インタビュー

答えよりも問いを見つめて 宮野公樹 学際融合教育研究推進センター准教授

2026.03.16

答えよりも問いを見つめて 宮野公樹 学際融合教育研究推進センター准教授

写真は宮野先生提供

3月10日、京大の合格発表が行われた。この春、京大への切符を掴んだ新入生は、何のために大学に行くのかと問い直したことはあるだろうか。

「言うまでもない、学問をするためだ!」と答えた人は、学問とは何かと聞かれたら答えられるだろうか。筆者は答えられる自信がない。そのような問いに向き合い、「学問は作品だ」と話す宮野公樹先生にお話を伺った。学問とは何たるかを考えなければ、何のために大学で学ぶのかわからぬままに学生時代が過ぎ去ってしまう。しかしせっかく掴んだ大学への切符、そのまま乗り過ごしてはもったいない。学びて思わざれば則ち罔し、本記事を読んで学問に思案を巡らせてみてほしい。(悠)

宮野公樹(みやの・なおき) 京大学際融合教育研究推進センター准教授
立命館大学理工学部卒業。同大学博士後期課程修了。McMaster大学、立命館大学、九州大学を経て2011年より現職。専門は学問論・大学論。

目次

学問とは、「問いに学ぶこと」
対話で我が身を振り返る
社会のものさしを問い直そう
大学は問いを発する存在に
既存のレールを外れて気づく

学問とは、「問いに学ぶこと」


――先生が考える「学問」とは何か。

学問は、どんな切り口でスタートしても最終的には事象の真理を知ること、知ろうとすることになります。研究は分野が細分化して数多くあるけれど、学問は1つであると私は考えており、いうならそれは、「存在」というものを問うこと、「自分とは何か」と自分の在り方を問うことだと思います。つまり、生きることと学問は深くつながっているのです。

「専門分野」でさえ便宜上の形式的なラベルに過ぎず、結果として、分野という看板は守るものではなく「壊すもの」になるのです。

存在への問いが学問の根幹だとするなら、学問とは「問い、学ぶ」のではなく「問いに学ぶ」ことです。なぜそのような問いを持つのかと「問いを問う」のが学問なのです。ゆえに、研究は対象を理解し説明する「手段」ですが、学問は己の感慨を表す「作品」とも言えるのではないでしょうか。

――自身の学問のテーマは。

「思考の基礎とは何か」です。趣味のテニスをしていた時に、あらゆるスポーツには基礎があるのに思考にはそれがないのかとふと疑問に思い、少し調べると「仮説検証」や「バイアスを取り除く」ということが説明されていました。でもそれは方法であって基礎ではない。それなら自分で考えるしかないと思い、今それを考え、まとめています。

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対話で我が身を振り返る


――京大では「国際卓越研究大学」(注)認定を念頭に置いて、研究や教育の改革が計画されている。この改革は先生が考える「学問」の方向性と異なるように思えるが学問精神の維持のためには何が必要か。

一人ひとりが内省することです。学問本来の方向性とは違う向きに現在進んでいると感じるなら、その「本来の学問」とは何かを自身で考え自分に従うことが大事だと思います。しかし内省はなかなか難しい。だから、他者との「対話」が必要です。京都学派の三木清が言っているように「我が身を振り返らんがため」他者と対話をし、「自分ってちっちゃいな、何も知らなかったな」と気づくことが対話の大きな意義です。

(注)国際卓越研究大学制度
国際的に卓越した研究を展開し、経済社会に変化をもたらす研究成果の活用が期待される大学へ、国が10兆円の「大学ファンド」から1年あたり最大で数百億円を助成するもの。京大は2025年12月に認定候補に選出された。正式な認定に向けて研究支援体制を拡充するため、研究・教育組織の統合や再編を計画している。

――「研究」と聞くと、一人でのめりこんで没頭するというイメージもある。

のめりこんでもいいですが、対話も必須です。これも三木清の言葉ですが「己の思想を試さんがため」に他者と出会うのです。一人でこもるのも学問精神ですが、他者と出会い対話するのもまた学問精神というわけです。

――今の京大、あるいは学術界全体で対話は進んでいると思うか。

全然進んでいないと思います。「◯◯交流会」など、実は対話の場はたくさんありますが、研究者は忙しいから出てきません。ではなぜ忙しいのかというと、それは逆説的に「対話をしないから」だと思います(笑)。

他分野の研究者と対話をしないと、自分の考えの狭さを感じられないので新たな視点を得られません。研究の感度が鈍くなり、自分の研究分野で評価される仕事しかできなくなる。結局仲間内だけの評価になり、世間には自分の研究の意義をアピールするのがより大変になっていきます。内容よりも量でアピールする方が簡単で世間からもわかってもらいやすいので、量を増やすために忙しくなる。そして忙しいから対話の場にでられない……という悪循環になっているのです。

