文化

〈隣町点描#7〉亀岡(京都府亀岡市) 霧の町でふたつの「梅」を訪ねる

2026.02.16

〈隣町点描#7〉亀岡(京都府亀岡市) 霧の町でふたつの「梅」を訪ねる

亀山城址の梅

本稿は、京都市に隣接する12の市町から、半日程度の散策に適したエリアを1つずつ紹介していく企画だ。7回目となる今回は、京都府亀岡市を訪問する。(汐)

2月も早いもので中旬、気温はまだ低いが陽気には春らしさが感じられるようになった。今回はJR山陰本線の旅客になって亀岡を目指す。嵐山を後にした列車は巨岩が連なる切り立った渓谷を横目に、いくつものトンネルを越えて進む。亀岡盆地に入ると景色が一変した。窓の外には霧が立ちこめ、好天の京都と対照的だ。亀岡周辺は、大堰川の豊富な水と放射冷却のために、冬場の霧で有名だ。円町で電車に乗って20分も経っていないが、ひと山越えれば風土が一変し、ちょっとした旅気分を味わえる。

朝霧の立ちこめる亀岡盆地



時は戦国、明智光秀が丹波攻略のために築いた亀山城の城下町がこの町のおこりだ。町自体も亀山を名乗っていたのが、三重県の亀山と区別して亀岡と改められたのは明治のことだ。洪水を避けて高台に築かれた城下町を歩くと、杉玉を吊るした酒蔵や提灯や呉服を扱う商店など、昔ながらの店構えがところどころに残っている。藩政の首府として栄えた城下町は、遡れば封建的な庇護と(ややもすれば)収奪を下地としたものではあるが、文化的な空気が流れていて好ましい。

城跡は駅にほど近い場所にある。大正時代に荒廃した城址を丹波発祥の新興宗教・大本が買い上げ、現在その本部がおかれている。城址は300円で見学できる。光秀の築かせた天守台の石垣は戦国時代の滋賀の職人集団・穴太衆の手になる貴重なものだが、一度目は明治時代の廃城、二度目は1935年の第二次大本事件によって破壊された。第二次大本事件というのは、拡大しつつあった大本を警戒した国家が、治安維持法に基づき教団関係者の冤罪での検挙や、教団施設の破壊を行ったもので、近代日本における最大の宗教弾圧として知られている。右派的な政局は伝統を標榜しつつ体制維持に注力するあまり、必ずしも歴史や伝統に敬意を払うわけではない。石垣をはじめとする遺構は戦後、信徒の手で保護復元され、古城の面影を今に伝えている。

城址にはあちこちに梅園がある。梅の木は400本になるという。一面に咲き誇る景色を期待していたが、まだつぼみが膨らんでいる程度だった。満開になればさぞかし綺麗なことだろう。ところどころ早咲きの木があって、香りを楽しむことができた。2月中に見ごろを迎えると思われるから、関心のある読者は訪れてみてはいかがだろうか。

亀岡で「梅」といえば、名前に梅の字の入る石田梅岩に触れないわけにはいかない。亀岡出身の梅岩は18世紀に活躍した学者あるいは思想家で、石門心学の創始者として知られる。彼の生家は亀岡の南郊、東別院町という山あいの地域にある。せっかくの機会なので、生家にある彼の記念館を訪れることにする。

城址から駅前に戻り、郊外に向かうバスに乗る。いつの間にか霧は晴れて気持ちのよい冬晴れになっている。大阪との府境に近い山間部へは、盆地の端にある先端科学大学で小型のコミュニティバスに乗り継ぐ。小柄な車両とはいえつづら折れの山道や集落の中の細い道を進む運転手のハンドル捌きは流石プロである。

30分ほどかけて目指す東別院町に着いた。細い谷筋に田んぼが連なり、山際に家が点在するのどかな景色だ。山際に長屋門のある立派な民家があり、そこが梅岩の生家である。家の隣には真新しい記念館が併設されている。

記念館では梅岩の生い立ちや、講義書『都鄙問答』や京都で開いた講義の様子を描いた絵画などの資料が展示されている。常設の展示は簡素なもので、15分もあれば見て回ることができる。梅岩は利潤追求を否定したそれまでの儒学と異なり、商業活動による利潤獲得を、正直な取引という道徳的態度によって正当化した。これは商品経済が急速に浸透しつつあった時代状況もあって、民衆に広く受け入れられた。心学は経営者によって言及されることも多い思想だが、経営学というよりは儒教的な倫理学の延長線上にあるものらしい。

梅岩の思想は、京都の商家での2度の奉公経験や、儒学の教養によるところも多いが、その核心は母の看護のため帰郷していた折に得た悟りに基づくもので、正直さを重んじる道徳律にも厳格な彼の父親の影響がみられるなど、郷里が梅岩の思想形成に与えた影響も小さくない。記念館では梅岩が幼少期に裏山の栗を拾って帰ったところ、父がそれを「他人の土地に生えている木から落ちてきたものだ」と戒めたという逸話が紹介されている。

梅岩は、書物の真意を知らないまま多読をする者のことを「文字芸者」と痛烈に風刺している。これは幕府の御用学者を念頭に置いた批判であり、現代の読書家に向けたものではないが、その指摘するところは今では別の意味を持ちうるようにも思う。働いていると本が読めないと言われる世相、多読家は珍しくなっているかもしれないが、さればこそ本を読むこと自体が価値あるもののような倒錯に陥り、ともすればその理解の質を不問に付す危険もまた高まっているのではないか。ただ文字を読むことを以て地位を保障される「御用学者」にならないように、引き締まる思いで記念館を後にし、帰路についた。

山あいにある石田梅岩の生家



市町村情報
京都府亀岡市

人口(2025年):8万4千

歴史:
市内に丹波国衙おかれる?(古代)明智光秀が亀山城を築く(1578年)亀山藩成立(1600年)石田梅岩生まれる(1685年)亀山藩、亀岡藩に改称(1869年)第二次大本事件(1935年)亀岡市が市制施行(1955年)

ルート:
亀岡駅→亀岡旧市街→亀岡城址(大本本部)→石田梅岩記念館
滞在時間:約4時間