ったのが、語学の勉強も大切ですが、とにかく実際に現地で話してみる、ということです。有名な観光地以外にも、その国の「魅力」はあると思います。そういった日本語の通じない土地に行ってみてはどうでしょうか。それと、特にヨーロッパを旅するときですが、1つの国にできるだけ長く留まった方が、その国のいろいろな面を見られるでしょう。地方によって全く違う風景が広がっているものです。

せっかくの長期間の休みです。一度は外国でゆっくり過ごしてみてはいかがでしょうか。

他人事に思えますか?    ただ、ゴロゴロするのみ

前日の夜更かしが祟ったのだろう。目が覚めた時にはすでに15時である。一日を無駄にしてしまった気になり落ち込むが、朝飯も昼飯も食べずに済み、良い節約になったと考えることにする。しばらくぼさっとした後、寮の裏手にあるコンビニにおやつを買いに行きがてら少しその辺を散歩する。やけに日差しがまぶしいような気がするが、単に自分が寝すぎただけかもしれない。買ってきたプリンや菓子パンなどを食べながらパソコンで友人のブログやツイッターを閲覧し、ついでにJリーグやプロ野球の順位も確認する。私は東京出身だが巨人もヤクルトもFC東京もそれほど好きではない(私にはそもそも好きな球団がない)。ただ、シリーズ終盤の優勝争いを見るのは面白い。いつも弱い広島が今年は珍しくまだAクラスを狙える位置にいる。あと少しなのだから頑張ってほしい。

その後イチローのメジャーリーグ情報を確認し、彼が今から200本安打を達成するためには一試合平均で何本ヒットを打たねばならないかを計算しているうちに強い便意を感じたので慌ててトイレに行くが、いざトイレに行ってみるとそれほどの便意でもなかったことが分かり、用を足さずに引き返す。帰りがけに寮食堂で緑茶のペットボトルを買った。

部屋に戻り、現在放映中のアニメ『花咲くいろは』を何話か見る。つまらなくはないが全体的に間延びした感じで、水をいれすぎたカルピスのようであった。パソコンの時計を見ると19時を回っている。何もすることがない。漱石の『彼岸過迄』が読みかけだが今はなんとなく読むのが億劫だ。東浩紀の『思想地図β』も四条のジュンク堂で買ったきりだが読む気はまだない。現在公開中の映画もいかんせん面白そうなのがない。かといってセンスの良い名画座はどれも東京にある。映画に限らず、世の中の面白そうなことは多くの場合東京でしか起こらない。京橋フィルムセンターでぴあフィルムフェスティバルが始まるまでには東京に帰りたいなどと考えながらうたた寝する。

再び目が覚めると深夜1時半である。厄介な時間に起きてしまった。これまでの経験から言えばこのまま夜は眠れずにだらだらと時間を過ごし、陽が昇った後に睡魔に襲われてそのまま夕方まで眠るというパターンであろう。そのうちに猛烈な空腹感に襲われる。この24時間で口にしたものがお茶とプリンと菓子パン一つだけなのだから当然だ。寮裏のコンビニは深夜2時で閉まってしまうので慌てて食糧を買いに行く。買ってきたカップ麺を作っていると部屋の隅に放り投げてある教育学部の便覧が目に入ったので、その場で後期の時間割を組んでみる。なかなかいい感じに仕上がり、早くも後期授業への準備は万端である。いつも時間割を組んでいる時期だけは授業へのやる気がある。

時間割を完璧にくみ上げ、安心したところで今日のプロ野球情報をチェックすると広島が阪神に負けていた。別に悔しくも悲しくもないがなんとなくイラっとする。せっかくの好機なのだからもうひと踏ん張りしようと心の中では思いながらも実際には肝心な所でだらだらと情けなく負け続ける広島東洋カープを、私はなぜか嫌いになれない。明日は甲子園に野球を見にいくのもいいし、頑張って漱石を読み進めるのもいい。いずれにせよ、明日は今日よりは充実した日になるだろう、きっと。まだまだ休みはあるのだ。焦る必要はない……はずだ。