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社会のものさしを問い直そう


――高校の段階で文理選択を行うことについて、「学問」の観点から考えるとどう思うか。

早く文理の区別がなくなったらいいと思います。最近、文理の区別が問題視されてはいるもののなかなか変わらないのは、入試や教育システム全体にがっちりと組み込まれているからです。

しかし現在、AI技術の発展によって教育全体が根本から変わらなければいけない時が来ています。東大の入試問題でさえAIは一瞬で解けるのに、学生がそれを解くために必死に勉強している現状はちょっとおかしいのではないかなと。

――教育を根本から変えると現在の社会の構造にも大きな変化が生じる。

現在の社会では、「勉強していい大学に行ったらいい会社に入れる。いい会社に入ったらお金ももらえて幸せになる」という、学歴によって経済的な豊かさを得ることを評価する価値観が主流です。ただ、この「ものさし」も何かおかしいと疑われ始めていますよね。「金持ち=幸福」が素直に成り立たないことは言うまでもありません。現在「『高学歴』の人がすごい、賢い」とされるのは今の社会でそれが前提になっているというだけで、別の世界観から見たら何でもないのかもしれない。

最近、中卒の方が注目のベンチャーをされていることも多いと聞きます。もはや高校や大学にいくことを面倒に感じ、もう現場で出たい!という考えとのこと。そうして、社会的課題の解決やウェルビーイングを実現する姿は学ぶことが本当に多いです。

いい大学・いい就職が幸せだと思って社会のものさしに合わせたら、何も考えなくてもいいので楽ちんです。ひたすらそのものさし(レール)に乗ってあとはうまくやればいい。しかも、それは社会のものさしなので、世間はちやほやしてくれますが、それは自分の人生を生きていると言えるでしょうか。自分のものさしではないので、やはりどこかで違和感が残ってしまうことが多く、今日的な生きづらさになっているような気がします。ただし、もし社会のものさしを違和感もなく自分で受け入れられたら幸せだし、それはそれでよしだと思います。ただ、その場合も、違うものさしも認める幅や余白がないと、この世はギスギスしたままです。

――京大は、今の学歴重視の社会の中ではある種「上位」に位置づけられている側面があり、それを目指して京大に入る人も多い。この状況をどう思うか。

僕だって京大のシステムの一員なので否定や批判はしません。ただ「本来の大学とは何か」と問い続けることはできますよね。一人ひとりが自分に問いかけたらいいと思います。自分は今の大学に対してどう思うのか。気に食わないなら自分は何をするのか。そうして問うた結果に従ってそれぞれが動けばいい、それこそが「学問」なのだと思います。

僕は「自分は何をするのか」と問いかけた結果として、10年前から「京大100人論文」というイベントを企画して分野を越えた対話の場をつくっています。この企画は研究者100人に研究ポスターを無記名で作成してもらい、一般市民も含む参加者がそれらのポスターに無記名で意見や質問を寄せるという、学際融合教育研究推進センター主催のユニークなイベントです。これこそ僕なりの「学問」です。この活動が評価され、今年2月、「日本オープンイノベーション大賞『日本学術会議会長賞』」をいただきました。僕なりの学問がこうして評価されたのは嬉しいことです。

内閣府主催第8回日本オープンイノベーション大賞『日本学術会議会長賞』を受賞した100人論文の様子。中には子どものコメントも見られる



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大学は問いを発する存在に


――現代社会の中で、大学はどうあってほしいと考えるか。

社会全体が経済合理主義の中で動く時代にあって、大学くらいはそこに対して問いを発する存在でありたいです。そして問い直すことのできる人を育てる場でありたい。単なる専門家の集まりが大学ではない。対話と協働があってはじめて大学が「学問」の場になるのでしょう。

――産学連携を通じて大学を社会に開いていく動きはどう思うか。

もっとオープンになったらよいと思います。大学にとって企業は異質な存在で、関わることで学ぶことがたくさんあります。大学の常識は世間の非常識だと気づくこともあります。大学は世間と異なる原理で営まれているからこそ存在意義があるので、交流によってそれを鈍化させるのではなく、お互いに影響を受け合うことで我が身を反省する機会を得られればよいと思います。そうして分野や組織、世代を超えて対話をすることこそ、学問であると思います。

――近年、技術革新が進む中で、より実用性の高い「実学」を重視する風潮についてはどう思うか。

違和感はあります。今日の「研究」は課題解決的で、どれだけ役立ったかが価値基準になりがちです。しかし、それは「学問」の価値とは違います。学問の価値は、むしろその「役立つとはどういうことか」と問う方にあります。それは得てして具体的で具現的な価値ではないかもしれません。しかし、「よくわからないけど、この人(このテーマ)なんかすごい……」というように、言葉にならないけれど人を揺さぶる「なにか」が学問の価値なのだと思っています。当然、それには文系も理系もありません。

念押しですが、大学は「役立つ」研究をしてはいけないと言いたいのではありません。先の通り、「役立つとは何か」という問いを併せ持っていなければ「研究のための研究」に陥ってしまうと思うのです。解ける問題しかやらない研究を大学がやる意味はありません。

――先生は今の社会全体のものさしや大学自体を疑いながら自身の学問論を展開しているが、社会や大学を変えたいと思っているわけではないのか。

残念ながら、社会や大学を変えたいと言う人ほど変えられないと思っています。それは変えるべき対象が自分の外にあると思い込んで疑っていないからです。つまり、自分も社会や大学の一員であると考える精神においては、まず自分が変わることが社会や大学が変わるということになります。自分が手の届く範囲でいいから、本当に大事だと思うこと、本質を追求した営みをすれば良いのです。各自がそう考え行動する結果として社会や大学が変わるのではないかと思います。

もちろん、各自の行動が独善ではだめですよね。ですから、そのために対話をするのです。「私はこう考えるがあなたはどうか」と、自分が変わる用意のある者どうしが対話し、己を戒め、そしてまた考え行動する。そういう場が「大学」というものですから。

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既存のレールを外れて気づく


――先生はもともとナノテクノロジーを研究していた。学問論の道へ転換したきっかけは。

理系の研究者だった時に松本紘・元総長の補佐として、京大全体のプロジェクトの戦略作りや総長のプレゼンライターをしていました。以前は脳内が「俺の研究が」という主語に支配されていたのに、主語が「京大」に変わりました。また、文部科学省に4年間出向して政策立案やプロジェクト審査など、官僚の仕事をしていました。すると今度は主語が「我が国」に変わりました。2回アンラーニングしてもとの自分の研究を見直すと、「俺の研究ってなんなんだ」と疑問を抱くようになりました。自分の研究は切り口の一つでしかなく、その小ささを実感したのです。研究者はこれでいいのか、専門とは何か、大学とは何かと問いたくなり、現在の学問論に至っています。

――先生のように大きく考えを転換するのには不安や怖さもある。

多くの人がもともといた場所や自分の選択、敷かれたレールから踏み落ちたり外れたりすることを怖がっていますが、わざと外れることで僕は変われたと思っています。「あれ、何を守ろうとしていたんだっけ」と思うほど視点が変わり、新しく見えたものがありました。だからあえて一度外れてみたらいいと思います。自分がそれまで正しいと思っていたこと、こうでなければならないと信じていたものを一度横から見てみないと、本当の「考える」はできません。考えるとは、考えを考えることなのですから。

特にこのAI時代においては、むしろレールを外れないほうがつまらないと思います。もうロジカルなことはAIの方ができるのだから、積極的にレアキャラにならないと。例えば高校卒業後世界一周してから大学に入るなど、「外れる」経験をしている人とは「めっちゃおもろいやん!」ともっと話したくなりますよね。

――学生との関わりの中で感じることは何か。

他大学でひたすら学生から質問してもらうという形式の講義を行っていて感じるのは、みんな答えを求めているということです。例えば「宮野先生が学生に戻ったら何をすべきだと思いますか」と聞かれることがあります。僕は「なんでこの質問するの、僕がこうすべきっていったら実践するの?」と聞き返すと、学生は「いや、実践は……」と口ごもる。「じゃあなんで聞くの?」とさらに聞くと、学生は「参考にしたい」と答えます。それを聞くと「いやいや、参考って何?」と僕はさらに問いかけます(笑)。みんな、誰かがいいと言ったものを選びたがっていて、答えを求めているというのがよくわかります。

――新入生へメッセージを。

大学は「学問」をする場であり、学生は学問に通じた専門知識を学びます。しかし、そもそも専門的な知識とは何でしょう。それらはネット上にあふれており、今それを学ぶ意味はどれほどのものでしょう。このように「根源において現実を見る問い」を持つことこそが学問の営みであり、単なる知識習得の「学習」とは大きく異なる点です。そう考えると、大学は「将来のキャリアを築くため」のものではないと気づくでしょう。言うならば「将来とは?」「キャリアとは?」と考えることこそが大学でやらねばならないことです。そうでないと、「働く(食う)ために働く」ことになってしまいますよ、本来は「善く生きるために働く」のに。皆さんが大学生活を通じて学問精神に触れ、自分の問いを育てる時間をもてるよう願っています。

――ありがとうございました。(聞き手:悠・晴)

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